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【ショート】無限階段に囚われた男〜あるいは上昇と下降の囚人とJFK暗殺について〜

 早朝の135番通りを北に歩いていると、〈無限階段に囚われた男〉に声をかけられた。

「あなたの小説のファンです。サインを頂けますか」
 彼はそう言って、一冊のペーパーバックとサインペンを私に渡してきた。
「お安い御用です」
 私は彼の要望通り、慣れた手つきでサインをしてやった。

 だが、その本は私の著作ではなかった。それはケネディ大統領暗殺事件について書かれた本だった。
 私はサスペンスを専門に書く作家であり、ノンフィクションについては門外漢なのだ。

 本とペンを返すと、〈無限階段に囚われた男〉は礼を言い、嬉しそうな表情を見せた。
「君は何が真相だと思う?」と私は尋ねた。
「なんです?」
「ケネディ暗殺事件の真犯人だよ。私には、オズワルドの単独犯だとは思えない」
「おっしゃる通り、彼はハメられたんですよ。パレードの最中、彼がたったの一人で教科書倉庫ビルからケネディを仕留めるなんて、状況からしてまず不可能です」
「そうとも。さらに事件直後、ルビーが警察署の地下でオズワルドを撃ち殺したことが何よりの証拠だ。おそらくダラス市警が手引きしたんだろう」

「ええ。オズワルドは生け贄です。ウォーレン報告書なんて、トイレットペーパーほどの価値もありません。紙クズですよ」
「後任のジョンソンが設立した委員会の結論など、まったくもって信用に値しないからね」

 微かに舌打ちが聞こえたような気がしたが、私は構わず続けた。
「ジョンソンがJFKの死に関与していることはまず間違いないだろう。ホワイトハウス、国防総省、CIA、FBI。あれは政府の最高レベルの陰謀だよ。ケネディはベトナム戦争から撤退したがっていたし、CIAの長官と副長官を更迭し、組織の解体も視野に入れていた。そうなると彼の存在は、国家にとって不都合だ。だから消されたんだ」
「いえ、その逆ですよ」と彼は私の説を否定した。「CIAによるピッグス湾事件の報復です。つまり、反カストロの亡命キューバ人たちが大統領を殺したんです」
「しかし君、狙撃の三、四十秒前にすでにジョンソンが頭を屈めていたことや、事件後すぐにジョンソンがリムジンを修理させ、弾痕や血痕といった重要な証拠物件を消したことはどう説明する?」と私は反駁を試みる。

 彼は不快そうな顔になり、「ジョンソンの批判はやめてください」と言った。「彼は偉大です。彼がベトナム戦争を長期化させたおかげで、僕は従軍できました。それは人生観に多大な影響を及ぼす、とても素晴らしい経験なんです」
 私は平坦な声で尋ねた。「それは本気で言ってるのかい?」
「冗談なんて言いません」
 私は憐憫の眼差しを彼に向け、「なるほど。どうやら君は、PTSDを発症しているようだ」と言った。「無自覚だけどね。そしてそれは、あの惨禍を素晴らしい経験だと言い切ってしまうぐらいには重症だ。だから君は、〈無限階段〉に囚われてしまっている。グルグルと同じ場所を、際限なく上ったり下りたりしているんだ。言わば、哀れな〈上昇と下降の囚人〉だ。そこに囚われ続けている。気の毒なことにね」

 彼は私を睨みつけ、「あなたのサイン本は、古本屋に売り払います」と言った。「もっとも、あなたのような落ち目の作家のサインなど、一ドルの価値もないでしょうがね」
 そう言い残し、〈無限階段に囚われた男〉は憤然とした様子でその場を立ち去っていった。

 私は煙草に火をつけた。有意義な一日が始まることを予感させるような、優雅で気持ちのいい朝だった。

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