『ランドリー・アット・ナイト』(自作短編小説)
新生活にもそれなりに慣れ始めた頃、僕はいつものように近所のコインランドリーに足を運んでいた。
今月から大学に入学したばかりの僕は、まだ先月から借りたばかりのマンションの自室に、洗濯機を備えていないのだ。
だから僕は週末の金曜日になると、1週間分の洗濯物を溜め込んで、決まって20時以降に、それを持って外へと出かけるのが日課となっている。
どうして必ず20時以降なのかと言うと、毎週金曜日の19時15分から20時までテレビで放送されている海外ドラマ、『ベリー・ビジー・ドーナツショップ』を視聴するからだ。
番組の内容を簡単に説明すれば、アメリカのサンフランシスコにドーナツショップを営んでいる30代のオシドリ夫婦が毎回、自分達の店で様々なトラブルや感動に出くわすドタバタコメディだ。
僕はこのドラマを毎週、欠かさず視聴している。
もはや、僕にとって『ベリー・ビジー・ドーナツショップ』を観ることは、かけがえの無い習慣と化している。
因みに今週は、強盗犯が店に襲撃して来て、その場に偶然居合わせていた常連の警察官であるスペンサーが、交渉の末、無事に強盗犯をとっ捕まえるというのが大まかな内容だった。
放送時間の45分中、40分はスペンサーと強盗犯との交渉に時間が割かれていた(実際には、交渉というよりも、殆どお互いに対する罵倒の応酬ではあったのだが)。
それからただ今現在、僕はいつものコインランドリーの店内で、洗濯が終わるのを待っていた。
店内には僕一人だけで、洗濯機の動作音が無遠慮に響いている。
そろそろ4月も終わり、一人暮らしを始めてから一ヶ月経つのだから、安価でコンパクトな洗濯機でも買うことを本格的に検討しなければならない。
そんなことをふと考えながら、僕は『現状認識の社会的変容・逆説的なアンチテーゼと対立するカタルシスについての思索』というタイトルの文庫本を椅子に座って読んでいた。
そして僕のすぐ正面には、扉の向こうで僕の洗濯物が勢いよく回転し続けている。
実際には、あと数分程度で洗濯は完了する筈なのに、洗濯機内の奔流に呑まれる洗濯物の回転を見ていると、まるでそれは地球の自転と公転のように永久不滅で恒常的な現象であると、つい錯覚してしまうことが僕にはあった。
そういった取り留めの無い錯覚を、意識的に思考の隅に忘却し、僕は難解な内容の文庫本に再度集中し始めた。
それから数分経った時、不意に、僕の洗濯物が回転している洗濯機のすぐ隣の洗濯機の扉が、唐突に勢いよく開いた。
そしてその中から、僕と同年代ぐらいだと推定される青年が飛び出してきた。
こういう場合、どういったリアクションを取るのが正解なのだろうか?
因みに僕は、咄嗟に文庫本を膝の上に落として、突如洗濯機の中から出現した青年を唖然と眺めていた。
多分、これが正解なのだろう。
店内には、最初から僕一人しか居なかった筈だし、ましてや僕が使用している洗濯機のすぐ隣の洗濯機の中からは、誰の気配も確かに感じられなかった筈だ(そもそもは洗濯機の中に誰かが入っているという状況自体が、極めて常軌を逸したことではあるのだが)。
僕はその奇妙な経緯から現れた青年を、数秒間見つめていた。
そして、僕以外に店内に誰も居なかったという状況から、暫く外していたマスクを、僕は思い至って装着し直した。
するとその青年は、不意に僕を見て口を開いた。「今って、西暦で言えば何年です?」
一瞬の間を空けてから、「2021年ですけど、、、」と僕は答えた。
「うっそ、4年も早く着いちゃったですよっ」とその青年は驚くように言った。「配分量、ちょっと少なかったのかな、、、」と呟いている。
幾つかの彼の言動で、僕は状況を何となく呑み込めた。「ひょっとしてあなた、タイムトラベラー?」と僕は訊いた。
「そうですっ」と彼は頷いた。「よく分かりましたね、この時代にはまだ発明されてないのに」
「えぇ、だけど洗濯機を使ってタイムトラベルするなんて、こんなの誰も予想できないですよ」と僕は言った。
「洗濯機の独特な回転がね、時間を飛べる作用を上手い具合に創出するんです」と彼は笑って言った。
理工学部に所属する僕は、好奇心からその詳しい理論について彼に尋ねようとした。
しかしその直前に「では、私はこれで。監視カメラにずっと映ってるのは、ちょっと宜しくないのでね」と彼は言って、後方の自動ドアに向かいかけた。
「ちょっと、待ってください」と僕は彼を呼び止めた。
彼は黙って僕の方を振り向いた。
「4年早く着いたって言いましたよね?これから4年後に、何かあるんですか」と僕は訊いた。
すると、彼はニヤついて言った。「万博ですよ。大阪万博を見に行くんです」
「万博、、、」と僕は呟いた。
「万博はきっと素晴らしいですよ、憧れしかないです。あなたも是非、4年後に行くと良いです」と彼は言った。「まぁ私は、2週間後に行きますがね」と彼は付け加えて言った。
どうやら次のタイムトラベルまで、2週間の期間が必要らしい。
そうして彼は、自動ドアを出て、夜の街に消えて行った。
再び一人になった店内で、僕は自然と呟いた。
「万博かぁ、、、悪くないかもな」
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