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短編小説「テスト前夜の調査」①

【全③話】

 網戸の向こうから祭りの音が聞こえたのが、全ての始まりだった。


 真夜中、僕は自分の部屋で机に向かい、懸命に参考書に取り組んでいた。

 明日は-厳密に言えば今日だけど-学校の期末テストがある。一学期の最終的な成績を決定づける大事なイベントだ。
だけど僕はいつものように事前に余裕を持って勉強をしていなかったため、いつものようにこうして徹夜での勉強を余儀なくされていた。

 徹夜で勉強をし、直前に間に合わせの知識を獲得する。
これは僕のテスト期間中の恒例行事みたいなもので、今すぐにでも廃止すべき悪習だ。

 それに明日は初日から苦手科目、英語と古文が控えている。尚更焦りを感じずにはいられない。
無意識に僕の貧乏ゆすりは、激しさを増していた。

 暫く仮定法の応用問題と格闘していると、どこからか太鼓の音が聞こえるのに気づいた。
いや、太鼓の音だけではない。笛の音も聞こえる。
祭囃子? よく夏祭りなんかで耳にするあの祭囃子が、網戸の向こうから聞こえてきている。

 僕は首を傾げた。
確かに今は六月終盤で、そろそろ夏祭りの季節が近づいてきている。
しかしこの近辺で毎年開催される夏祭りでも、僕の知る限り祭囃子が披露されたことは一度もなかった。
だから、公民館や集会所なんかで練習している線も考えづらい。
そもそも、まともな大人ならこんな夜更けに祭りの練習をしたりはしない。

 今は真夜中だ。こんな時間に祭囃子が聞こえるなんて、どう考えても不自然じゃないか。
僕のテスト勉強に対する集中力は、不意に聞こえた太鼓と笛の音色によって切れ始めていた。

 僕は椅子から立ち上がり、網戸を開けてベランダに出た。

 祭囃子は、はっきりと聞こえるようになった。
街灯の明かりが浮かぶ暗闇の中、確かに祭囃子の音が町に響いている。
どうやら、結構な大人数で楽器を演奏をしているようだ。もしかすると、演奏者の数は二十人近くはいるかもしれない。

 音がする方角は、南西の辺りだろうか。
ベランダは南向きに位置しているため、ちょうどここからその方角に視点を定めることができる。
だが音がするだけで、提灯や灯篭といった祭り特有の照明はどこにも見受けられない。
ただそれは闇の中から聞こえているだけだ。

 正確な距離感は掴みづらいけど、音の出所はせいぜいここから数百メートル付近だろう。
ここから南西に数百メートル進んでいけば、やがて山に突き当たる。
つまり、祭囃子は山の中から聞こえているということになる訳だ。

 山の中、か。
僕がその音の出所を特定した時、部屋の中でスマートフォンの着信音が鳴った。

 部屋に戻り液晶画面を確認すると、友達の田中からの着信だった。

 田中志郎。小学校、中学校、高校が一緒で、おまけに今は同じクラス。家が近所にあるから、親同士の付き合いも長い。
一度、高校に進学したばかりの頃、「お前は僕のストーカーなのか」と田中に尋ねてみたことがあるが、その際、彼にも全く同じ質問を返された。

 僕は画面をスワイプして、電話に出た。
「もしもし?」
『あ、八木? テスト勉強中、悪いな』
 僕がテスト前夜に勉強に励んでいることは、もはや田中には分かりきっている事実だ。
一方で田中が僕に電話をかけてきた用件も、僕には容易に想像できた。

「この祭囃子のことだろ? 電話をかけてきた理由は」
『ご明察。やっぱりお前にも聞こえてたか』
「そりゃあ、なあ」僕は再びベランダに出た。

 後ろ手で網戸を閉めて、ベランダの手すりに寄りかかった。
祭囃子はまだ続いている。
『これさ、どう思う? 普通に考えて異常だと思わないか?』
「ああ」僕は頷いた。「こんな時間に太鼓や笛の音色が聞こえるのは、どう考えてもおかしい」
『地元の夏祭りでもさ、今まで祭囃子なんて聞いたことなかったよな」
「要するに、祭りに向けた練習とかではないってことだ。かと言って、悪戯にしては手が込んでる気がする」 
『だよな。それにこの演奏、結構な大人数でやってるみたいだぜ』
「うん。その点も、不可解さに拍車をかけてるな」

 数秒間の沈黙があった。
「例えばさ、あらかじめ録音した演奏を、スピーカーで大音量で流してるってことはないかな?」
『いや、スピーカーから聞こえるような音質とは違う気がするな。これは実際に生で演奏してるみたいに、クリアで立体的に聞こえる』
「まあ、そうだよな」僕は小さく笑った。「田中。これ、どこから聞こえると思う?」
『山の中だろ。距離と方角的に、それしか考えられない』
「僕もそう思った。つまり真っ暗な山の中で、二十人だか三十人だかの人数で、祭囃子を演奏してるってことになる」
『不可解だよな』今度は田中の含み笑いが聞こえた。

 そうだ。シンプルに考えればそういうことになる。
でも、今度は「どうして?」という疑問に突き当たることになる。
どれだけ考えてみたところで、そんなことをする動機が見当たらないのだ。

『なあ八木。俺がお前に電話をかけた理由はそういうことなんだよ。考えても分からないことは、調査しに行けばいい』
「はっきり言えよ。一人じゃ怖いんだろ?」
『馬鹿。お前だって、このままだと気になって勉強に手がつかないと思うぜ』
 まあ、それは確かにその通りかもしれないけど。

「あのなあ、勉強しなかったら、古文も英語も赤点確実なんだよ。お前みたいな成績優秀者には分からないだろうけどさ」
『まあ、余裕だな。いつもの通り』
 田中は常に定期テストでどの教科も高得点を維持していて、クラス内の順位は大体二番目か三番目だ。
それでも僕にしたって一応、一年の時から十番以内を維持している。一夜漬けでも必死に勉強をすれば、それなりの結果は残せるのだ。

 因みにこの前の中間テストの一番は、貞平さんという華奢な女子で、僕は田中が彼女に対して密かに恋心を抱いていることを知っている。

『でもさ、こんなのたかだか二十分とかで終わるんだぜ。近くの山をちょっと登って、降りてくるだけ。息抜きだよ、息抜き。勉強の息抜き』
 僕は小さく溜め息をついた。「ううん、まあ、確かに集中力は切れかかってたしな。息抜き、と思えばいいのかな」
 本音を言えば、僕だってこの祭囃子がなんなのかは気になる。ただでさえテスト勉強で精神的に追い詰められている中、この突如舞聞こえ始めた不可解な演奏。
確かにこれでは、勉強どころではないかもしれない。

『よっしゃ、決まりな。ええと、今が十二時十八分だから、十二時半までに、直近のセブン集合で』
「ええ? わざわざコンビニ経由するのかよ? ちょっと遠回りじゃないか?」
『いや、だってほら、調査には腹ごしらえが必要だろ?』
 こいつ。腹ごしらえって、ただ自分が腹を減らしてるだけじゃないか。
 僕ははっきりと舌打ちをしてから、「分かったよ」と答えた。
『じゃあ、十分後な』
「ああ」

 そうして僕らの通話は終了した。
僕の家からなら、集合場所のセブンまで歩いて五分もかからない。
セブンまでは平坦な道だけど、山に向かう道は登り坂となっているので、自転車ではなく徒歩で向かった方が効率的だ。

 僕は部屋に上がり、網戸を閉めた。
それから机の上の財布とスマートフォンを、左右のポケットにそれぞれ突っ込んだ。

 部屋の電気を消す時、背後ではしっかりと問題の祭囃子が聞こえていた。

【②へつづく】

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