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短編小説「午前零時のマクドナルド」【後編】

 テーブルの向こう側、彼女が唖然とした様子で僕を見上げていた。
 まるで僕が反撃に出たことが信じられないとでも言うように、目を丸くしている。

「てめえ」金髪の男が息を切らせながら、絞り出すような声で言った。
 鼻血が出ているのかもしれない。そうじゃなくても苦悶に満ちた表情をしているはずだ。
「スミス&ウェッソン、M10の装弾数は六発だったな」僕は言った。「これには今、何発入っている?」
 男は答えなかった。

「まあいいさ。しかし君が抵抗しないということは、こいつはやはり本物で、弾も装填されているらしい。どのみち一発でも入っていれば有効的だ」
 僕は床のコンバットナイフを、テーブルの下に蹴った。

「ねえっ、凄い音がしたけどどうしたの? 大丈夫?」ソバージュの女の声だ。
 現在の状況下、自由に発言できる権利は僕に渡ったようなものだった。
 それを理解しているのかは定かではないが、金髪の男は返事をしなかったし、わざわざ僕の方もしなかった。

「カウンターに向かって歩け」僕は囁くように言った。
「ふざけんなよ。許さねえ、絶対殺してやる」男の息はまだ切れていた。
「おいおい、君は自分の立場がわかってるのか?」僕は男のこめかみにさらに強く銃口を押し付けた。「今状況を掌握してるのはこちらの方だぜ。それとも何だ? 銃声が聞きたいのか?」
 僕はリボルバーの撃鉄を起こした。「カチリ」という音が鳴った。「歩け」

 金髪の男は僕の指示に従い、ゆっくりと足を踏み出した。
 僕も背後から男の首に左腕を回し、右のこめかみに銃口を押し付けるという体勢を保ちながら、彼の後についていった。

 我々のテーブル席を通り過ぎる時、僕は彼女に向かって軽く頷いた。
 彼女は不安そうな表情を浮かべながら、首を小さく横に振った。

 柱の陰に隠れていた僕と金髪の男の姿が見えた時、カウンターの前にいるソバージュの女が悲鳴を上げた。
 女は取り乱し、僕に対して連続的に罵詈雑言を浴びせたが、僕はそれを無視して男を前に歩かせた。

 カウンターにいる三人のマクドナルド店員が、驚きの表情を浮かべているのが目に入った。
 当然だろう。マクドナルドに強盗が発生することはもちろん予想外だったはずだが、客の一人が強盗犯を人質に取る展開はさらに予想外だったはずだ。

 ソバージュの女は平静さを失ったように奇声を発し、反乱狂になりながらこちらにリボルバーを構えている。
 あれはスミス&ウェッソンのM10とは少し種類が異なるようだ。M36だろうか? 確証は持てない。

 女のリボルバーの照準は定まっておらず、構え方は明らかに素人のそれだった。
 金髪の男が僕の盾になっているから、発砲を躊躇しているようだ。
 そしておそらく彼女の腕前と今の精神状態なら、この男に被弾する可能性は高い。

 カウンターの前のソバージュの女との距離がおよそ三メートルにまで接近した時、「止まれ」と僕は言った。
 金髪の男は命令通り、その地点に止まった。
 冷房の効いた店内であるが、男の首は汗で滲み、呼吸はかなり乱れていた。体にヤニの臭いが染み付いている。

 ソバージュの女は最大限に憎悪を含ませた顔で、こちらを睨みつけていた。
 青いオーバーオールに白いTシャツ、両耳にはイヤリング、首にはネックレスをしている。
 化粧は派手で、お世辞にもあまり綺麗な容姿とは言い難い。身長は百六十五センチほど。女にしては高身長で、体型は僅かにグラマーだ。

「銃を下ろした方がいい」僕は冷たい声色で言った。「君も自分の彼氏に、マクドナルドなんかで死んでほしくはないだろう」
「あんたを撃ち殺してやる」ソバージュの女は一音ずつしっかりと発音して言った。
「君の彼氏の体に穴が空いた後にか? 君が発砲したところで、僕は必ずこの男を盾に取るぜ?」

 ソバージュの女は一瞬だけ、躊躇う素振りを見せた。
 だが彼女は僕の警告には従おうとせず、振り返ってカウンターの向こうにいる三人の店員に銃を向けた。
 店員の一人、小柄で華奢な女の子が小さな叫び声を上げた。

「こいつらを今から一人ずつ殺してほしくなければ、彼を解放して」
「やりたきゃやればいいさ」僕は微笑を浮かべた。「ただし、三人殺せばその時点で死刑が確定だ」
 ソバージュの女は数秒間、三人の店員に向かってリボルバーを構える姿勢を維持したが、やがて振り向いて再びこちらに銃口を向けた。『死刑』という概念が彼女の理性に届いたのかもしれない。
 店内は数秒間、重苦しい沈黙に包まれた。対照的に、スピーカーからは陽気な中南米の音楽が流れていた。

「もう一度言うぞ。銃を下ろすんだ」僕はゆっくりと言った。「そもそもはファスフード店を強盗して何になる? リスクに対してリターンが少ないと思わないか? 少なくとも僕は合理性に欠ける行為だと思う。今回は潔く諦めて、次はもっと適切な環境を狙った方がいい。銀行とか宝石店とかな」
 しかし、やはりソバージュの女は僕の忠告に耳を貸そうとする気配はなく、頑なにリボルバーを下ろそうとはしなかった。

「てめえ、一体何者だ?」金髪の男が少し顔をこちらに振り向かせた。「芸能記者っての、あれは嘘だったみたいだな。本当は何だ?」
「ただの探偵さ」僕は答えた。「けれども探偵も記者も、他人の秘密を暴いて利益を生み出すという仕事は共通している。本質的にはそう変わりない」
「はっ、探偵ってことは、どっちみち企業勤めってことだ。ただの社会人がこんな真似して、てめえの首が飛ぶんじゃねえのかよ」
「君たちは知らないだろうがな、探偵というのは想像以上にヤクザな仕事なんだ」僕は口元を緩めて言った。「これまで仕事のために、少々手荒いことも何度かやってきた。法に抵触するような行為も経験がある。手段を選ばないのさ。要するに君は、絡む相手を間違えたんだ」

 金髪の男は鼻で笑った。「お前、見かけによらず相当イカれてやがるな」
「そいつはお互い様だろう。僕からすれば、マクドナルドを強盗しようなんて発想は常人のそれじゃない。仮に思いついたとしても、普通はやらない。だが君たちは実行した。ある意味、賞賛に値するよ。まあ、結果としては失敗に終わったがな」
「てめえさえいなけりゃ……全部上手くいったんだ。許せねえ。くそがっ、こんなことがあってたまるか。てめえだけは許さねえぞ。何があっても絶対に殺してやる」

 僕はわざとらしく小さく溜め息をついた。「おそらく君は、これまで散々暴力で他者を支配してきたんだろう。職業柄、君のような人間を見ていればそれが手に取るようにわかる。
 君は常に優勢な立場にいて、他者を劣勢な立場に追い込んでいたはずだ。誰も君に逆らえなかった。いつだって好き勝手に振る舞えた。周囲の環境が君を甘やかし、君をどんなことだってできると思い込ませた。
 だがな、そういった生き方はある一定の段階を超えると通用しなくなるんだ。必ずどこかで君の暴走は止まる。例えば、それが今の状況さ」

 遠くの方から、何台ものパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 マクドナルドの店内で行われた取り調べはおよそ二時間にわたり、我々が解放されたのは午前三時を過ぎる頃だった。

 しかし事件の詳細な実況見分のために、我々は明日も-厳密には今日だが-事件現場となったマクドナルドを再び訪れることを警察から命じられていた。

 警察を呼んだのは、同僚の彼女だった。僕がソバージュの女と交渉をしている間、彼女が密かに通報をしてくれていたのだ。
 金髪の男とソバージュの女の二人は、現行犯で逮捕された。
 そして二丁のリボルバーは一度も発砲しなかった。最終的には、事は穏便に運んだのだ。

 降りしきる雨の中、僕と彼女は午前三時の横浜の街を車で走っていた。
 フロントガラスの雨粒を、ワイパーが際限なく拭っている。
「ねえ、何であんなことしたの?」助手席から彼女が訊いた。
「あんなことって?」僕は訊き返した。
「とぼけないでくれる? わざわざ状況を悪化させるような、危険な行為を冒したじゃない? 一歩間違えれば、死んでたかもしれないのよ?」
「しかし、結果的に我々はこうして問題なく会話ができている」

 彼女は溜め息をついた。「結果的にはね。でも、あなたって本当に掴めないというか、何を考えてるのかよく分からない時がある。そういうのって、仕事仲間として致命的だと思わない?」
「確かにね」僕はヘッドライトが照らす路面を見つめながら答えた。
「そもそもはあのカメラ、『命の次に大切な物』だって言ったよね? それなのに、あなたは命を落としかねない行動を起こした。命の価値とカメラの価値が逆転しちゃってるのよ。どうしてそこまでして、カメラを守ろうとしたの」
「さあね」僕は苦笑した。「社会正義のためかな」

 信号が赤に変わった。シビックは横断歩道の手前で停車した。
 日中なら多くの車が行き交う交差点も、さすがにこの時間の交通量は少ない。

「真面目に答えて。いい? 私は本気で怒ってるのよ」
 僕は助手席の彼女を見た。確かに、目には怒りの色が浮かんでいた。
「わかったよ」僕は言った。「理由は複数あるんだ。一つに、どうしてもカメラを取られたくなかった。
 車のキーを渡してしまった以上、同時に車中にあったビデオカメラも自動的に彼らの所有物になってしまう。つまり、僕の一眼レフまで渡してしまえば、市長の不倫の証拠は我々の手から完全に離れ、仕事が失敗に終わることを意味する。それだけは避けたかったんだ。
 それに、こちらの所持品を全て無抵抗で渡したところで、我々の命が助かるという保証はどこにもなかった。だから、あのタイミングで反撃という賭けに出ることにしたわけだ」

 信号が青に切り替わった。僕はアクセルを踏んでシビックを発進させた。
「ふうん、なるほど。理由を聞いたら、少しは納得できたかも。少なくとも合理的ではある」
「でも、最大の理由は他にあるんだ」
「え?」
「多分、楽しみたかったんだ。最初から目論んでいた。強盗犯に逆らい、対立し、制圧することを。ゲーム感覚だったんだと思う。マクドナルド強盗犯を撃退するというゴールを設定して、僕はあの状況を楽しんでいた」

 車内に数秒間の沈黙が流れた。
「信じられない。あなた、そんなんじゃ命がいくつあっても足りないわよ」
 僕は少し笑った。「ある意味で僕自身も、あの男のように暴走していたのかもしれないな」

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