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短編小説「テスト前夜の調査」②

【全③話】

 五分後、僕はセブンイレブンに到着した。
田中はまだ来ていなかった。
スマートフォンの電源を入れると、『0時24分』とロック画面に表示されている。

 駐車場にはアコードとスペーシアがそれぞれ一台ずつ駐まっていて、店内には数人の客の姿があった。
僕は衝突防止用のポールに背を預けて、田中の到着を待った。

 じわりとまとわりつくような日中の蒸し暑さとは違い、夜は快適な涼しさを感じる。
風呂上がりのTシャツに短パンという格好が、ちょうど良かった。たまに風が吹くから、余計に暑さを感じない。
そしてここからでも-微かではあるものの-祭囃子はちゃんと聞こえてきていた。
ここまで、それは一度も中断することなく継続的に演奏されている。

 僕より三分遅れて、田中が小走りで到着した。僕も田中も、坂道を考慮してどちらも徒歩で来た訳だ。
祭囃子についての考察もそうだったが、やはり思考が少し似ているのかもしれない。

 田中も僕と似たような服装だった。
僕の方へ近寄ると、「わりいわりい」と言って田中はスマートフォンをポケットから出した。「あら、まだ約束の時間まで二分もあんじゃん。じゃあ、やっぱり謝罪は撤回」
 なんだ、こいつ。ちょっと腹立つな。
「ほら、とっとと済ませろよな、買い物。こっちはあんまり時間ないんだから」
「いやいや、お前も来いよ」
「え」
「アイス買おうぜ。頭を働かせるには、糖分が必須だろ? テスト勉強なら尚更だって」

 そういう訳で、僕も田中もセブンでアイスを買い、駐車場でそれを食べることになった。
僕が買ったのはハイチュウのアイスバーで、田中はガリガリ君のチョコミント味だった。
「風情があるよな、祭囃子聞きながら食べるアイスって」田中はガリガリ君を咀嚼しながら言った。
「正式な祭囃子じゃないけどな」僕もハイチュウのアイスを咀嚼しながら答えた。
「なんだよ、正式な祭囃子って?」
「そんなの、祭りとかのイベントで披露されるやつだろ。『祭』囃子なんだから」
「じゃあ、これは非公式な祭囃子なのかよ」
「そりゃそうだろ。こんなの非公式に決まってる」

 田中と『正式な祭囃子』の定義について軽く議論を交わしていると、いつの間にかアイスは全て僕の胃の中に収まっていた。
食べ終わった後も、口の中がひんやりとしていて心地良い。もう充分な息抜きになった気もするけど、勿論本来の目的はこの先にある。

 店内に設置されてあるゴミ箱に棒と袋を捨てた後、僕と田中は祭囃子が聞こえてくる山に向かって歩き出した。
今日は天気が二日振りに晴れだったので、星がよく見える。雲はまばらで月明かりはないから、それは特に鮮明に浮かび上がっていた。

 数分後、僕らは山へと続く坂道を登っていた。
結構な急勾配であるため、自転車で来なかったことは正しい判断だった。
山に近づいていく度に、祭囃子の音はどんどん大きくなり、はっきりとその存在感を強めていく。
「一度も中断せずに演奏続けてるって、なかなか凄いよな」
「ああ、音質からして間違いなくライブだもんな」
「マジで、どんな奴らが演奏してんだろ」
「まあ、行けば分かるさ」

 この町は海に面していて、海水浴場がある。
そのため、日中は少し坂を登れば海が見渡せるのだが、今は振り返ってみても真っ暗で何も見えない。海は完全に闇の中だ。

 等間隔に設置された街灯の下、僕と田中は若干息を切らしながら坂道を登り続けた。
自然と、僕らの口数は減っていく。
僕は心なしか、心拍数が高まるのを感じていた。

 この時間になると、道の両側に軒を連ねる家々はその多くが消灯していた。
他の人たちは、この祭囃子が気にならないのだろうか? どう考えても、睡眠の妨げになりそうな音量を発しているが。
僕が家を出た時、家族はみんな寝ていたため、祭囃子のことは訊けていなかった。

 坂を登り終え、平坦な道に着いた僕と田中は、山に登るためのコンクリートの階段の前に立った。
この先で、問題の演奏は聞こえている。近くに行くと、それは想像以上に大きな音だった。
階段を上がり、山を登っていけば、やがて演奏者たちの姿ははっきりとするだろう。

 風で木々がざわめき、どこか山全体が不気味な雰囲気を宿している気がする。
夜間に山を登ったことなんてないから、少し尻込みしてしまうが、それを田中に悟られる訳にはいかない。

「よし、登るぞ」田中は息を吐き出すようにして言った。
「億劫だなあ」僕は本心を口に出してしまっていた。

 その時だった。僕らの傍を、一人の高齢の男性が通りがかった。リードに繋げた犬を連れている。暗くて判然としないけど、柴犬だろうか。

 おじいさんは僕らの前で足を止めた。ポロシャツに、スラックス、サンダルという格好だ。短い白髪で、眼鏡をかけている。「君たち、こんな時間に山登りかい?」
「え、いや、ちょっとこの祭囃子の音を、確かめに」田中はしどろもどろといった感じで答えた。
「祭囃子? 一体なんのことかね?」

 おじいさんさんは怪訝そうに僕らを見ている。犬は僕らのことなんて気にも留めない様子で、坂の下をじっと見つめていた。
「え、聞こえませんか? この祭囃子」
「ええ?」おじいさんさんは耳をそばたてた。「いやあ、何も聞こえないけど?」
 まさか。そんなはずはない。今この瞬間にも、祭囃子は山の中から明瞭に聞こえてきている。
おじいさんは僕らと普通に会話ができているから、聴覚に問題があるという訳じゃなさそうだ。

「本当に聞こえないよ? 祭囃子の音なんて、全く」
「いやいや、聞こえるじゃないですか? こうやって、山の中からはっきりと」
「聞こえないねえ。君たち、幻聴でも聞いているんじゃないか?」
 田中はかぶりを振った。「幻聴なんかじゃありません。もう三十分以上は聞いてるんです。俺たち」
「ううん」おじいさんさんは唸った。「しかし私にも、この小次郎にも、聞こえていないようだ。これはつまり、君たちだけに聞こえているということじゃないのかな」
「僕たち、だけに?」
「いいかい? 悪いことは言わない。山を登るのはやめておきなさい。山の中から、何かが君たちを誘っているのかもしれないよ」

 僕と田中は互いに顔を見合わせ、それから山を見上げた。
この祭囃子は、僕らを山へと誘っている? 

「大体ね、こんな夜中に山道を歩くのは危険な行為なんだ。絶対にやめた方がいい」
 僕と田中は言葉を返せなかった。
「じゃあ、私は忠告したからね。さっ、行こう。小次郎」
 そうしておじいさんさんは犬を連れて、坂道を下っていった。

 祭囃子が鳴る山を見つめながら、暫く僕らはその場に立ちすくんでいた。
仮にこの演奏が僕らを山へと誘う目的だとしたら、かなり気味の悪い話だ。
「考えてみたらさあ」田中はぼそりと呟いた。「そういう可能性って、今まで考えないようにしてたよな」
「ああ。意識的に除外してた」
「妖怪や、もののけの類い」
「僕は、そういうのって信じないスタンスだったけど」
「そりゃあ、俺もだよ」田中は少し語気を強めて言った。「でも、この祭囃子が俺たちだけに聞こえてるっていう不可解な事態の、説明にはなるかもしれない。論理的には破綻してるけどさ」

 僕は小さく溜め息をついた。「田中、やっぱりやめよう。あのおじいさんの言う通りだ。こんなの、普通じゃないんだよ。危険過ぎる」
 田中は僕の方を向かず、山を見つめていた。「俺は行くぞ。一人でも。この祭囃子がなんなのか、どうしても確かめたい」
「僕は降りるよ。ここでやめておいた方が賢明だ。そもそも、家を出てから三十分近く経ってる。さすがに勉強しないと。眠くなる前に」
「分かった」田中は頷いた。「大人から忠告されちゃってる訳だし、無理強いはしない。約束の時間もとっくに過ぎてるしな」
「本当に、一人でも行くのか?」
「ああ」
「やめろって言っても、聞かないんだな?」
「そのつもりだ」
「そっか。じゃあ、僕は帰るよ」
「分かった」

 僕は山に背を向けて、二、三歩歩き出した。それから田中の方を振り返った。「田中」
「うん?」
「気をつけろよ。本当に」
「大丈夫だって。ヤバそうだったら、すぐに俺も帰るから」
「ああ、そうした方がいい」
「八木。演奏者の正体が分かったら、その場でLINEで教えてやるから。楽しみにしとけよ」
「楽しみにしとくよ」僕は少し笑みをこぼした。「じゃ、また明日な」
「ああ、学校でな」

 そうして僕は、数分前に登ってきた坂道を下っていこうとした。
「あ、八木っ」祭囃子に混じって、背後から田中の声がした。
「なんだよ?」僕は振り返った。
「勉強、頑張れよっ」
「おうっ」僕は軽く片手を上げた。

 謎に包まれた祭囃子の音を聞きながら、僕は一人坂道を下っていった。   

【③へつづく】

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