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九キロは長すぎる(18)

 正門を出て、中学通り線沿いの歩道を、立花と並んで東に歩いていた。

 日が傾き、街灯はすでに点灯している。街明かりが徐々に目立ち始める時間帯だ。
 吹きつける二月の風の冷たさに、思わず身震いしそうになる。
 コートのポケットに両手を入れながら、住宅やマンションが建ち並ぶ通りを進む。

 歩きながら僕は、最初の推論を口にした。「——水本に、脅迫電話をかけていた人間の正体は、柏木先生だ」
「ああ、間違いなく柏木先生だよ」
 立花も肯定する。「竹内さんの撮った写真が、芹沢と柏木先生が恋人同士だったことということを明確に示している。そのことを前提に考えると、脅迫者の正体は、もはや柏木先生以外にはいないよ」

 僕は首肯し、「もちろん、芹沢と水本小百合も恋人同士だった」と付け加える。「芹沢と水本が付き合い始めたのが、およそ半年前から。一方、芹沢と柏木先生も、——竹内が撮った写真から推測すれば——少なくとも一ヶ月以上前から付き合っていたことになる。
 つまり、芹沢が二人と交際している時期は、かぶっているんだ。竹内の言った通り、芹沢は二股をかけていた。そのことが正しければ、柏木先生には、水本に脅迫電話をかける動機が生まれるはずだ」

「嫉妬、だね。いや、憎しみに近いか」
「あるいは、その両方だろうな。——ある時、柏木先生は知ってしまったんだろう。自分の他に、芹沢にはもう一人女がいることを。しかもそれが、自分の教え子である水本小百合だと判明した。
 当然、柏木先生は芹沢の不徳を、——いや、そもそもは犯罪なわけであるが——強く責め立てたはずだ。だが、やがてその怒りの矛先は、芹沢のもう一人の恋人である水本小百合に移ることになる。柏木先生は水本に対して憎悪を抱き、ついにその歪んだ悪意は、匿名で脅迫電話をかけ始めることにまで発展してしまった」

「柏木先生は水本さんのクラスの担任だ。したがって、生徒個人の電話番号を把握できる立場にあるね」
「そう、柏木先生は水本の携帯の番号を簡単に知れる。その上、水本と毎日顔を合わせて、声を聞かれる立場にある人間——それが、担任の先生なんだ。
 僕たちが当初推論した通り、脅迫者は水本に近い人間だった。当然、水本は柏木先生の声を鮮明に記憶している。だからこそ、自分の生の声が教え子に聞かれれば、間違いなくその正体を見抜かれてしまう。ゆえに、ボイスチェンジャーを使う必要があった」

「おまけに椎名さんの証言によると、脅迫電話は結構な数がかかってきていたらしい。水本さんが非通知からの電話を着信拒否に設定にしたら、今度は公衆電話を使ってかけ始めた。もはや執念だね。
 それだけ、柏木先生が強い憎悪を抱いてことが窺える。実際、かなりひどい言葉を浴びせてたみたいだし。それに、自分が恨んでいる相手と毎日教室で顔を合わせるわけだから、その分、憎しみも膨らんでいくことになったはずだ」
「ああ、多分そうなるはずだ」
 僕は同意する。「それから、おそらく柏木先生は暴言の他に、こうも言ってたんじゃないか? 『芹沢と今すぐ別れろ』、と。先生が脅迫電話をかけた本質は、多分そこにあるはずだ。だから、『別れろ』という柏木先生の望みが強く反映された言葉を、口にしなかったとは思えない」
 一瞬、間があった。

「そうか」
 立花は腑に落ちたように、ギョロ目を見開く。「水本さんが脅迫電話の件を、頑なに警察に相談しなかった理由——それだったんだ。水本さんは芹沢との関係を、周囲に秘密にしていた。もし、脅迫電話の内容を警察に伝えることになるなら、『芹沢と別れろ』と言われたことについて言及しないわけにはいかない。だからこそ、相談することができなかった。
 なぜなら、芹沢との禁断の関係を、暴露するわけにはいかないからだ。きっと水本さんは、正直に話してしまうか、それともこのまま関係を隠し続けるか、その板挟みで悩んでいたはずだ」
 そう。水本が脅迫電話の件を警察に相談しなかったのは、そこに芹沢の名前が絡んでいたからだったのだ。
 だから、相談したくてもできなかった。水本は、そういうジレンマに陥っていた。それが真相だろう。

 僕は静かに白い息を吐く。「水本が脅迫者を『女ではないか』と考えたのは、単なる憶測じゃなかったんだ。『付き合っている彼氏と別れろ』なんて執拗に言ってくるのは、——ストーカーでもない限り——間違いなく同性だろう。
 ボイスチェンジャーで声が加工されていても、水本は相手が女であると見抜くことができたわけだしな。それに、『芹沢は異性からモテるだろうから、そういう恋敵のような人間がいてもおかしくはない』と、水本は考えたかもしれない。……以上の内容から、脅迫者の正体は、僕たちの担任、柏木瑠美であったと結論づけることができる」
 立花が浅く頷くのが、横目で見えた。

 歩行者信号が赤に変わり、僕と立花は横断歩道の前で立ち止まる。
 交差点を車が途切れることなく行き交い、日没が迫る夕焼けの空を鳥の群れが急ぐように西へと飛んでいく。

 僕は赤信号を見つめながら、話を再開した。「次に、水本が殺された件について。前提として、水本が殺されたことは間違いない。そして、芹沢がそれに関与していることも間違いない。
 でも、アリバイがある芹沢には、単独での犯行は不可能だった。だから昨日、僕たちは他に『共犯者』がいるのだろうと考えた。昨日の時点では共犯者の特定はできなかったけど、今ならそれができる」
 そう言って、少し間を置く。「芹沢にとって、——水本を除けば——最も近くて深い関係にある存在が、恋人である柏木先生だ。それに、芹沢と柏木先生は、二人とも水本を邪魔に思っていた。
 となると、お互いの動機は共通することになる。自然と二人とも意見が合致し、結束するはずだ。つまり、『脅迫電話をかけた人間の正体は、柏木先生である』という前提が真であるなら、『芹沢と共に水本殺害を実行した共犯者は、柏木先生である』ということになるはずなんだ」

「僕も同じ意見だ」
 立花も素早く賛同する。「草野くんの言うように、芹沢にも柏木先生にも、どちらにも水本さんを殺す確かな動機があった。芹沢に関しては当然、水本さんの妊娠の件だ。水本さんには中絶する意思がないから、このままでは自分は破滅してしまう。それを防ぐために、芹沢は水本さんの口を塞ぐ必要があった——殺害という形で。
 そして、脅迫者である柏木先生は、水本さんのことをひどく恨んでいた。自分のクラスの教え子であり、恋人の浮気相手である水本さんを殺したいほど憎んでいた。その気持ちがまさに、脅迫電話の内容と、執拗に何度もかけ続けたことに反映されている。つまり二人の動機は、そのどちらも水本さんへの悪意から端を発する」
 僕は首を縦に振った。「そう。二人とも、水本にはこの世から消えてほしかったんだ。そして両者の利害は一致し、共犯関係が成立する。……二人が殺害の計画を立てたのは、あのボイスレコーダーで録音されたやりとりがあった、日曜日以降だろう。
 話し合ったんだ、日曜日から金曜日の間に。水本を自殺に見せかけて殺すための綿密な計画を、二人で立てたはずだ」

 立花は厳粛な面持ちで、「本心としては認めたくはないけど、状況がそれを明示している」と言った。「柏木先生イコール共犯者、という等式が成り立つことはもはや否定できない。柏木先生以外に、共犯者は存在しないよ。……つまり、脅迫者こそが殺人者だったんだ」
「そういうことになる。芹沢には、鉄壁のアリバイがある。となると主犯は、必然的に柏木先生だ」
 そうして僕は、次の言葉を発するために少し息を吐く。「柏木先生が……水本を殺したんだ」

「……それ以外、考えられないね」
 立花も乾いた声で、同調する。「状況的に考えて、水本さんを殺害するための条件を満たすのは、柏木先生だけだ。……それに柏木先生は脅迫電話で、水本さんに対して『死ね』や『殺す』などといった、犯行予告とも取れる言葉を日常的に吐いていた。
 そのことから、明確な殺意を抱いていたことは自明だ。しかも、水本さんはお腹に芹沢との子を宿していた。その事実を知った柏木先生は、許せないと思ったはずだ。そしてその強い殺意を基に、殺害を実行したんだろう」

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