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短編小説「アンディ・ブラウンを探せ」

 依頼人は突然やってきた。

 その男はいかにも尊大な態度で革張りのソファに腰を下ろし、私と向かい合った。
 背もたれに体を預け、金色のライターで煙草に火をつけると、彼はゆっくりと煙を吐き出した。

 年齢は四十代半ばから後半。短い茶色の髪にはいくらか白髪が混じっている。身長は百八十センチほどで、スーツの上からでもわかるほど筋肉質な体つきをしている。
 そして額の傷跡が、彼がカタギの人間ではないことを示唆していた。

 私は窓を打つ午後の雨の音を聞きながら、彼が言葉を発するのを待っていた。
「エリック・コイル」彼はローテーブルの上の、ガラスの灰皿に灰を落としながら言った。「君がマンハッタンで最も人探しに優れた探偵だって聞いてね。実に評判がいい。それで、君なら私の依頼に完璧に応えてくれるだろうと思ったんだ」
「光栄です」私はビジネスライクな笑みを浮かべた。「ということはつまり、依頼内容は行方不明人調査ということでしょうか?」
「そういうことだ」彼は首を縦に動かした。「申し遅れたね。私はトム。トム・カートライトだ。いわゆる、一般社会に属する人間ではないと考えてもらって構わない」

 私は理解しているといったふうに、軽くうなずいた。
 原則的に、善良な探偵ならばギャングやマフィアからの依頼は丁重に断るものだ。だが、私は善良な探偵ではない。
 金さえ手に入れば、依頼人はこだわらない。依頼内容も。それが私の貫徹したポリシーであり、評判に寄与する部分でもある。

「この男を探してほしい」カートライトはスーツの懐から一枚の写真を出し、テーブルの上に置いた。
 私は写真を手に取った。こちらを真っ直ぐに見つめる、一人の男が写っている。
 白人。年齢は二十代後半から三十代前半。ブロンドの髪は薄く、額はかなり後退している。切れ長の目の下のクマは目立ち、頬はこけており、病的なほど痩せている。そして極端なほどに薄い唇。
 印象的には、ドラッグ中毒者を想起させるような顔立ちだった。

「彼の名前はアンディ・ブラウンという」カートライトは二本目の煙草に火をつけた。「率直に言おう。彼は殺し屋だ。組織のために、これまで従順に働いてくれた。だが、一週間前に突然いなくなった。それ以来、連絡も取れなくてね。消息がわからなくなっている。この男の行方を君に突き止めてほしいんだ」
「ミスター・カートライト」私は写真をテーブルの上に置いた。「職業上、彼は色々な人間に恨みを買われている可能性があります。それならば、彼はすでに死体となって、ハドソン川に流されているかもしれません」
「だとしても」彼は鋭い視線を私に向けた。「それはアンディを捜索しない理由にはならない。仮にアンディが誰かに殺されたのだとすれば、彼の遺体を見つけ、殺した人間を見つける必要がある。私にはその責務がある」

 カートライトが排出する煙と一緒に、沈黙が狭いオフィスを漂った。
「わかりました」私は口の端を持ち上げた。「引き受けましょう。アンディ・ブラウンの居所を、見つけてみせます」
「期待してるよ、名探偵」彼は口元に不敵な笑みを浮かべた。

 カートライトがオフィスを出ていった後、私はさっそく仕事に取りかかることにした。
 といっても、私の調査方法は少々変則的で、今回のような行方不明人調査なら、尾行や聞き込みといった外からの情報は必要としない。情報は、私自身から手に入る。
 私は椅子に浅く腰掛け、デスクの上に肩肘をつき、アンディ・ブラウンの写真に意識を集中させた。
 写真から漏れ出るいくつもの抽象的なイメージを脳内で手繰り寄せ、具体的なイメージへと固めていく。感覚的には、ルービックキューブやジグゾーパズルのそれに近い。
 そしてこういった繊細で神経を使う作業を続けていくことで、およそ三十分後、私はアンディ・ブラウンの所在を突き止めることができた。

 この特殊な調査方法こそが私の企業秘密であり、専売特許だ。
 物心ついた頃から自覚していたその体質は、世俗的な表現を使えば超能力と形容され、私は超能力者に分類されるのだろう。
 私が『マンハッタンで最も人探しに優れた探偵』だと評される理由はそこにある。
 カートライトから受け取った小切手を金庫に仕舞い、スーツの懐に三十八口径を忍ばせると、私はアンディ・ブラウンの死体と対面するために、静かにオフィスを後にした。

 ニューヨークの中心部を走るなら、ひどい交通渋滞に巻き込まれることは避けられない。ましてや、この雨の中だとそれは宿命的な事象に変わる。

 私はチェルシーのダンキンドーナツで買ったコーヒーを啜りながら、車の流れが改善されるのを待っていた。
 雨粒がつたうフロントガラスの向こうには、見事な大都会の喧騒が広がっている。
 クラクションがあちこちから飛び交い、イエローキャブは列をなし、傘を持った人の往来は決して途絶えることはなく、巨大な電光掲示板の広告は際限なく宣伝を繰り返す。
 週の真ん中の帰宅ラッシュ。雨のマンハッタンは、誰もが生き急いでいるように見えた。

 七番街の交差点を右折し、ミッドタウン・イーストに差し掛かる頃になると、交通量は徐々に減少し、時速四十マイルを出せるようになっていた。
 私の運転するシボレー・カマロはレキシントン・アベニューを北上し、レノックス・ヒルを東進、それからイースト川に架かる橋梁を渡り、ロングアイランドに繋がる有料道路を走り続けた。    
 やがて車は、ロングアイランドの西部、小さな浜辺の町に到着した。

 私は二階建ての白いモダンな外観の家の前にカマロを停め、小走りで玄関のポーチまで向かった。
 雨はまだ勢いよく降り続けているが、わざわざ傘をさすほどの距離でもない。玄関まで向かえば、そこには雨をしのいでくれる屋根がある。
 時刻は午後七時過ぎ。外はすっかり真っ暗で、ハンバーガーを胃の中に放り込むにはベストな時間帯だ。
 すぐ近くには海が広がっているものの、今は闇の中に埋もれていて何も見えない。そして雨の音は波のざわめきを掻き消し、濡れたアスファルトの匂いは潮の香りを遮っていた。

 ガレージには、ホンダ・アコードが一台停まっていた。一階の窓から部屋の灯りが漏れているのを確認し、私はドアの前に立った。
 この家の中に、アンディ・ブラウンを殺した人間がいる。確証はない。それは状況から導き出された仮説に過ぎない。
 ドアを何度かノックすると、数十後に向こうから鍵が開く音がした。
 中から警戒心を纏いながら出てきたのは、三十代前半ほどのスレンダーな黒髪の女だった。長身でブルーの瞳は大きく、鼻はつんと尖り、少し上を向いている。なかなかチャーミングな顔立ちだ。

「なんでしょうか?」彼女は私を見つめがら、怪訝そうに言った。
「突然すみません」私は探偵のライセンスを掲げた。「ニューヨーク市の公認私立探偵、エリック・コイルという者です」
「探偵?」
「ええ。ミスター・ブラウンを探しているのですが、彼がこの家に滞在していると伺ったもので」

 彼女は一瞬、目を見開き、唇を引き結んだ。その表情は明らかに動揺を物語っていた。それからすぐに視線を逸らし、「アンディ・ブラウンなんて人間、私知りません。聞いたこともない」と俯き加減で言った。
「ミスター・ブラウンのファーストネームはアンディと言うのですか?」私は皮肉っぽく微笑んだ。「申し訳ない。たった今、初めて知ったんです。あなたはよくご存知のようで。彼とはどういった仲なんです?」
 彼女の目が吊り上がり、容赦なく私を睨みつけた。彼女の瞳には、私の三文芝居には付き合いきれないとでもいうような、はっきりとした敵愾心が感じ取れた。
 しかし、彼女が犯したミスは致命的だった。それは幸運にも、アンディ・ブラウンのことについて真っ向から追及する機会を与えてくれた。

「話していただけませんか、彼のこと?」
 だが、彼女は再度俯き、答えようとはしなかった。
 我々の間に重苦しい沈黙が流れ込んだ。頭上の屋根を叩きつける激しい雨の音以外は、何も聞こえてはこなかった。
 やがて彼女はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。「いいでしょう。でも、ここじゃなんですから、よかったら中へお入りになって」

 居間のマホガニーのローテーブルを挟んで、私と彼女は向かい合った。彼女はエイミーと名乗った。
 そして私はエイミーが淹れてくれたコーヒーには、敢えて口をつけなかった。
 エイミーは伏せ目がちに何度か瞬きした後、「アンディ・ブラウンは、私が殺しました」と溜め息混じりに言った。今にも消え入りそうな声だった。
「なぜ?」

 この疑問には、二つの意味が込められていた。一つは単純に、アンディを殺した動機。そしてもう一つは、その事実を会ったばかりの私に懺悔した真意。
「夫の仇です」エイミーは思い直したように、私を真っ直ぐ見据えて言った。「アンディ・ブラウンは殺し屋で、狙撃手でした。夫は彼のターゲットではなく、ただ意味もなく巻き込まれたんです。何の罪もない、善良な一般市民である夫は、一人のクズに撃ち殺された」
「それであなたは、復讐を」私は口元に握り拳を当てた。「しかしそこまでの情報を、あなたはどうやって突き止めたんです? あなたの夫を殺した人間の正体がプロの殺し屋で、アンディ・ブラウンという名前の狙撃手であると? それから、彼の居所も」
「それは、あなたのような職業の人間に、依頼したんです」
「なるほど」

 彼女からさらに詳細な情報を聞き出そうとした時、ふと足音が聞こえてくることに私は気がついた。
 二階から静かに階段を降りてくる、誰かの足音だ。
 その人間は細心の注意を払うかのように、用心深く慎重に降りてきていた。それでも私には、微かな足音と階段の軋む音を聞き取ることができた。
 それは何の脈絡もない、突発的な予感だった。姿の見えないその人間は、私に殺意を向けているのではないかという気がしたのだ。
 私はとっさの判断で、カウチソファを飛び越えた。
 予感は的中した。キッチンの陰に身を隠した次の瞬間には、一発の銃声が響いていた。背後で食器棚のガラスが割れ、その破片が床に散らばった。

「スペンサー! 早くその男を殺して!」焦燥感を滲ませた女の声だ。落ち着いたさっきまでの雰囲気とはまるで別人だが、それは確かにエイミーの声だった。
「ああ、わかってる!」苛立ちを含んだ男の声が応じた。スペンサーだ。「くそっ。こいつ、どうやってわかったんだ?」
 さらに数発の弾丸が発射された。今度はワインの瓶が粉砕し、果物の中身が飛散した。そして薬莢が床に落下する音が、向こうから立て続けに聞こえた。
 洒落た大理石のキッチンが遮蔽物となり、私を一時的に銃弾の雨から守ってくれている。だが、依然として危機的な状況にあることは自明だった。

「おい! どうしたよ、三流探偵? さっきまでの余裕ぶった態度はどこにいきやがった? それとも俺が怖いか!」
 スペンサーが安っぽい挑発の言葉を口にしながら、銃を構えてこちらに回り込んできていることは、わざわざ視認せずともわかっていた。私は三十八口径の撃鉄を起こし、反撃のタイミングを窺った。
 五発の弾丸が間隔を空けずに撃ち込まれた。見るからに高価そうなオークの食器棚は、見るも無惨な状態になっていた。
 私は息を止めた。そしてキッチンの陰から素早く体の右半身だけを出し、スペンサーの方向を狙って引き金を引いた。

 弾丸は彼の左脚に命中した。スペンサーはピストルを握ったまま、勢いよく床に倒れた。
 それと同時に、エイミーの取り乱した悲鳴が部屋中に響き渡った。

 週末、私はセントラル・パーク近くのレストランで昼食を摂っていた。
 窓辺の席で、午後のマディソン・アベニューを行き交う人々や車を特に意味もなく眺めながら、熱いコーヒーを啜った。

 私の向かいでは、ニューヨーク市警刑事、フランクリン・ハワードが大して美味しくもなさそうに、パストラミビーフのサンドイッチを口に運んでいる。
 フランクリンとは四年前まで同僚で、ニューヨークの警察官の中で唯一彼とだけ、例外的に友好な関係を築けている。

「あの夫婦はイカれてる」フランクリンは吐き捨てるように言った。「エリック、やつらの家の地下には何があったか知ってるか?」
「ニューヨーク・ポストを定期購読しているからな」私は浅くうなずいた。
「スペンサー・スミスとエイミー・スミスの夫婦は、今までに殺した人間の頭部をホルマリン漬けにして、地下に保管していた。『記念品』としてな。それが合計でいくつあったと思う?」
「十三個」
「そうだ」フランクリンは苦虫を噛み潰したような顔をした。「この数年、ニューヨーク州全域で行方不明になっていた、十三人の被害者の頭がずらりと並んでいた。異常だよ。刑事になって七年以上が経つが、これほどまでにイカれた犯罪者は初めて見た」
 私は小さく溜め息をついた。「シリアルキラーの夫婦、か」

 確かに私の『超能力』は、アンディ・ブラウンの居所へと正確に私を導いてくれはした。だが、そこにあったのはあくまでも彼の一部だった。
 そして私の訪問をきっかけに、図らずともスミス夫妻のこれまでの犯行が露見したというわけだ。彼らはきっと、ロングアイランドの異常連続殺人犯の夫婦として、米国の犯罪史に名を刻んだはずだ。

「彼ら、アンディのことはなんて言ってる?」
「ああ。二人とも証言は一致してるよ」フランクリンはコーヒーを一口飲んだ。「犯行を重ねていくうちに、やつらの中に徐々に罪悪感が芽生えていったらしい。人を殺すということに若干の抵抗があったと主張してる。そこで、ターゲットを途中から殺し屋に切り替えた。職業的に普段から人を殺している人間なら、殺しても自責の念を感じなかったんだと」
「彼らなりの論理というわけか」
「まあ、実際はところはわからんがな」フランクリンは鼻を鳴らし、窓の外に視線をやった。「偶然、アンディがターゲットに選ばれただけという可能性もある。いや、多分そっちの方が正しいんだろう。今のところ、被害者の中で裏社会の人間であることが判明しているのは彼だけだからな。罪悪感を抱いたというのはおそらく嘘だ。ああいった連中が、そんな真っ当な倫理観を持ち合わせているとは、どうしても俺には思えん」

 休日ということもあり、店内は席がほとんど埋まっていて、賑わっていた。
 カウンターのテレビは、ヤンキース対レッドソックスの試合を中継しており、画面に見入っている客は決して少なくなかった。我々の会話を聞かれる心配はなさそうだ。
「エリック」フランクリンは私の方に向き直った。「あの夫婦を捕まえられたのは、紛れもなくお前のおかげだ。お前が次の被害者の命を未然に救ってくれた。ニューヨーク市警を代表して、改めて俺から礼を言わせてくれ」
「別にいいさ、そんなことは」私は苦笑して、軽く手を振った。「仕事の依頼が来て、調査した結果、あの家にたどり着いたというだけの話だ」
 奥の客席からわっと歓声が上がった。ヤンキースが一点を取り返したらしい。

「お前のような優秀な人間が市警を辞めたのは、組織からすればかなりの損失だったと今でも思うよ」フランクリンは口元を緩めた。「なあ、教えてくれないか? どうやってお前は一週間も行方不明になっていたアンディ・ブラウンを、たった半日足らずで見つけたんだ?」
「悪いな、フランクリン」私は悪戯っぽい笑みを浮かべた。「こればっかりは企業秘密なんだ」

〈了〉

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