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アライヴ③

 僕の心臓は跳ね上がった。どうして、そのことがバレているんだ? 

 菊池は赤いフレームの眼鏡越しに、僕を射るような目で見た。「ごめん私さ、都築君の斜め後ろの席だから見えちゃったんだ。さっき授業中に、都築君が真剣な様子でスマホに何か打ち込んでて、画面の中に『スピカ』とか『海士有木』って文字が見えたんだよね。あれってさ、このツイートの文章なんでしょ?」

 教室中の視線が僕に集中した。
 文章を打ち込むのに必死で、まさかスマートフォンの画面を見られているとは思いもしなかった。
 詮索好きで、ジャーナリスト志望の菊池の存在を警戒するべきだったのだ。

 クラスメイトが一斉に僕に説明を求めた。まるで法廷の被告人になった気分だ。
「みんな、落ち着きなさいってばっ」佐久間は怒鳴った。「都築がこんなツイートするわけないでしょうがっ」
 でも、佐久間のクラスメイトに対する叱責は効果がなかった。
 寧ろそれは火に油を注ぐ形となり、すぐに各方面から反論が飛び交った。

「なあ都築」中央部の席に座る布施が言った。「この犯行予告をツイートしたアカウントがさ、『知り合いかもしれないユーザー』の一覧に入ってるんだけど。これって、そのユーザーと連絡先を交換してると表示される機能だろ? 俺と都築、電話番号交換してたと思うけど」

 僕に対する疑惑の眼差しは、さらに数を増し、強固なものになっていた。
 だめだ。作戦は完全に失敗だ。
 この混沌とした状況では、説得どころではない。

 容赦のない非難や追及が、僕に向けられている。このままでは僕自身が警察に連行されてしまう。
「都築君」前方の席に座っていた、学級委員長の冷牟田が立ち上がった。「これは立派な犯罪だ。職員室に行こうか、付き添うよ」
「私も行く」冷牟田の隣で、学級副委員長の金子が言った。僕を見るその目は冷ややかだった。

「どうする」中原が小声で言った。
「都築」佐久間が泣きそうな表情で僕を見つめている。
「佐久間、中原」僕は呟いた。「プランBだ。走るぞ」

 僕ら天文部は勢いよく教室を飛び出し、廊下を駆け出した。
 走りながら背後を振り返ると、教室から出てきた学級委員の冷牟田と金子が、呆然とした様子で僕らを見つめていた。

 昇降口で靴を履き替えた僕らは、正門から学校の敷地を出て、住宅街を走った。
 強烈な夏の暑さと、慌ただしい蝉の鳴き声が僕らを迎える。

 スピードを緩めることなく、海士有木高校から徒歩一分の距離にある、海士有木駅までの道のりを走り続けた。
 見上げる青空には巨大な入道雲が浮かび、無数の飛行車が走行していた。

「間に合うと思うかっ」中原は訊いた。
「そんなの、行ってみるしかないでしょっ」佐久間が苛ついたように言った。「本当あいつら、誰のための説得だと思ってんのよ」

 クラスメイトを説得して避難させるというプランAが失敗に終わった今、僕らはプランBに移行せざるを得なかった。
 プランBとは千葉市内に住む犯人の自宅に向かい、事前に犯行を阻止するという大胆な強硬手段だった。

 だが、僕は肝心の犯人の家をまだ特定できずにいた。
 千葉国立大学の近くで一人暮らしをしているという大まかな情報は覚えてはいるものの、具体的な住所はまだ思い出せていなかった。
 つまり、本気で焦っていた。

 正直な話、さっきのクラスの反応もあって、もはや佐久間と中原さえ助かればそれでいいと一瞬だけ思ったりもした。
 だけどやっぱり、見殺しは絶対に間違っている。

 海士有木駅に到着した僕らは、無人の駅舎を通り抜け、ホームに出た。
 数分後、上りの列車がやってきて、乗車した。
 車内は空いていて、乗客は僕らを含めて数人しかいなかった。だけど何故だか僕らは座る気にならず、立っていた。

「犯人の住所、思い出した?」佐久間が窺うように訊いた。
「千葉国立大の近くにあることは確かなんだ……あと、多分マンションだった気がする」
「マンションなんて、周辺にいくらでも建ってるぞ」中原はスマートフォンを操作しながら言った。Googleマップの衛星写真でそれらしい建物を探しているのだ。

 僕は吊り革に掴まりながら、当時の報道を懸命に回想した。
 そんな僕の様子を、二人は黙って見守った。
 当時、世間を震撼させるような大事件を起こした犯人の自宅は、あらゆるメディアで掲載されていた。どこかに、住所を割り出すヒントがあるはずだ。

「あっ」やがて僕は呟いた。「ファミレスだ。確か、隣にデニーズがあった」
 僕がそう言った数秒後、中原がスマートフォンの画面を僕と佐久間に見せた。「ここじゃないか? ゆりの木通りの」

 液晶画面には、確かに見覚えのある白い外観のマンションが映っており、その隣にはアメリカ発のファミレスチェーン、デニーズがあった。
 僕は頷いた。「ここだ」

 およそ五十分後、二度の乗り換えを経て西千葉駅に着いた僕らは、駅から真っ直ぐに続くゆりの木通りを走っていた。
 時刻は一時四十分を過ぎている。犯行時刻まで、残りおよそ三十分。

「犯人が自宅から学校まで寄り道せずに向かうとするなら、飛行車だと十分もかからないっ」僕は息を弾ませながら言った。「だから、まだ家にいる可能性は高いっ」
「私たちとそんなに年齢差ないし、三人がかりなら止められるよねっ」
「いや、凶器を持ってるかもしれないから、用心はした方がいいだろっ」
「万が一そんな危険な事態になったら、佐久間は下がってた方がいいっ。僕と中原で止めるっ」

 数分後、息を切らし、汗を浮かべた僕らは目的のマンションの前にたどり着いた。
 敷地内を歩くと、すぐに駐車場で犯行に使われた飛行車、ミツダのスピカを見つけた。
 僕らは駐輪場の陰に隠れて、マンションから犯人が出てくるのを見張った。

 十分近くは待っただろうか。エントランスから、若い短髪の男が出てきた。
 あれは、液晶画面を通して見た犯人の姿と一致する。
 世良努だ。世良はまさに今、駐車中のスピカに一直線に向かっていた。
「間違いない。あいつだ」

 僕らは駆け出し、世良の周りを取り囲んだ。
 世良は突然の状況に、理解が追いついていない様子だった。僕らを怯えた様子で何度も見回している。

「お前だな」中原は言った。「大量殺人を企むサイコ野郎は」
「なんだ、お前ら急にっ。殺人って、なんの話だっ」
「とぼけんなっ。お前が犯人だろうがっ」佐久間は怒鳴った。
「世良、お前の目的はなんだ?」僕は訊いた。「何がお前をそこまで駆り立てた?」
 だが、世良は僕の問いに答えなかった。

「答えろよっ」中原は力いっぱい世良の胸ぐら掴んだ。「俺らはお前が狙う海士有木高校二年一組の生徒だぞっ。お前のせいで殺されるところだったんだっ」
「なんでそれを……うっ、離せっ……苦しい」世良はうめいた。
 令和を代表する凶悪殺人犯という印象の割に、世良は意外と非力だった。
 この場合、中原が高身長で柔道の経験があるという事実も効果的だった。

「離したら話すかっ」
「わかった……話す……話すから、離せ」
 中原が手を離すと、世良は苦しそうに咳き込んだ。世良の呼吸が整うのに、十秒以上の時間を要した。

「彼女のためだ」世良は言った。「彼女の代わりに、俺は復讐を果たそうとした」
「彼女? 復讐? 一体なんのことよ?」
「内海凪って女子を知ってるな。お前らのクラスメイトだ」
 内海凪。確か一学期から不登校になっていて、事件の後、退学したクラスメイトだ。

「何? もしかしてあんた、内海さんの彼氏? 内海さんがずっと学校に来てないのは、あんたのせいってこと?」
「違うっ」世良は怒鳴った。「知らないだろうが、凪は壮絶ないじめに遭ってたんだ。いや、あれはいじめというより犯罪だ。お前らのクラスに、その主犯がいるんだよ」
「嘘」佐久間は呟いた。
「嘘じゃない。紛れもない事実だ」
「主犯って、誰なんだ」中原は訊いた。
「俺の口から話すより、凪に直接聞いた方がいい」
「内海さん、今どこに?」
「俺の部屋にいる」

 僕らは世良と共に五階の一室にいた。
 あまり生活感のない部屋だが、ソファには内海が座っていた。ショートボブの髪は金色に染まっている。

 内海は大きく目を見開いた。「佐久間さんに、中原君、都築君……どうしたの?」
「それはこっちの台詞。内海さん、何があったのか私たちに話してくれない?」

 内海は返事をしなかった。僕らから目を逸らし、コンクリートの壁を見つめている。
「凪、悪いけど話してやってくれないか」世良は言った。「こいつらは多分、信用できると思う」

 すると、内海はゆっくりと頷いた。

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