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短編小説「テスト前夜の調査」③

【全③話】

 家に帰り着いた僕は、再び自分の部屋の机に向かい、難儀なテスト勉強を再開していた。

 かと言って、到底勉強に身が入るはずもなかった。
網戸の向こうから、ちゃんと祭囃子が中断することなくずっと聞こえているのだ。

 時刻は夜中の一時を過ぎている。
僕はシャーペンを回しながら、仮定法過去完了のルールを頭に叩き込もうとしていた。
だけどシャーペンは回転しても、僕の脳は上手いこと回転してはくれなかった。
終始頭に浮かぶのは、祭囃子の謎のこと。

 田中は、演奏者たちの姿を目にしたんだろうか。
田中と別れてからもう二十分近くになるが、まだ彼からの連絡は来ていない。
少し遅い気がする。
夜中の山道を登っていったんだ。やっぱりそれは危険を冒す行為で、無理矢理にでも止めておけばよかったかもしれない。

 そんな風に田中の安否を憂慮していると、机の上のスマートフォンから通知音が鳴った。
ロック画面を見ると、田中からのLINEだった。
続けて二件のメッセージが送られてきている。

(やばい)
(俺まずいの見ちゃった)

 僕はスマートフォンのロックを解除し、すぐに返信を送った。

(大丈夫か?)
(何を見たんだ?)
(田中?)
(返事をしてくれ)

 一分待っても、僕の立て続けに送ったメッセージに既読はつかず、田中からの返信はなかった。

 ふと、僕は網戸の方を向いた。
いつの間にか、祭囃子の音が止んでいるのだ。

 僕は網戸を開けて、ベランダに出た。
何も聞こえない。ベランダの向こうには、ただ静かな夜の風景が広がっているだけだ。
祭囃子の演奏は、完全に止まっている。

 反射的に、僕は嫌な予感がした。
田中のLINEが送られてきたのと、祭囃子の音が止んだのは殆ど同じタイミングだった。
その二つの出来事の間に何か、相関関係があるのだろうか。
田中は『何か』を目撃した。彼が『まずい』と言うくらいだから、それは本当にまずいものだったんだろう。

 田中が見た演奏者たちの姿、それは見てはいけない類いのものだった。
そしてその後、偶然なのか必然なのか定かではないが、祭囃子の音は聞こえなくなる。
これは、田中に身の危険が及んだことを示唆しているのだろうか?
僕は暗闇の中にそびえ立つ山を、じっと眺めた。

 それから一時間が経過して、やっと英語の赤点を免れると確信が持てた時も、まだ田中からの返信は来なかった。

 翌朝、僕はぼんやりとした頭で教室に到着した。

 外は大雨で、その天気がこれからテストに臨む僕の気分を下げていたことは確かだった。
試験のための知識はなんとか確保することはできたが、その代わりに体力と精神力が持つかどうかが分からない。

 テスト当日の教室は、いつもと少し空気感が違う。
みんなどこかソワソワしているし、一人で勉強したり、友達と教え合ったりとスタイルは様々だ。

 田中はまだ教室に来ていなかった。
まだクラス全体の三分の二の割合しか教室にいないし、田中はいつも遅刻ギリギリに来るのが恒例になっているから、別に自然なことではあるのだが。

 だけどあの後、遂に田中からの返信が来ることはなかった。
大方あまりにも怖い存在を見てしまったことで、速攻で家に帰って部屋のベッドでうずくまっていたのだろうと、そんな楽観的な想像を僕はしていた。

 だがチャイムが鳴って、朝のホームルームが始まった時も、田中は教室にはいなかった。

 教卓から、担任の飯島先生が僕らの方を見渡し、それから目線を少し下げた。「田中君が、昨夜から行方不明になっているそうです」
 教室はざわついた。自然とみんなの視線が、田中本人のいない田中の席へと移る。
「朝になっても帰ってこないから、先ほど親御さんが警察に捜索願いを出したらしいの。誰か田中君の行方に心当たりのある人は、すぐに先生に知らせてちょうだい」

 ホームルームが終わった後、僕はすぐに飯島先生に昨夜の出来事を掻い摘んで話した。LINEのトーク画面も見せた。

 事態の緊急性から、僕は一人テストを受けずに、応接室で警察から軽い事情聴取を受けることになった。

 田中と最後に会ったのが僕で、警察にとって僕は重要参考人に該当するのだ。
僕と田中が一緒に行動した客観的な証拠は、コンビニの防犯カメラにある。田中と僕がそこでアイスを買い、駐車場でそれを食べる様子がばっちりと映っているはずだ。
そして応接室での僕の証言から、警察は田中の捜索範囲を付近の山中に絞ることになった。


 田中の行方が分からなくなってから、十日が経過した。
蒸し暑い梅雨が明け、本格的に夏がやってきても、田中はまだ発見されていなかった。

 あの祭囃子は、結局何だったのだろう。
田中は一体、何を見たのだろう。
田中の消息が絶った原因は、彼が目撃した『何か』にあるのだろうか。
クラスでは、田中が神隠しに遭ってしまったと考える者も少なくない。

 あの夜以来、町で祭囃子は聞こえてこない。
田中が帰ってこなくなってしまった今、僕はあれは人為的なものではなく、何か次元を超えた存在によるものだと認識している。

 そうだ。あの時、おじいさんが言っていたように、山の中から何かが僕らを誘っていたのだとすれば。

 もしかすると田中は、異界へと連れ去られてしまったのかもしれない。

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