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九キロは長すぎる(10)

 三人とも帰る方向が一緒のため、ディグジーズを出た後、水本玲奈と共に辻堂駅で湘南新宿ラインに乗車した。
 数分後、藤沢駅で江ノ島電鉄に乗り換える。

 車内は空いてもいないが、特に混んでもいなかった。
 僕と立花を両脇にして、水本玲奈が強引にその真ん中に割り込む形で座席に座る。
 車窓の外は真っ暗で、街の明かりが次々と横に流れていく。

「わたし、お二人には本当に感謝してます。姉のこと、警察は真剣に調べてくれなくて、周りも何も知らないくせに、『水本小百合は自殺した』なんて身勝手に決めつけて。親も、警察の判断を鵜呑みにして、姉の自殺に疑問を抱いてませんし。
 だから正直、人間不信に陥ってました。世界でただ一人、自分だけが姉の自殺を疑っているんだと思うと、すごい孤独感に襲われて、怖くて。そんな時に、お二人が姉について独自に調査していると知った時には、夢かと思いました。わたしの他にも、わかってくれる人がいるんだ、頼れる人がいるんだって。だからお二人は本当に、私にとってヒーローみたいな存在なんです」
「光栄だよ」
 立花は笑って答える。「玲奈ちゃんにそう言ってもらうと、俄然やる気が湧いてくる」
 僕も苦い笑みを浮かべながら、「ヒーローは大袈裟だと思うけど」と言った。

 水本玲奈は素早くかぶりを振った。「そんなことありません。これ以上ないほど、適切な表現だと思います」
「草野くんはね、仮に褒められたとしてもなかなか信じられなくて、まずは疑ってかかるんだ」と立花が水本玲奈に囁く。「それが本心なのかどうか、どうしても見極めようとせずにはいられない。そんな悲しい性分なんだよ。玲奈ちゃんも気をつけて。これが悲観主義者の末路だから」
「馬鹿言え。僕は楽観的でもないけど、別に悲観的でもないぞ。あくまでも現実主義を志向しているだけだ」

 隣で水本玲奈がクスクスと、口元に手を当てて笑う。
「お二人とも、面白いですね。なんか、わたしの学校にもお二人のような先輩がいたら、毎日楽しいんだろうなあって思っちゃいます」
「あ、それは百パーセントないね。僕たち男だもん」
「辻堂女学院は女子校だからな」
「そういうことじゃなくてですねえ」
 水本玲奈が呆れたように言った。

 電車が湘南海岸公園駅に停車すると、なぜか立花も一緒になって席を立つ。
 立花が降りる駅は次の江ノ島駅のはずだが、まあ、二人きりで話したいことがあるのだろう。
 水本玲奈の前では話すことが憚れる、そういう類いの話なのだと察する。

 僕と立花は電車から降り、ホームに立った。
「それじゃあ、玲奈ちゃん。今日は色々と話を聞かせてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます。姉のこと、どうかよろしくお願いします」
 水本玲奈は深々と頭を下げた。
 ドアが閉まり、窓の向こうで水本玲奈が手を振る。
 立花は手を振り返したけど、僕はなんだか照れくさく、小さく右手を上げるだけに留めておいた。

 電車が鎌倉方向に走っていくと、立花は何も言わずにベンチに向かって歩き出し、僕もその後ろをついていく。
 自分たち以外誰もいない、閑散とした駅のベンチに並んで腰掛けた。

「目標、だいぶ具体的に定まってきたね。水本さんに彼氏がいたことは、まず間違いなさそうだ」
「ああ。十中八九、いたと見ていいと思う。そして今、最優先事項なのは、その彼氏が誰なのかを突き止めること。それが明日、なんとかわかればいいんだが」
「玲奈ちゃんは、その彼氏が水本さんを殺したんだと断言してたけど、そう判断するにはまだ材料が足りない」
「だな。自殺か他殺かを判断するには、まずは彼氏を見つけて、そのあとで地道に動機の線から攻めていくしかないだろうな。僕たちはただの高校生で、警察みたいに物的証拠を集めるのはハナから無理があるわけだし」

 立花は首肯し、「脅迫電話のことだけど」と言った。「電話をかけた人間の正体——は長いから、便宜的に脅迫者と呼ぼう。草野くんは、脅迫者はその彼氏だと思う?」
 僕は首を横に振った。「水本自身、電話の主は女だと思ってたみたいだし、僕自身もやっぱりそう思う。少なくとも、彼氏が自分の彼女に匿名で電話をかけて、恫喝に近い暴言を吐くのは辻褄が合わない気がする。おそらく、彼氏と脅迫者は、それぞれ別人物だろう」
「その言葉が聞きたかったんだ」
 立花は表情を緩めて言う。「僕も、彼氏は脅迫電話には関与していないと考えてる。何か言いたいことがあるなら、直接言うはずだよ」
「匿名で、ボイスチェンジャーと卑怯な手口で、水本に常習的に言葉の暴力を浴びせる卑劣な人間がいたんだ。彼氏のことと並行して、こいつの正体も明かしてやりたい」
「もちろん。僕らにはそれができるポテンシャルがあるし、気概もある。必ず見つけてやろう」
 僕は黙って、首を縦に振った。

 しばらく、沈黙に包まれる。
 僕と立花が黙り込むと、ふと周辺の住宅から微かにテレビの音が漏れていることに気がついた。
 アナウンサーが実況するような声が聞こえるから、スポーツ中継だろうか。
 時期的に、スケートやカーリングといったウィンタースポーツだろうと推測する。

 まもなく立花は、ベンチの背もたれに寄りかかっていた背中を離し、少し前屈みになって話し出した。
「僕、最初は好奇心で調べたいなんて言ったけど、今は違う。心変わりしたんだ。昨夜、玲奈ちゃんと初めて話して、自分が恥ずかしくなった。彼女はお姉さんを亡くして、言葉には表せないくらい辛いはずなのに、切実に真実を知りたがってた。
 だけど僕は、調査はあくまでも、単なる息抜きとかゲームとか、そんなふうに捉えていたことが、どうしようもなく情けなくて、吐き気がした。人の死が関わっていることなのに。最低なことだって、目が覚めたんだ。だからもう、絶対に半端な気持ちではやらないって決めた。真剣に、何が何でも真相にたどり着きたいって思ってる。だから草野くん、ちゃんと言わせてほしい。力を貸してくれ」
 僕は立花に顔を向けて、軽く微笑んだ。「水臭いぞ、立花。そんなの当たり前じゃないか」

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