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子どもに寄り添いすぎない保育

お疲れ様です!オーストラリアで保育士をしているぴぃと申します。

今回のテーマは子どもに”寄り添う”保育です。

タイトルがちょっとばかり違いますが…

最後に繋がります。

私が日本で心がけてきたのは、子どもに寄り添うタイプの保育です。私は18の頃、保育の知識ゼロでひょんなことからこの仕事を始めました。

だから、保育士は子どもに寄り添うのがよい。とか、自分が寄り添ってるとかいう意識もなく、

ただたんに成長が遅く手のかかるこどもだった自分が幼い頃大人にしてもらいたかったことを、その時々に目の前にいた子どもたちにしてきたまでて、それを知識を得た今になって振り返ると、あれはいわゆる子ども目線の寄り添い型保育なんだろうなって認識した。という流れです。

流れはどうあれ、私は日本で自分がしてきた保育に自信を持っていましたし、正しい。と信じていました。子どもに寄り添いきれる保育士がよい保育士であり教育者だ。というのも常識だと思っていました。

その常識、5年前にオーストラリアにやって来て保育の仕事を始めた瞬間にで木っ端微塵に砕け散りました。

“寄り添わない”型保育士の多いこと。

あ、ちなみに、オーストラリアの保育士全員がこうではなく、これはあくまで1部の保育士、保育園の話です。

子ども達が騒げば"Be Quiet!!!"と怒鳴る。

1、2歳児相手に片付け方を教えもせず、保育士ですらどこに片付けるかも分からないくらいものの置き場所も決まっていないような環境設定をしておきながら なんで片付けないの!と怒る。

しまいには泣いている子どもになぜ泣いているのかも聞かず、泣き止みなさい!!と一喝。

私が自慢の保育論のもと、例えば子どもになぜ人が使っているおもちゃを勝手に取るのが良くないか、欲しいならどうすべきだったのか、などを一緒に考えさせる問いかけに時間をかけているとどこからともなく事情を何も知らない保育士がツカツカ寄ってきて、

Miss Pの話を聞きなさい!!あやまりなさい!!と私の話をしっかりと聞いていた子どもに怒鳴られた事も一度や二度ではありません。

頭ごなしに怒鳴れば一瞬で済むものを、時間をかけていることで子どもが話を聞かずに私が困っていると思った彼女たちなりの助け舟だったのでしょう。

そう。みんな、決して悪い人たちではないのです。怒鳴って一瞬で済ませるのが効率の良いベストな仕事っぷりだと信じているだけ。

普通に大人同士としては仲良かった彼らにはよく、Pは子どもに優しすぎる。子どもには厳しくすべきだ。と言われたものです。ルールや大人と子どもの境界線も徹底すべきだ。とも。

子どもには時に厳しくすべき。実はこれには賛成です。私は子どもに優しいかもしれないけれど、同時にとても厳しいです。私がしてはいけないと思うこと、悪いと思うこと、例えば人を傷つけたり、自分が使ったものを片付けない。などについては、子どもたちが自分で理解できるまで徹底的いくら時間をかけても、何度でも語りかけをします。

怒鳴る。と言うことをしないだけ。

もし悪いことをしたらすぐに謝るのがルールだとしたら、確かにルールの境界線も曖昧にしています。

私は子どもたちが自分がしたことがなぜ悪かったのかしっかり認識するまでは何日かかろうとsorryはむしろ言わせません。だってそんなsorryに意味はないですから。(被害者がいる場合はその子に理由をしっかりと説明をして納得してもらいます。)

私は心ないsorryでは終わらせない分、声かけが謝りなさい!のみ、そして、sorryさえ言えば解放してくれる保育士より厳しいのです。

その厳しさには時間がかかります。一人一人の子どもをしっかり観察し、性格も把握なければなりません。そうじゃなければその子が理解した時の変化に気づけないからです。状況に応じそれが最善の策だと判断したら時にはルールだって変える覚悟も必要。一人一人子どもは違うから。それが子どもに寄り添うってことだと考えています。

そして、これもはっきり言います。

彼女たちの多くがしていた保育より、私がしていた保育のほうが絶対いいです。

なぜって、

怒鳴られたから静かにする。

悪いことをしてもsorryさえ言えばそれで済む。と言う環境にいる子どもたちを観察すると

・怒鳴る人以外の言うことを聞かなくなる

・自分で考えて状況に合わせて静かにするわけでも、行いを正すわけでもないので永遠に同じことをする

と言う傾向が多く見られました。大人に怒鳴られてから、それにならう。ということを繰り返す日常の中では自分で考えるという学びの機会を持てなかったためです。そのクラスの保育士達は一年中同じことで怒鳴り続けていたのに対し、

始めにしっかりと時間をかけて寄り添った子どもは自分で考えるクセもついているし、寄り添われている安心感も手伝ってか数ヶ月で落ち着き、どんなに幼くても自分で考えて行動してくれるようになるので、後々教室運営が

めっちゃ楽

になるのです。というと、楽したい人みたいですが、不必要に忙しくする必要はないですし、私たちも落ち着いたクラスの中より多くの経験をさせてあげられる為子ども達も充実した気持ちの中より多くのことを学べるのでWIN-WINです。

ってところで、

タイトルの子どもに”寄り添いすぎない”保育って何?と言うところにやーっとたどり着きます。


その、怒鳴り声が響き渡る園の中でも一際厳しさで有名な若い保育士がいました。

二十歳そこそこの若さにして頭がキレッキレで仕事もよく出来、性格もとっても大人で人生設計までしっかりしていて既に持ち家を購入済。という他の保育士からも一目置かれる存在。私も彼女は大好きで、尊敬もしていました。

そんな彼女もまぁよく怒鳴る。

横で見ていた私が泣いちゃいそうになるくらい怖いんです。

何を隠そう私にもよく、子どもには厳しくしなさい。と言ってきた中の1人です。(こちらは年齢での上下関係はないので10歳以上年下の人でもこのように普通に指導してきます。いいことだと思います。)

彼女はルールにとっても厳しいタイプの保育士です。私とは違いますね。

そして、他の保育士達とも違いました。

当時彼女が持っていたのは1、2歳児クラス。そんな幼子に怒鳴る割に子ども達は怖がり、萎縮するかと思いきや、みんな彼女のことが大好きでした。

何が違うのかを観察すると、彼女のグループタイムは楽しいのでみんな落ち着いて座るため、"Be Quiet" は必要ありません。

ルールを破ることや話を聞かないことに対しては厳しく叱りますが、前述の保育士のように何が起きたかもわからず、なんで泣いているのかもわからない子どもに頭ごなしに怒鳴るようなことはありませんでした。

これは特に私はしないことなので発見だったのですが、寝ない子に対しては寝なさい!横になりなさい!目をつぶりなさい!と一喝します。

すると子ども達、あなたに言われちゃ仕方ない。と、諦めるのか寝るんです。

半年も過ぎないうちにそのクラスはよーくまとまったクラスになり、夕方彼女が帰ったあとでも誰が変わりに入っても問題も起こらず、子ども達も特に萎縮した様子も怒られ慣れした様子もなく楽しくのびのび過ごしているように見え、クラス運営の成功例と言えるよう私の目にはうつりました。

それはなぜだったのか?

私は分析しました。

まず土台として、彼女は彼女なりのやり方で確実に子どもたち個々に寄り添い、理解をしてました。その上で、子ども達一人一人に合わせて柔軟に対応することとはまた違う、"ルールという境界線"をはっきりと引く。という手法で厳しいながらに一定の、そしてフェアで筋の通った、”寄り添いすぎない”対応を、子ども達に愛を持って徹底し続けていたのだと思います。それを子ども達も幼いながらに感じていたから彼女のことが大好きで、彼女が次に提案してくれる学びに対しても積極的だったため、落ち着き、まとまったクラスになっていたのではないでしょうか。

(話はそれますが、寄り添い型は時にアンフェアな状況をうむ事があります。それに関しては今後また記事を書きますね!)

この過程をみて、彼女の"寄り添いすぎない" 保育も素敵だな。と私は思います。タイプが違うので彼女のスタイルを私がそのまま踏襲する事は出来ませんし、私は私のやり方が好きなので大筋を変えるつもりはありませんが、ただ”寄り添う”だけが正義でもないかもな…と、オーストラリアで生活し、教育に関わることで感じることも増えてきました。

今回は大きく取り上げませんでしたが、

大人と子どもの境界線も、子どもの目線は意識した上である程度必要だと思っています。それを作るのに、寄り添いすぎない。という視点が必要なことも時にあります。

何がいい、悪い、と頭でっかちにはなりすぎず、これからも軸はしっかりと持ちながらも、

色々なスタイルに触れながら日々成長していきたいと思います!

文責:MissP




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