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東日本大震災から10年

25〜26才の時
私はいわき明星大学(現:医療創生大学)大学院に進学するため、福島県いわき市に移り住んだ。仕送りは無いことを条件に進学したので、生活費を得るため、いわき市内の進学塾で働いていた。分校舎もある、当時市内で1番大きい個人塾で、本校のクラスに週3日、週に1度ずつ久ノ浜町と南相馬の原町の校舎に行っていた。

分校舎はとても小さな教室で、それぞれ小学生から中学生まで6名ずつの生徒達に国語を教えていた。特に原町校舎に行くまでは、国道6号線を北上し、東に青い海と青い空に白くそびえる福島第一原発を眺めながら、地方の小さな町の校舎で楽しい勉強時間を過ごしていた。

それから15年後、未曾有の地震と津波が福島の海岸線の町を全てなぎ倒していった。テレビに写し出される映像は全て2年間ずっと慣れ親しんだ土地だった。嘘では無かった。ただただ愕然としていた。後に写真で見る限り、私の過ごした小さな校舎の場所も全て流されたようだった。

それから10年、生徒の住んでいた一部区域はまだ帰還困難地域だ。
大学院時代の知人で連絡がつかないままの人もいる。
母校の大学の名称も変わった。

でもそこで過ごした時間と記憶は忘れまい。
いつか私は必ず行くのだ。

奇しくも今日は県内の中3生の卒業式だ。
父兄から送られて来た生徒の満面の笑みの写真を見ては、一言では言い尽くせぬ去来する思いに涙していた。

あの時海辺の小さな教室で教えた生徒たちが、無事に大人になったことを祈りつつ
これまでの自分の半生を振り返り、日々健康に過ごせたことに感謝したい。

黙祷

R3.3.11

写真はWikipedia医療創成大学より


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