【読書メモ】『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』落合 陽一 (著)
▶今回の読書記録『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』落合 陽一 (著)
『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』
落合 陽一 (著)
大和書房
▶感想
本書は2017年3月に初版発行ですから、生成AI元年(2023年)の6年も前に執筆されていますが、そのような時にこの本を書ける落合陽一氏はさすがにすごいです…。今読んでも全く色褪せない先見力です。こういう発想力を持てる人間になりたいです。
▶読後メモ
「ワークライフバランス」ではなく「ワークアズライフ」
これからは「ワーク"アズ"ライフ」を見つけられたものが生き残る時代。ライフとしてのワークつまり余暇のようにストレスレスな環境で働けるように環境を整えていくことが重要
「雇用され労働し対価をもらうというスタイル」から「好きなことで価値を生み出すスタイル」に転換することが重要
人間性を再認識し、常に「時代性」の側に常にいる
私たちはいつからコンピュータの向こうの相手を、生身の人間か計算機上のプログラムか意識しなくなったのか
コミュニティは30人が限界
時代はステークホルダー(利害関係者)と技術的世紀によって成り立つ。「相対的な中で自分らしい」を目指すには、重要なのは「時代性」の側に常にいること
「競争心」と真逆の「ブルーオーシャン(=黙々と淡々とやること)」を探す
インターネットが作った生態系は、一人ひとりにとって生きやすいニッチなコミュニティを生み出していく
ブルーオーシャンを探すクセをつける。他人と違うことをやっていくことを基本とし、自分しかそれをやっていないけれどそれが正しいと信じること。競争心とは真逆の考え方。その中で自己実現もしくはストレスフリーな環境を実現していく。そのためにはビジョンとサーベイが大事。サーベイをして同様の事例があれば、自分がどういう価値を足せるのかを考えるというマインドセットを持つ。
自己実現のための責任と戦略はモザイク状になる
「インターネットを管理する生活」=コンピュータに到底不可能な価値を創出し続け、時代を先に進める人、と「インターネットに管理される生活」=プラットフォームに吸収されて、責任と生存戦略をコンピュータに任せる人、に上下関係はなく、領域ごとに成立する役割分担である。例えば、自分の研究をするときは責任と戦略は自分が負い、予定管理はコンピュータに任せるなど。
ワークアズライフの時代には、責任と戦略の取り方が一人の中でモザイク状になり、ある一部に注力して他はプラットフォームに任せて合理化していく時代になる。
自分の「信仰心=自分で何か価値を決めて信仰していく」を持っておく
ここでいう「信仰」とは「何が好きか?」「何によって生活が律せられるか?」「何によって価値基準を持つか?」という「自分の価値基準は何か?」という問いへの個人の答え
今の時代、全員が同じ方向に向かっておらず、信仰心は人によって全然違う
「信じる」という単純なことが、個人のメンタル維持にも原動力にもなる
「仕事になる趣味」を3つ持つ
物事には「透明性」と「趣味性」がある。
「趣味性」とは「別に誰にも制約されていないが何となくやってしまうこと」
コンピュータは、合理的で画一的で限りなく透明になろうとする「透明性」があり、逆に「趣味性」はない。
人間だけが、透明なところに「趣味性」をつけて行動していくことができる。「色がついた趣味というのは何か」というのを見極めておかないと、シンギュラリティ化していく合理的で画一的なプラットフォームに吸収されてしまう。
仕事になる趣味を作ることが、ワークアズライフの生存戦略では重要。「趣味性」の高い仕事に就いていると、時間も苦にならないし、ストレスも溜まりにくいので、「一番やりたいこと、すべてのタスクから開放されたときに最初にやりたいこと」を仕事にするのが理想。
ギャンブルと報酬
「ギャンブル性」とは射幸心(思いがけない利益や幸運を望む心)としての「ドキドキして報酬がある」こと。公営ギャンブルだけでなく、スマホのゲームや、研究者が論文が通るかどうかやノーベル賞もギャンブル的。
人生のどこかにギャンブル的になものを求め、飲まれない程度に意識することはワークアズライフの時代には必要なこと。
ゲーム性と遊び
今後の「仕事」では、自分でゲーム的なフレームワークである「問題・解決・報酬」を考えて、「遊び」にしていくことが重要。
遊びの中で、自分が何をすれば喜ぶかの「報酬」がもっとも考えないといけなくなる概念。
報酬には3つある
射幸心としての「ギャンブル」的な報酬
収集欲としての「コレクション」的な報酬
より体感的な「心地よさ」の報酬
自分が何の報酬で喜ぶのかということを意識して「遊び」として人生をデザインしていくことが大事。習慣が続かないのは、3つの報酬がないから。
完成物
評価可能な軸に至るまで、もしくは至らなければ、その努力はないのと同じ。
自分が喜び(=遊び)、社会も喜ばせる(=完成物の価値)。
アイデンティティ
遊びにおいては、とりあえずやってみることが大事。何かの行動を起こす前段階としての「自分らしさ」は必要ない。他人の猿真似でもいいからやってみる。
これからの時代、「遊び」でしか個人のアイデンティティ(=自由意志、自己実現)を確保できなくなるかもしれない。多くの仕事は、誰かが決めたフレームワークに乗ってやることがほとんど。
アイデンティティの役割は、①自分の報酬系(=報酬として継続性があるかどうか)と②他者とのコミュニケーションの手段(=社会に対してコミュニケーションをするときに「その人らしさを作るための方法」)の2つの考え方がある。
ある問題設定があって、それを解決する人が、その環境と対処的に取り組んでいく中で、やがて特徴のある人間になっていく(=アイデンティティができていく)。生まれながらに特徴的な人は存在しておらず、環境は学ぶ態度から後天的にどんどん特徴的になっていく。それは遊びを考えさせると特に顕著に表れる。その人にとって拭い去れない特徴が出てくるので、遊びは積極的にやっていかないといけない。
時代性
人とテクノロジーの組み合わせが、時代を作る
コモディティ化
時代の速度より遅い進捗は、いくらやってもゼロになる。今、私たちにはインターネットがあり、他人がやったことはすぐに学習でき、コピーができるようになっている。そうなってくると、私たちは新しい技術を常に取り込み続けたり、追いかけ続けたりしていかないと全く仕事にならず、特殊性を保てない。
新しい技術習得をするために、機械によって時間を省き、ムダな学習時間をますまず削っていく努力をしていく必要がある。
マーケティング能力
「誰が欲しいのか」「なぜそれが必要なのか」「どうしう文脈がいるのか」というようなことは、開発段階からずっと考えていかなくてはいけない。
シンギュラリティ以降は、必然的に開発自体とマーケティングは同義になってくる。
利潤の再投下
昔は法律が人格を作った。次はテクノロジーが人格を作る。
一昔前は、会社の寿命は長かった。なぜなら技術革新のスピードが遅かったから。イノベーションはそう簡単には起こらないし、情報の伝達形式もマスメディアが担っていたから遅かった。
ニッチを攻めるか、最大公約数を埋めるか
AI系ツール
時間だけが唯一のリソースになり得る
レイヤーの「上か下か」を見極める。低レイヤーの話は、もう二度と人類が触ることのないようなものになりつつある。中間工程を「修行だ」といって人間にやらせても、本質的には何も身につかない。
ツールをどんどん使いこなすことで「不必要作業」に時間を取られることを避ける
これから先、締め切りに追われなくしていく方法は「ツールを使うこと」「中間工程をあまり気にしないこと」「機械にできることを極力やらないこと」
非合理的コミュニケーション
人間をコミュニケーションのチャンネルとして捉える
機械は今後人間に対してものすごくコミュニケーションを取ってくる。けれど、機械はいつまで経ってもご飯を食べない。
一方で、シンギュラリティが来ても、人間はご飯を食べ続けないといけないし、睡眠もする。人間は、機械が取らないコミュニケーション方式(例えば、飲み会)を多用するようになる。人間が人間であるがゆえにやらないといけないことはきっと残る。機械は合理的。合理性はなぜ生まれてくるかというと、問題解決のように、ある問題のフレームもしくはゴールを設定したときに、そこまでどうやって最短でたどり着くかという計算ができる世界があるから合理性が生まれる。
一方で、問題解決以外のフレームがない状態(例えば趣味)では、合理性かどうかということはなかなか言いにくい。趣味のランニングや釣りのように明確なゴールがないときに、合理性という物差しは判断の軸にならない。人間は、無駄に見えて決して無駄ではないという時間をどんどん増やすこと、一見合理的に見えないことや仕事に見えないことで機械との差別化を図るということを意識知る必要がある。
オーディオとビジュアル
人間同士の意思伝達系も、機械コミュニケーションと同様に考える
会議中に使える、人間が持っている情報伝達ツールは、オーディオ(音声)とビジュアル(映像)に限られるので、それらを使ってデザインしたり映像的に他人に伝えることが基本スキルになる。
プレゼンテーション
プレゼンは、今までずっと「エンタメ」(=演劇+映画)を目指していた。一方で「効率のいい情報伝達」のプレゼンもある。
「エンタメ」としてのプレゼンは、ハッとしたい、美しいものが見たい、美しいロジックが聞きたい、感情移入したいという人間が持っている非合理的なことが入っていて、ワクワクしたい、楽しくしたい、遊びたいという欲求がその裏にある。
実務色の強い「効率のいい情報伝達」としてのプレゼンは、プレゼン資料を作る必要はない。
「まずプレゼンすることを先に考えて、スカスカのプレゼン資料を作ってから仕事を始める」という進め方がおススメ。スカスカのプレゼン資料をどう埋めたらいいかという順番で、プレゼンベースで仕事をすると非常に効率的。
「伝える技術」は「考える技術」よりも重要なのかもしれない
リサーチ&ディベロップメント
機械への命令法を使いこなすことが機械親和性の高い人類を目指す方法である。
人間と機械が混ざって仕事をしていく時代においては、「機械への具体的な指令」と、「人を動かす抽象的な指令」は、別々なものとして捉えるべき。
以下の人間への3つの説明技術は必須である。
「モチベーション」:なんでそれやるの?
「使った結果」:それを使うとどんないいことがあるの? 今後どうやって使ったらいいの?
「抽象化した意味」:それはどういう意味があるの?どんな機能なの?
ソーシャルメディア
一方向発信でないメディア系は前世紀と異なる振る舞いをする
マスメディアの時代は、「メディアに出てこない」つまり「知られていない人」は、他人にとっては「存在していない」との一緒
SNSの時代は全員が情報発信する能力を持っている。だからこそ「意識的にメディアのことを考える」必要があり「受動的には動いていかない」ような世界になってきた
自分自身で発信する理由は、自分以上に自分がやっていることに詳しい人はいないから。
物事には「抽象的な意味」と「コピー可能な数理的な情報の意味」の2つがあるが、「抽象的な意味」は、メディアとうまく付き合って自分から発信しないとうまく説明ができない
マスメディアの時代は、全員が同じことを中間的にやっていればよかったが、SNSの時代は、自分の技能、地域性、キャラクター、特殊性など、優位性をアピールして発信していく。
マイノリティと政治
民主主義は、少しずつ全員と違った意見を決める手段だ
日本はほぼ全員が同じ民族で、ほぼ同じような働き方をしてきたが、今はそうではなく、全員が同じ方向には向かない。
自分に関係のある政治に対してアンテナを張っておかないと、生存な危険な状態になるので、自分のことは自分で守る必要がある。
情報アプローチ
これからは、一人ひとりが発信系を持つ
SNSで世界の地方の情報を知っておくということがすごく重要であり、そのためには「情報が流れてきて、気づくようにしておく」ことが重要
情報のヒエラルキーは「1.自分の近くの情報」「2.自分が専門的に知っている情報」「3.SNSから来る情報」「4.マスメディアから来る情報」の順
時間(鮮度)が限られるものから優先してアクセスする
フックの付いた知識
データ量でなく特徴量を記憶に埋め込む
受験勉強はほとんどがパターン暗記
人間にしかできない「おぼろげな想像力」
あらゆるものを「ググればわかる」というレベルの状態で頭の中に保持しておく知識の付け方が重要。そのためには「一度は自分で解いてみたことがあるが、あまり詳しいことはわからない」という状態がベスト
人間が持っている能力のうちで重要なものは「抽象化して特徴量の差を捉える能力」
スペシャリストとジェネラリスト
受験勉強を楽しめるタスクや能力というのも、最低限身につけていた方がいい
あらゆるものにフックをかけながら専門性を磨いていくと、もっとも多角的な人材ができて、コンピュータに代替されにくくなる
専門として1つのものに重点的に時間をかけてしまうと、専門の部分で負けたときに優位性がなくなってしまうので注意が必要
専門性がある人(スペシャリスト)とバランスよく知識を持っているジェネラリストのバランスが重要。スペシャリストであることはこれからの時代は大前提。単なるジェネラリストに全く価値はない
トップ・オブ・トップ
資格は最低限を保障してくれるもの。つまり最低限「合格だった人たち」をイメージさせるもの。そのレベルの仕事はこれから先、コンピュータがやっていく
重要なのは、その業界でトップレベルかということ。資格を取って最低限を保障した後は、そこから賞をとって「トップであることを示す」必要がある。
何らかの分野で1位になる、ニッチを制することは非常に価値がある。「ブルーオーシャン」の狙い方に通じる
ストレスフリー
ストレスの原因となる多くは、「主体性」つまり、自分で決めたルールや仕組みに基づいている。主体性を追い求めすぎると、ストレスフルな状態になる。逆に、老荘思想などでも言われている「無為自然」つまり、ありのままに生きるのが、最もストレスを感じない。
ストレスを解放するポイントは「ギャンブルと報酬」(前述)。理想的なのは、仕事でたまったストレスが仕事の中で報われて、仕事の中でストレスから解放されるという、1つの中で閉じていること
「他人と比べる」「勘違い」によるストレスは無くす
身体性
身体性能のみでしか、人間は機械に肉薄できない
体が資本。脳と同じくらい体も鍛えておかなくてはならない
自傷行為と遺伝子レベル
成熟社会にとって最も崇高なことは、自傷行為なのかもしれない
あえて壊す(アルコール、たばこ、暴飲暴食…)メリット
遺伝子レベル(これはきっと脳が欲しているだけだ)を意識する
他の「報酬」に置き換えられないかを考える
コンプレックスと平均値
何が自分にとって「エモい」のかを知っておく必要がある
コンプレックスとはマイナスのエモさ(感情の揺れ動き)。コンプレックスには2種類がある。
強い憧れがあるがそれを達成できない
→無意味。人間はできることしかできないから、できることだけやればよい。他人から見て劣っている(平均値と比べて低い)
→「そこで戦わなければよい」と考え「ブルーオーシャンを探す」
ファッションと平均値
知能でなく身体性に固有値があるのなら、外見には気を使うべきだ
勝手に個性は出てくる。流行りを気にせず、自分が好きな服を買えばいいい。
コミュニティからの友達探し
人と機械の区別がつかなくなる中で、親近度が低い「物質の友人」は必要だろうか
昔はコミュニティ1つにしか帰属していなくて、その中で友達を選んでいたので、友達の濃さは異常に高かったが、今はコミュニティが複数あって、サークル、大学、会社の知り合いをそのまま引き連れたまま年を取っていくので、全員がゆるく友達ではあるけれど、親密な友達はなかなかできない。
自動運転と移動コスト
土地の価値は、人の移動が民主化したときに大きく変動する
広義の投資
変動しない財になっているものや浪費されていくものは、今後価値を持たない
「老後」というのは退職を前提とした言葉であり、ワークアズライフの世の中で、企業から抜けたらそこで職が終わるということにはならないから、これから先、意味をなさなくなる。老後という概念だと働かないことが前提になるので貯金は大事だが、死ぬまで働くとすると、老後という概念はなくなる。
貯金をせずに、自己投資にどんどんお金を使う。
趣味としての子育て
子どもは人間が作れる最高のディープラーニング環境だ
「義務としての子育て」ではなく「趣味としての子育て」
「この子は何をすれば喜ぶのか?」という、子どもの報酬系を把握することが大事。
勉強好きな子は、勉強そのものが好きなのではなく、勉強をしてやったページが増えていくのが好きなのか、勉強してわかる瞬間が気持ちいいのか、勉強をしてテストの点が取れることが気持ちいいのか、ギャンブル的・コレクション的・心地よさのどの報酬を求めているのか。
以上です。
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