見出し画像

道徳科における拡散と収束 NO3

本シリーズでは、登場人物の心情理解のみに偏った道徳授業から脱却するために必要な「拡散的思考」と「収束的思考」について私なりの考えを述べて参ります。興味のある方は、シリーズ最後までお読みいただけると幸いです。

1 オープンエンドのデメリット

これまで、本シリーズで述べてきた拡散的思考の良さは、子どもに多様な考えを生産させ、物事の見方・考え方を広げることです。
このような拡散的思考を促し、多様な意見や考えを表出させ、「何が正しいのか」という明確な結論は出さないまま終える授業スタイルのことをオープンエンド型と言います。
例えば・・・

平成13年1月26日、JR山手線の新大久保駅で、韓国人の留学生、イ・スヒョン(李秀賢)さん(当時26)とカメラマンの関根史郎さん(当時47)が、ホームから転落した男性を助けようと線路に降り、入ってきた電車にはねられ、3人とも亡くなりました。

NHK首都圏ナビhttps://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20210127e.html

教師:この事故の二人のは「命」を大切にしていると言えますか。
子ども:言える。自分の命を犠牲にしてまで、人の命を助けようとしたから。
子ども:でも、自分の命は大切にしていない危険な行為だと思う。
子ども:亡くなってしまったら家族が可愛そう。
子ども:命を大切にしているからこそ、目の前で消えそうな命を助けたかったんだ。
子ども:でも、結局、3人とも助からなかったんだよ。
子ども:助からなかったけど・・・。命は大切にしていると思う。
子ども:そうかな・・・
教師:では、今日の振り返りを書きましょう。
このように、明確な答えを出さずに、子ども一人一人に判断を委ね、個々の考えを尊重するという授業スタイルことです。
このオープンエンド型の授業スタイルは、明確な結論を出さないことで、子どもの道徳的判断力を育てるというメリットがあります。

しかし・・・
「明確な結論を出さない」「学んだことは子どもに委ねる」というスタイルは、授業のポイントをキャッチできない子どもや、学びを自覚できない子どもにとっては、「何を学んだのかさっぱりわからない」という状態になっているデメリットもあるのです。
そこで重要なのが・・・
拡散的思考を促した後の、収束的思考です。

2 収束的思考とは


収束的思考とは、これまでの拡散した情報や学びを論理的に考え、一つの正解に辿り着くための思考法です。
考える範囲は狭くなりますが、集中的に考えることで深く掘り下げて考えることが可能になります。
拡散的思考で、子どもの多様な考えを表出した後で、この収束的思考を促すような発問をすることで、さらに道徳的価値の理解を深めることができるのです。
例えば・・・
先ほどの授業の途中に、教師が次のように問います。

教師:亡くなってしまった二人の行動に意味はなかったのでしょうか。


子ども:意味はある。
子ども:二人がやったことは、みんなが感動した。
子ども:二人のお陰で、命の大切さを知った人がいるはずだ。
子ども:2度とこのような事故が起きないようにホームドアも作られた。
教師:ということは、三人が亡くなってしまったことは悲しいけど、二人の行動のから、今まで多くの命が救われているんだね。
教師:なぜ、二人の行動はみんなを感動させるのだろう。
子ども:危険を犯してまで、知らない人の命でも助けようとする思いに感動したんだと思う。
教師:「知らない人の命でも助けたい」という心は、人間の良さなんだね。
このように、拡散的思考と収束的思考を促すような発問をすることで、広く拡散した思考を、今度は深く集中的に考えることができるのです。

次号では、「収束的思考を促す方法」について投稿いたします。
*私のnoteでは、2週間に一度、「道徳科の授業づくり」について書いております。興味のある方はフォローして頂けると幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?