道徳科における拡散と収束 NO2
本シリーズでは、登場人物の心情理解のみに偏った道徳授業から脱却するために必要な「拡散的思考」と「収束的思考」について私なりの考えを述べて参ります。興味のある方は、シリーズ最後までお読みいただけると幸いです。
1 固定概念を超える
前号では、道徳科における拡散的思考の必要性を投稿させていただきました。そのため、本号ではどうすれば子どもの拡散的思考を促すことができるのかについて述べてまいります。
さて、私たち大人もあらゆる固定概念に捉われて生活しています。
*固定概念とは、物事の常識と言われるモノや思い込み、先入観などこれまでの生活経験によって固まってしまった思考のことです。
特に道徳科では、固定概念が子どもの思考を支配しています。
なぜなら、道徳的価値とは圧倒的多数の人が「正しい」と考えている共通認識だからです。
つまり、子どもは多くの大人から当たり前と言われる道徳的価値を植え付けられているのです。
また、当たり前と言われる道徳的価値に沿った判断をすれば、合格点を得ることができます(怒られないのです)。
例えば・・・
困っている人がいたら手を差し伸べるのは親切はいいこと。
きまりやルールのは当たり前。
嘘をつくことはよくない正直に生きましょう。
などです。
常識的に考えれば非難されることはありません。
逆に、「親切はしない方がいい」という子どもがいたら、周りの大人は指導したり叱責したりするでしょう。
だからこそ、固定概念の枠の中の安全地帯から抜け出そうとしないのです。
しかし・・・
そこが問題です。
なぜなら、子どもは当たり前と言われる道徳的価値に頼り切っていて「自分で考える力」が足りないのです。
そのため、道徳的価値が正しいと分かっている・・・
でも、できない・・・。
という状態になってしまうのです。
もっと、自分の力で「なぜ、親切が大切なのか」や「なぜ、きまりやルールが必要なのか」を考えなければならないのです。
つまり、固定概念を越えなければなりません。
2 「Why(なぜ)」という問い
固定概念を超えるためには、教師が次のように問うことが大切です。
「なぜ、きまりやルールを守らないといけないの」
このように、当たり前と言われる物事に「Why(なぜ)」と尋ねてみるのです。
すると、これまで考えたことがない問いに子どもは戸惑います。そして、こう思います。
「改めて考えると、どうしてだろう」
「え、知りたい」
「みんなは知っているのだろうか」
「みんなに聞いてみたい」
このような子どもの姿が見られたら、拡散的思考が働き始めている状態です。
3 多様な視点で物事を考える
子どもが「知りたい」「考えたい」という状態になったからといって、自力で拡散的思考を働かせ新しい価値理解を獲得するのは難しい。そのため、次のように多様な視点で物事を考えるように仕掛けていく必要があります。
○別の人の視点で考える
→きまりやルールを守らないと誰かに迷惑なんですか。
○別の状況で考える
→そのきまりはどこでも使えるの。
○別の次元で考える
→そのルールはいつからできたのですか。10年後も必要ですか。
○テーマを反対に考える
→きまりやルールを守らなかったらどうなりますか。
○テーマの代用を考える
→きまりやルールに代わるものはありませんか。
○テーマを協調して考える
→きまりやルールをもっと厳しくしたらどうですか。
○テーマを比較して考える
→きまりやルールがない世界とある世界はどっちがいいですか。
教師が毎時間の道徳科で、上記のように尋ねて拡散的思考を促すように働きかけてあげることで、物事を多面的・多角的に考える練習や経験になります。さらに、それを繰り返すことで、子どもが自分でも拡散的思考を用いて道徳的価値の理解を深めていけるようになるのです。
次号では、「収束的思考」について投稿いたします。
*私のnoteでは、2週間に一度、「道徳科の授業づくり」について書いております。興味のある方はフォローして頂けると幸いです。