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正義を笠に着ても、悪は悪

 『私人逮捕系YouTuber』逮捕の報道をめぐり、様々な議論が巻き起こっています。事件の詳細については、お知りになりたい方は各自ご覧いただければと思いますが、容疑者逮捕の報道や、それでもなお過激な動画を上げ続ける同系YouTuberに対しても、ここぞとばかりに誹謗中傷が相次いでいるのが目につきます。ここなら叩いてもいい、叩いて然るべき、叩かずしてどうする、という免罪符を与えられたかのように。

 正義の名のもとに大義名分を振りかざし自分の正当性や優位性を主張する行為としては、犯罪者を私人逮捕することも、ネット上で匿名で誹謗中傷することも、私には同じに見えるのですが、皆さんはどう思われますか。

 私たちは日々あらゆる感情を感じながら生きています。楽しさや喜びに満ちた幸せな気分に包まれる日もあれば、痛みや苦しみ、悲しみ、悔しさなど、身を引き裂かれるような出来事に打ちのめされる日もあります。辛く苦しい日々があるから希望の光に尊さを感じられる、この波があるから1日1日を送っていくことができるのです。しかし時として人は、いずれ必ず希望が訪れる、という真理を忘れてしまいます。自己肯定感が低下し希望が見出せなくなると、その苦しみに耐えられない場合には、自分自身を守る為に無意識に防衛反応が作動します。相手を軽蔑し、支配・征服することで相手よりも優位に立てていると錯覚し、ダメな自分を直視する心の痛みから目を背けられるからです。

 SNSの過激な動画や攻撃的な誹謗中傷などは言うまでもありませんが、このような目立つ行為だけがそうなのではありません。スクールカーストも、地域の村八分も、他者の容姿にケチをつけたがる女性、子供を力だけで支配する父親や教師、自分の苛立ちを弟妹にぶつける兄姉……見渡せばそこら中で同じようなことが行われています。程度の差こそあれど、どれも自分の問題から目を逸らす為に他者を利用していることに変わりはありません。

正義の為なら人を殺してもいいのですか?
もちろんダメです。

富める者から盗み貧しきものへ与えるロビンフッドは正義ですか?
ただの泥棒です。

皆がやっているから、あいつは悪い奴だから……○○だからOK、なのではありません。

自分の信念に従い考え、自分の責任において行動するのです。
その責任から逃げ、ダメな自分を慰めるために匿名の凶器を投げつける場がSNSなのではありません。匿名が許されるSNSが悪いのではなく、トリセツを無視して乱用する1人ひとりの未熟さという問題点を認めることで、各個人から社会全体の成長へと繋がっていきます。

 1つひとつの言動にその人の『人となり』が現れます。限られた貴重な時間を、ダメな自分から逃げるために“消費”するのではなく、自己の成長の為に使うことこそ“生産”的で健全な在り方ですよね。

人の振り見て我が振り直せ。

1人よがりになり手痛い失敗をして落ち込む前に、あらゆる報道を目にする度に自己の言動を顧みることができるのは有難いことです。

常に、他者の失敗を許容する寛容さを持つ人でありたいと思います。

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