画鋲の穴

 壁に穴が空いている。
 私の大切な研究室を廃墟同然の風貌にしてしまった程のどでかい穴が、つい一時間前まで壁があった場所に空いている。
 やったのは誰だ。敵はどこだ。許さん。怒りのあまり私は叫んだ。

「なんちゅうことをしてくれたんだ!」

 壁に穴を空けている。
 俺は今日から一人暮らしを始めた大学一回生だ。
 家具の配置は完璧。カーペットやカーテンも取り付け、食器や服も収納するべき場所に収納した。あとは壁に俺が尊敬してやまないギタリストのポスターを貼ればバッチリだ。俺だけの完ぺきな部屋が完成する。ふふふ。
 一番見栄えが良いと思った場所にポスターを押し付け、画鋲で四隅を留めていく。素晴らしい、完ぺきだ。ポスターの中でギターをかき鳴らしている男も、どことなく嬉しそうな表情をしている。今にもギターの音色が聴こえて来そうだ。

「……ちゅうことを……」

 ギターのサウンドではなく誰かの声が聴こえた。
 どこからだ? たった今ポスターを留めた場所から聴こえたような気がする。俺は不本意ながら四つの画鋲を外し、ポスターを取り上げてみた。

「……私の住処にこんな大穴を空けやがって! 見つけ次第叩きのめしてやる!」

その声は確かに、今しがた空けたばかりの、直径一ミリにも満たない画鋲の穴、四つのうち右上に位置する部分から聴こえていた。

「なんだこれ……」

俺が思わず声を漏らすと

「誰だ! どこにいる? さてはお前が犯人か、覚悟しろ」

 などという物騒な返事が返ってきた。俺は思いきって話しかけてみることにした。

「すみません。俺、タキモトって言います。あの、変な話なんですが、いま壁にポスターを貼ろうとして……画鋲で穴を空けたらあなたの声が聴こえてきて……」

 本当に変な話だ。話してるこっちまでおかしくなりそうなくらいに。
 やや間を置いて、返事が返ってきた。

「ふむ、明確に声は聴こえるが姿が見えないな。タキモト君、君はいまどこにいる」
「はあ、東京のアパートですが」
「そういうことではない。君は今、いつの時代に生きている?」
「いつの時代…? 今は2019年ですけど」
「…なんということだ! タキモト君、信じられないようだがよく聞いてくれ」
「今の状況が十分信じられないので、平気です」
「なら話が早い。私がいる時代は君がいる時代の百年後の世界だ。つまり私のカレンダーは現在2119年の4月8日を指している! わはは、なんということだ!」

どうやら俺が壁に刺した画鋲の針は何の因果か未来へ繋がってしまい、このちょっとおかしな中年男性の家の壁をぶち破ってしまったらしかった。本当に、なんということだ。

「申し遅れたがタキモト君、私はハリマだ。ハリマ博士と呼んでくれたまえ。君の行いを私は許そう。壁なんぞいくらでも修理できる。私の研究がまた一歩前進したぞ……ウフフ」
「あのー、さっきから『博士』とか『研究』とか言ってますけど、ハリマ博士は何かの開発者ですか?」
「フフフ、よくぞ聞いてくれたなタキモト君、私が開発している物は何を隠そう、タイムマシンなのだ!」
「百年経ってもまだ開発途中なんですね、タイムマシンって」
「リアクションが薄すぎる。まったく、古代の若いもんはこれだから。時代が進めば勝手に科学や文明が発達すると思っている。よいか? 君が今使っている……えー……アレだ、ガラケーとかいうシロモノも、全て開発者や研究者の並々ならぬ努力があって使えているものなんだぞ」
「時代を遡りすぎですよハリマ博士。今はもうスマホの時代です」
「どっちでもよい、とにかく私はタイムマシンを開発するのだ! タキモト君はいずれ私の高笑いを百年という時間越しに聴くことになるだろう!」
「わかりました、俺は明日から大学なので今日はもう寝ますね。びっくりするんで夜中に高笑いしないでくださいよ。おやすみなさい」

 こうして、キャンパスライフと共に、俺とハリマ博士の奇妙な交信が始まった。

 博士は完全な夜型人間だった。
 俺が起きる時間は必ず、小さな穴から豪快なイビキが聴こえてきていた。
 博士を起こさないように静かに着替えて、静かに玄関の扉を閉める。同棲中の彼女に対する気遣いなら聞こえが良いが、相手は顔も知らない中年男性だ。少し虚しい。
 俺が大学で授業を終え、帰宅してからが博士との交信タイムだ。
 名目上は「お互いの情報の共有」……と言っても、俺が出せる情報なんて、未来に生きている博士にとってはたかが知れているものばかりだが。

「博士、プレイステーションってそっちにもまだあります?」
「去年PS62が発売されたぞ」
「まだあるのかよ」
「今年はドラクエ43が発売される予定だ」
「まだ続いてんのかよ」

 情報の共有とは名ばかりのただの雑談に興じつつ、俺は課題レポートを、博士はタイムマシン開発を進めた。
 自分を慰めるときは穴に画鋲を刺し、その上からガムテープを貼って交信を一時切断したうえで致した。
 そんな毎日を続けて数週間が経過したある日、俺は博士に何気なく尋ねてみた。

「そういえば博士、他の研究員とか助手とかはいないんですか?」
「ここにいるのは私ひとりだ。なぜそんなことを訊く?」
「タイムマシンなんて、結構大層なものじゃないですか。研究チームを組んでたりしないのかなって」
「タキモト君、きみにまだ言っていなかったことがある。実はタイムマシンというものは既に開発されている。数年前にな」
「え、じゃあ博士がパイオニアというわけではないんですね」
「いや、それも違う。そのタイムマシンは高額で、一部の富豪の間にしか普及しなかった。おかげでタイムマシンは使用する際の法もはっきり制定されぬまま、無法者と化した富豪たちを乗せて過去や未来へ飛び交った。金持ち共が様々な時代を荒らして回ったことが公になる頃には、タイムマシンは完全に『悪魔の発明』とされ、大バッシングを受けた」

 俺は何も言えなかった。壁の穴から聴こえる博士の悲痛な言葉と想いが、俺の鼓膜と心を揺らした。

「その後タイムマシンの開発チームは解散となり、タイムマシンそのものを使用することが違法となった。政府もその方が手っ取り早くて楽だったのだろう。開発チームの人間は金持ち共からワイロを受け取った政府の手によって消された。たった一人、この私を除いてな……。よいかタキモト君、便利なものを危険なものに変えるのはいつだって人なんだ」
「じゃ、じゃあ博士が今作っているのは……」

 ようやく声を絞り出した俺に、博士は不敵な笑いと共にこう返した。

「そうだ。ハリマ博士完全オリジナルの、脱法タイムマシンだ。ヒヒヒ」

 博士が言うには、タイムマシンの密造者は法律上で一番キツい刑罰を与えられるという。早い話が死刑だ。しかも博士は政府の追っ手から現在も命を狙われている最中らしい。参った。ハリマ博士を犯罪者扱いするのは納得いかないが、とんでもない人間だということには変わりない。

「なあに、もしタイムマシンが完成した暁には私が真っ先にそれに乗り、過去を改変してしまえば良い。そうすれば私は大犯罪者としてではなく大天才として後世に語り継がれるだろう」

 本当に大丈夫だろうか。

「博士、さっきオリジナルのタイムマシンって言ってましたけど、従来の…というか廃止されたタイムマシンと、博士のタイムマシンは何が違うんです?」
「よくぞ訊いてくれたなタキモト君! 従来のタイムマシンは空中を飛ぶカプセル型だった。しかし私の造るマシンは地面を行くボード型だ。時代の波に乗る、と言うだろう? 古代の…いや、君にとっては現代か、とにかく君の時代の道具、サーフボードをモチーフにさせてもらった。決して部品不足で妥協したわけではない!」

 本当に大丈夫だろうか。

「そこまでして博士がタイムマシンにこだわる理由はなんです? 何か目的がなければそこまで必死になれませんよね」

 俺の問いかけに、博士は珍しく少しのあいだ閉口したようだった。

「私は、物心ついた時からタイムマシンに興味があった。少年時代にはまだフィクションの中だけのものだったタイムマシンが好きだった。恐らく血筋だ。だから私はタイムマシンで過去へ行き、私の先祖を一度お目にかかりたい」

 意外と博士らしくない、純真無垢な返答が返ってきて面食らった。博士は自分の先祖を誰よりも尊敬しているというわけか。

「博士、もうひとつ、つかぬ事をお聞きしたいんですが」
「なんだ、なんでも言ってみろ」
「ちゃんとご飯食べられてます?」
「この時代のサプリメントが山ほどあるから平気だが」
「そんなんじゃいつか体壊しますよ。俺、得意なことはそんなにないですけど料理だけは腕に覚えがあるんです。簡単に作れるもの……肉じゃがとかのレシピ、教えますよ。せっかくタイムマシンが完成したときに、博士自身が壊れてたら意味ないでしょ」
「う、うむ。一理ある」

 最後の言葉が効いたみたいだ。俺もようやく博士の役に立てる時が来た。
 しかし俺の内なる喜びは、ぬか喜びに終わった。
 突然壁の穴から、何かが割れる音が聴こえた。間髪入れず、物が倒れる音と、数人の慌ただしい足音。

「博士、どうしたんです?」
「追っ手に見つかった。私の夢はここで潰えるかもしれない。よいかタキモト君、これ以上喋るな。偶然とは言え私と交信していることがバレたら、君の血筋も危うくなるかもしれない。何も喋るな、わかったな、無言のお別れだ。君と話せた数週間は楽しかった。さらばだ」

 再びせわしない足音。破壊音。数泊の間を置いて、銃声。銃声。銃声。
 俺は友人の死を、呆けた顔で、黙って聴いているしかなかった。


 翌日から、俺はまた大学へ通い始めた。
 しかし何も耳に入ってこない。毎日がとても静かになった気がした。
 心にぽっかりと空いた穴。それを埋められるのは、ポスターを貼るほど尊敬していたギタリストのサウンドなどではなく、壁の穴から聴こえてくるハリマ博士の声以外に考えられなかった。
 なんとなく俺は、同じ学科の友人に、デザイン科の知り合いがいないか聞いて回った。ようやく一人だけ見つかり、紹介してもらった男は、変な風貌だが話してみれば気さくな、良い奴だった。

「ボード型のタイムマシンを描いてくれないか」

 そう言った俺に、最初は怪訝な表情を見せたものの、彼は

「そんなん描いたことないけど、良いよ」

 と快諾してくれた。出来上がったものを見せてもらうと、タイムマシンと言われれば驚くがなるほどこういうものかと納得できるような出来栄えだった。今日からこのイラストを壁に貼ろう。俺と博士が毎日交信していたあの壁に。
 そんな思いで帰宅した俺は、飛び込んできた光景に愕然とした。
 窓に何かが突き刺さっている。
 いや「何か」ではなく、自分がさっきまで見ていたもの……ボード型のタイムマシンそっくりの物が、窓に蜘蛛の巣のようなひび割れを作っていた。
そして部屋の陰から現れたのは……。

「はじめまして、タキモト君」

 ボサボサ頭に髭をたくわえた、変な眼鏡で小汚くてひょろ長い中年男性が、そこにいた。

「今度は私が君の家に穴を開けてしまったなあ」
「ハ、ハリマ博士! どうして!?」
「その反応を見るに、本来なら私はタイムマシンの開発が間に合わず、追っ手に殺されたのだろうな。でも今度は間に合った。どういうわけか未来が改変されたんだ。私の頭の中にはボード型のタイムマシンが既にあった」
「なんにしても、博士が生きてて良かったです。俺、博士が死んだ時何もできなくて……」
「気にするな、私はこれから過去を改変しに行く。ついでにちょっと寄ってみたんだよ。ところで、君が手に持ってるそれは何だ?」
「あ、これですか?」

 先ほど描いてもらったボード型のタイムマシンを見て、博士は目を丸くし、俺の顔と、そのイラストを何度も交互に見た。

「こ、これは誰が描いたんだ!?」
「同じ大学の、デザイン科の奴です。さっき連絡先も交換して……」

 俺はスマホを取り出して、映し出された彼の名前を見た。そして全てを察した。

 ハリマ ダイスケ。
 博士も画面を覗き込み、わなわなと震え出した。

「私の先祖の名だ……!」

 俺が彼にボード型のタイムマシンのイラストを頼んだことで、彼の血にそのデザインは刻まれた。そして遥か百年後の未来、ハリマ博士を救ったのだ。

「博士、もう少しここにいてもらえませんか。俺はまだあなたに恩返しが出来てないんです」

 ハリマ博士を座らせ、俺はデザイン科のハリマに連絡をとり、イラストを描いてもらったお礼がしたいから、家に来いと伝えた。
 そして俺はキッチンに立ち、三人前の肉じゃがを作った。
 しばらくして俺の部屋に訪れたハリマは、窓に刺さったものと不審な男を見てぎょっとした表情を浮かべたが、当然というかなんというか、彼らはすぐに打ち解けたようだった。
 いつもは豪快な物言いの博士がかしこまっている姿を見て、俺はニヤニヤしながら肉じゃがを食べた。

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