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esは飾りなのかどうか複数のAI翻訳に聞いてみて、漫画のAI翻訳についても考えてみました

こんにちは! エンタメ翻訳者の鵜田良江です。
タイトル画像のように大文字で「ES」と書くと、一部のドイツ語SFファンのみなさまは何か反応されてしまうかもしれません。このあたりの事情はあとでご説明しますけれど、今回のテーマは、何かと見落としがちなドイツ語の小さな単語、「es」。それから、最近話題になった漫画のAI翻訳のこと。

思いつくままに書いていたら1万字を超えてしまい、誰が読むと? という感じになってしまいました。ドイツ語文法の話はいいから漫画のAI翻訳のことを、という方は、目次の最後の「AI翻訳で怖いこと」まで飛んでいただけたらと思います。


esの入った文、4つのAI翻訳で5パターンの訳

esを使った構文って注意が必要だと普段から思っていますけれど、あれ? AI翻訳も苦手みたい……と感じる出来事がありました。それで次の文をAI翻訳ならどう訳すのだろうと気になって、いくつかのAI翻訳で試してみました。

1998 zieht es Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

私がこのようなドイツ語関連の記事を書くと、X(旧ツイッター)のフォロワーさんでドイツ語学習中という方が読んでくださることが多いので、ドイツ語の初歩的な解説からしていきます。

お時間のある方は、この文の翻訳にチャレンジしてから読み進めていくといいかもしれません。

独和辞典がないようでしたら、下のオンラインで使えるコトバンクのプログレッシブ独和辞典をお使いください。用例が豊富なので、直訳としては適切なものにたどり着けるはずです。

もともとはドイツ語の本の裏表紙に書かれていた文章で、そのままというわけにはいかないので一部改変しました。ですからそのあたりも考慮に入れていただければ……というか、直訳したあとで、そのあたりを考慮に入れた訳をご紹介します。

この文を翻訳するにあたって、まずは主語が何かが問題になると思います。よく使われるAI翻訳はどう訳すのでしょうか。
時期によって答えは変わってくると思います。下記は2024年5月16日のもの。

まずはGoogle翻訳。

1998 年、マリー シュミットは活気に満ちた首都東京に移りました。

Google翻訳


次に、DeepL。

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

なのですが、iPhoneのSafariでDeepLを使うと違う訳が出てきました。

年、マリー・シュミットは活気あふれる首都ベルリンに移り住んだ。

iPhoneのSafari

内容がずいぶん違うし、年号抜け……スマホ用のエンジンは性能が少し低いのかな……という印象です。


Chat GPTにも聞いてみました。

https://chatgpt.com/

1998年、マリー・シュミットは活気に満ちた首都東京に引っ越す

Chat GPT


iPhoneの翻訳アプリも。

1998年、マリー・シュミットは脈動する首都東京に引き寄せられた

iPhoneの翻訳アプリ

どれも主語はマリーさんですね。
過去形と現在形、両方の答えがあり、マリーさんが移動する派と、惹かれる&引き寄せられる派に分かれています。

年号抜けは確実に間違いですから別の話として、この文は文法的にどう解釈すべきなのか、次の節で考えていきます。


文法的には、どういう文なのか


1998 zieht es Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

先にも書きましたけれど、私の書く記事はドイツ語初心者の方が読んでくださることが多いので、できるだけ詳しく説明していきたいと思います。

難しめなのは、前半の「1998 zieht es Marie Schmidt」の部分かなと思います。後半の「in die pulsierende Hautstadt Tokio(活気のある首都東京へ)」の解説は長くなりすぎるので省略します。

というわけで、以下のそれぞれの単語について説明していきます。

1998
zieht
es
Marie Schmidt

1928


inみたいな前置詞はいらないの?と思われるかもしれません。ドイツ語では、「in 1928」と書く場合もありますけれど、それとは別に、4格で前置詞も冠詞もなしで時期を表すことができます。

ここで、初歩の初歩ですがドイツ語の格について説明しておきますと……

ドイツ語では、文中で名詞が果たす役割には

1格=主格(〜が、〜は)
2格=所有格(〜の)
3格=与格・奪格(〜に、〜から)
4格=対格(〜を)

と名前がつけられています。

私自身もドイツ語の勉強を始めたころには勘違いをしていましたけれど、たとえば、4格の冠詞がついているからその名詞が4格になるのではなく、その名詞が4格だから4格の冠詞がつくのです。ですから無冠詞でも4格は4格。

そしてこの4格の年号は、名詞というよりも時期を表す副詞句になっています。ですから主語にはなりえません。

zieht

「引く」という意味の動詞ziehenの現在形が、三人称単数の主語に合わせて変化したもの。

ですから直訳としては、Google翻訳の

1998 年、マリー シュミットは活気に満ちた首都東京に移りました。

Google翻訳

のように過去形に訳すと不正確ということになります。

ところでドイツ語の動詞は、主語に合わせて

一人称単数 ich ziehe(私は引く)
二人称単数 du ziehst(君は引く)
三人称単数 sie/er/es zieht(彼女/彼/それは引く)
一人称複数 wir ziehen(私たちは引く)
二人称複数 ihr zieht(君たちは引く)
三人称複数 sie ziehen(彼女たち/彼らは引く)

と形が変化します。

これは現在形の場合。不規則なものもありますけれど、ziehenは規則変化。

そしてこのziehtは、三人称単数の主語に合わせて変化した形です。したがってこの文の主語は、三人称で単数の名詞なのだとわかります。

このziehen、簡単な動詞ほど多義的で翻訳に苦労する……というものの代表格。これについてはのちほど説明します。


es

簡単に言えば、「それ」です三人称単数の代名詞。

英語のitにあたります。とはいえこれもまた、様々な意味になりえます。ドイツ語の世界では独特なニュアンスを帯びることもあり(のちほど説明します)、慣用句的にも使われるのですが、小さな単語だけに読み飛ばしがちです。

そしてこのesは、1格にも4格にもなります。
ここでは、本動詞のあとに来ているのでおそらく1格。

英語の世界に慣れている方は、は?と思われたかもしれません。
ドイツ語の語順は、ある程度のルールはありながらも自由自在なのです。

たとえば、「私は明日学校に行けます」をドイツ語にすると

Ich kann morgen in die Schule gehen.

になります。

文のそれぞれの要素、

Ich(私は)
kann(できます)
morgen(明日)
in die Schule(学校に)
gehen(行く)

のうち、本動詞kannが2番目、そして主語以外の要素が文頭に来るときには本動詞の次が主語、あたりのルールを押さえておけば、細かいルールは色々とありながらも、ほぼすべての要素が本動詞の前に移動できてしまうのです。ですから、

Morgen kann ich in die Schule gehen.
In die Schule kann ich morgen gehen.
Gehen kann ich morgen in die Schule.

いずれもOK。でも3番目は少ないかな、という感じ。

とにかく英語のような特殊な強調構文というわけではなく、ナチュラルに語順は入れ替わります。もちろん微妙にニュアンスは違ってきますけれど。

とはいえいまここで押さえるべき点は、文頭が主語ではない場合は、本動詞の次に来るのは主語だということです。

問題にしている文

1998 zieht es Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

では、副詞句的な「1998」が文頭に置かれていて、次に本動詞ziehtがあるから、次に来るのは主語だと考えるのが妥当なところ。ですからこの「es」が主語と思われます。

ドイツ語を読むのに慣れていないと、固有名詞の「Marie Schmidt」が主語だと思ってしまいがちです。そう思われた方、いらっしゃいませんか? 私も初心者のころにはそう判断したと思います。これが、翻訳のときに怖いと思うesの読み飛ばしです。esを読み飛ばすとどういう解釈になるのか、次にご説明します。


Marie Schmidt

そうなると、esの次にあるMarie Schmidtとは何なのか。
意味としては、「マリー・シュミット」という人の名前ですけれど、いまここで問題にしているのは、文法的な役割です。

本動詞ziehtの次に主語で代名詞のesが来て、そのあとに無冠詞の固有名詞が続く場合、可能性としては、ziehenの目的語で3格か4格の名詞……あたりになります。

Marie Schmidtは3格なのか、4格なのか。
これは考えるよりも辞書を引いたほうが早い場面です。

問題は、ziehenが3格か4格の目的語を直接(つまり前置詞なしで)取る動詞なのかどうか、です。

それでは小学館の独和大辞典に聞いてみましょう!
私はCasioの電子辞書、EX-wordのドイツ語モデルを使っていますので、以下に引用するのは電子辞書の独和大辞典に記載の内容です。

しつこいようですが独和辞典をお持ちでない方は下のオンラインで使えるコトバンクのプログレッシブ独和辞典を引いてみてください。


ちなみにドイツ語では、4格、つまり「〜を」の目的語を取る動詞は他動詞ですが、3格、つまり「〜に」の目的語を取る動詞は自動詞に分類されます。
ドイツ語の受動態で主語になれるのは能動態で4格だった名詞だけで、3格の名詞は主語にはなれないからです。

それから記号の説明しておきますと、jm.は3格の人、jn.は4格の人、et.3は3格の物、et.4は4格の物を表しています。
問題にしている「Marie Schmidt」は人ですから、注目すべきなのは、3格の目的語「jm.」と4格の目的語「jn.」です。ここでは動詞が直接に取る目的語を問題にしていますので、前置詞をはさんだものは除外してください。

では、独和大辞典に記載の「ziehen」の意味です。
すべてを引用すると多すぎるので一部省略。用例も省略しています。
jm.とjn.を探してください。

ドイツ語の動詞「ziehen」の意味
【他動詞】
1 ((空間的移動;ふつう方向を示す語句と))手などを持続的に接触させて一定の方向に移動させる:
 a)引っぱって〈引きずって〉進む, 牽引する
 b)①(自分は動かないで)手前に引く[以下略]
  ②((et.4<jn.>[aus et.3]))引っぱり出す, 引き抜く
  ③((et.4[in et.4]))引っぱり込む, 引き入れる;
    ((比))((jn. in et.4))(…に)巻き込む
 c)①((et.4[von et.3]))はずす, 脱ぐ, 引き離す
  ②引っかぶる[以下略]
 d)①張り渡す
  ②(力を加えて)形を変える、ゆがめる
 e)①(引っぱって)移動させる[以下略]
  ②(チェスなどで駒を)進める
 f)((動作名刺などの抽象名詞とともに機能動詞的に用いられて))
2 (引っぱることによって)作動させる
3 引いて伸ばす; (時間的に)引き延ばす
4 (線・図形などを)引く, 描く; (溝などを)掘る[以下略]
5 (引っぱって・伸ばして)製造する
6 ((et.4 aus et.3))
 a)得る、手に入れる[以下略]
 b)(…を)抜き取る[以下略]
7 吸いこむ[以下略]
8 (植物を)育てる[以下略]
9 【商】
 a)(手形を)振り出す
 b)(計算書などを)作成する
10 (鉄砲に)溝〈腔綫〉を彫る
11(激しい手の動きによって殴打を)加える
12 a)〜h)再起動詞[省略]

【自動詞】
1 a) (s) ((多くは方向を示す語句とともに)) (ある方向に向かってゆっくりと休みなく)動いていく, 移動する[中略]((話))引っ越す[以下略]
 b)(h) (ある方向に向かって長く)伸びている[以下略]
2 (h,s) ((mit et3)(チェスなどで駒を)進める[以下略]
3 (h) ((an et.3)) (…を)引く; 引っぱって作動させる
4 (h)(ある表情を)する[以下略]
5 (h) ((an et.3))(…を)吸う[以下略]
6 (h) (空気・風が)よく通る
7 (h) (紅茶・スープなどの)味や香がよく出る
8 (h) (機械などが)動く
9 (h) ((話))人気がある、好評である[以下略]
10 (h) 【非人称】((es zieht jm. / jm. zieht)) 走るような〈痙攣性の〉痛みがある, [体の筋が]痛む
11 (h) ((話)) 【非人称】 ((es zieht)) すきま風が入る, 風が通る

独和大辞典(小学館)より


あった! es zieht jm.!と思われた方、残念ながらハズレです。これは

Es zieht mir im Rücken.(私は背中が痛い)

独和大辞典(小学館)のziehenの用例

というふうに使われる表現です。マリーさんは痛がっているわけではないようですから、ここでは違うかなと思います。

問題にしている文

1998 zieht es Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

の主語がesだとわからずに読むと、Marie Schmidtが主語に見えてしまって、自動詞の1の a)の意味、「移動する」だと思ってしまいがちです。

もし原文が

1998 zieht Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

であれば、「移動する」でいいのですが、もとの文には、「es」、ありますよね?

もう一度、上の独和大辞典の引用で、jn.がないかどうか、よく探してみましょう。

ありますあります。
他動詞の1のb)の②

((et.4<jn.>[aus et.3]))引っぱり出す, 引き抜く

独和大辞典より

と、③の

((比))((jn. in et.4))(…に)巻き込む

独和大辞典より

です。

つまりこの文は、

1998(1998年)に
es(それ)が
Marie Schmidt(マリー・シュミット)を
in die pulsierende Hauptstadt Tokio(活気のある首都東京)へ
zieht(巻き込む)する

という文なのです。

一件落着。

……は?

「1998年にそれがマリー・シュミットを活気のある首都東京へ巻き込む。」

日本語としてわけがわかりませんね(汗)

自然な日本語にするなら、iPhoneの翻訳アプリの訳が妥当なのかなと思います。

1998年、マリー・シュミットは脈動する首都東京に引き寄せられた

iPhoneの翻訳アプリ

過去形ですけれど、esが人に対して何かをする場合、人を主語にした受動態に変えるという処理はよくしますので。

ところで、DeepLの訳

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

というのもありましたね。

↓のコトバンクのプログレッシブ独和辞典には、ziehtの人の4格を目的語として取る場合の用例として
「Es zieht mich in die Ferne.\私は遠くへ行きたい」
が載っています。

この用法から、「マリーさんは東京に行きたがっている」→「マリーさんは東京に惹かれている」という訳になったのではないかと思います。つまり、これも間違っていません。

この文の主語はes、目的語は4格のMarie Schmidt、動詞は現在形、という点から考えると、以下の5つのAI翻訳のうちでは、

1998 年、マリー シュミットは活気に満ちた首都東京に移りました。

Google翻訳

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

年、マリー・シュミットは活気あふれる首都ベルリンに移り住んだ。

iPhoneのSafari

1998年、マリー・シュミットは活気に満ちた首都東京に引っ越す

Chat GPT

1998年、マリー・シュミットは脈動する首都東京に引き寄せられた

iPhoneの翻訳アプリ


適切な訳と思われるのは、パソコンのブラウザのDeepLの訳

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

ではないかな、と思います。


でも文脈に沿って訳すと……

ここからは後出しジャンケン大会になりますので異論もあると思いますけれど、私は、このケースではDeepLのようには訳さないと思います。

冒頭にも少し書きましたように、ここは本の裏表紙にある内容紹介です。その最初の文。ドイツ語の本では、英語の本でもそうですけれど、裏表紙に内容紹介や有名人の賞賛の声などが記載されます。そして内容紹介は臨場感の出る現在形で書かれることが多いのです。

けれど日本語では、特殊な場合をのぞいて過去形で書くと思います。第一文、第二文あたりが過去形で、リズムを整えるために第三文は現在形、のようなことはありますけれど。これは第一文なので過去形でいきたいところ。それに1998年は2024年の現在から見れば過去なので、やはり過去のほうが自然です。ですからGoogle翻訳などが過去形にしたのは適切だったのかもしれません。

そして、esが主語で、動詞は過去形……となると、iPhoneアプリの訳が適切かなという感じになってきます。

1998年、マリー・シュミットは脈動する首都東京に引き寄せられた

iPhoneの翻訳アプリ

でもちょっと待ってください!

本の裏表紙の、内容紹介の1行目です。もう少し華やかな感じ、インパクトのある感じにしたい。

なので、私ならこう訳すかな……と思います。

1998年、マリー・シュミットは引き寄せられるように脈動する首都、東京に向かった。

結局、東京に行っとるやんか! というツッコミの声が聞こえてきそうですけれど(汗)。そう、東京に移動した、という訳は、間違いではないんです。意味としては。でも、もしドイツ語初心者の方がこの文はよくわからないなぁと思って辞書を引いて、そうだGoogle翻訳で、と思って、「東京に移りました」という訳が出てきたら、Marie Schmidtが主語でいいのかな、って思いません? なのでこの記事の最初に、初心者の方は辞書を引いて訳にチャレンジしてみてくださいとお願いしました。

「マリーさんが東京に行った」と言いたいだけなら「1998 geht/fährt Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.」と、素直にMarie Schmidtを主語にする構文でいいはずです。東京に引っ越したのなら「1998 zieht Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio um. 」のほうがわかりやすい。でもこの文章の書き手はたぶん、何かこう、カッコつけたくて「es zieht」なんていう少し複雑な構文を持ってきたのです。裏表紙の第一文ですから。なので、その凝った雰囲気も出すべきでは……と考えると、この訳が妥当ではないのかなと思います。こんなふうに色々と考えながら訳すには、主語はesだと把握するのはとても大事なことです。

そしてこれもめっちゃ後出しジャンケンになりますが、この本はマリーさんが東京に着いたところから話が始まります。

ですから、DeepLの訳

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

を過去形にして

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれていた。

DeepL訳の改変

にすると、マリーさんは地方都市に住んでいて、東京に行きたいんだ!というところから話が始まってしまいそうです。でもそうではないわけですから、この場合にはこの訳は避けたほうがいいのではないかなと思います。


「es」という単語のニュアンスについて

それではここで、冒頭に書きました「es」を「ES」と大文字で書いた場合に、ドイツ語のSFが好きな方が反応されしまうのでは……というお話の解説です。

日本語で「それ」というと、何かいわく言いがたい隠語的な雰囲気が漂いますよね。ドイツ語でもやっぱりそうなのです。でもドイツ語のesでちょっと違うかな、と感じるところは、日本語の「それ」に比べて少し高尚というか、神秘的な感じが加わってくるような気がすることです。

話は変わりますが、大正時代に日本にやってきてドイツに戻り、弓道をドイツに紹介したオイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel, 1884-1955)という人がいます。この人が、「(矢を)人が当てるのではない、es(それ)が当てるのだ」のようなことを語っていたと聞いたことがあります。

esという言葉には、人智を超えた何かに通じるものが秘められている……そのようなニュアンスがあるようです。

私が何冊も訳しているSFシリーズにも、「ES」と大文字で書かれる存在が登場します。まさに人智を超えていて、ときおり理解不能なユーモアを繰り出しつつ人類を守ってくれるのです。

ですから

1998 zieht es Marie Schmidt in die pulsierende Hauptstadt Tokio.

のesも、マリーさんを引き寄せるいわく言いがたい高次の力……のようなニュアンスがあるのかもしれません。マリーさんには対抗することのできない、人智を超えた何か。なので、「(何かに)引き寄せられるように」という言葉を入れてもいいのでは、と思ったのです。

ただ、これがもし漫画の翻訳で、吹き出しのスペースが足りないような場合には、「1998年にマリーは首都東京に行った」のように簡単にしてしまう可能性もあります。esはそれほどの重みを伴わずに使われることもよくありますから。

したがいましてGoogle翻訳の

1998 年、マリー シュミットは活気に満ちた首都東京に移りました。

Google翻訳

という訳も、間違いではないのでしょう。間違いではないんですけれど、何かが足りない、何とかしたい……と、私は思ってしまうのです。とくにこのケースでは、あっさりしすぎている、と。


AI翻訳で怖いこと

ところで、最近話題になったのが、政府系ファンドや大手出版社などが、漫画のAI翻訳に取り組むスタートアップ企業オレンジに29.2億円を出資する、というお話でした。下のような記事も。

個人的には、私は便利なものはどんどん使いましょうと考えるほうで、アラビア語などのあまりわからない言語はGoogle翻訳に頼っています。日本語も他言語の話者から見れば謎で難しい言葉でしょうし、AIで漫画の翻訳ができればすごいことです……でも上のお話、吹き出しの中身を訳すだけでなく、絵の中の擬音を消して擬音に隠れていた絵をAIで生成し、訳した擬音を乗せたりもするそうです。そんなにうまくいくのかな、色々なことを5年で29.2億円でやるなんて、資金、少なくないのかな……と思ってしまいました。

私は海外漫画の日本語への翻訳もしていますけれど、漫画の翻訳って字数に制限があるので、原文とひとつひとつ照合してみたら、少し違う……という感じの訳になっていると思います。この吹き出しではスペースがなくて出せなかった情報を、余裕のある別の吹き出しに移したりもします。「ゴールドシュミットさん」を「編集長」と、役職にして字数を減らしたりも。

そういう一対一対応で訳していないものをAIの学習に使われたら困るな、と思います。漫画の翻訳では全体の流れや文化的背景や絵の動き、それぞれのキャラクターらしい言い回しや視線の向きなどに細心の注意を払いながら訳しています。絵から切り離されて言葉だけの一対一対応で学習に使われるのは不安です。本をまるごと無断で無料で学習に使われるのも納得がいかず……でもそれに加えて、正確性という点で大丈夫かなと思うのです。字数制限をクリアするために工夫を重ねてひねり出された訳で学習したりして。高度な学習はしてほしいけれど、それには材料が……と、なんだか堂々巡りになってしまいます。翻訳家がチェックするというけれど、どれくらいのレベルの人が、どれくらいの報酬で……?と心配なことばかり。

いまの時点のAI翻訳の正確性についても不安が募ります。
しつこいようですがもう一度引用します。AI翻訳の5つの訳。

1998 年、マリー シュミットは活気に満ちた首都東京に移りました。

Google翻訳

1998年、マリー・シュミットは活気あふれる首都東京に惹かれる。

DeepL MacBook ProのSafari

年、マリー・シュミットは活気あふれる首都ベルリンに移り住んだ。

iPhoneのSafari

1998年、マリー・シュミットは活気に満ちた首都東京に引っ越す

Chat GPT

1998年、マリー・シュミットは脈動する首都東京に引き寄せられた

iPhoneの翻訳アプリ

esを読み飛ばしたと思われるものが3つ、そうでないものが2つ。多数決ならesの読み飛ばし組の勝ちです。

……いやいやちょっと待ってください、という感じ。

でもAI翻訳ってどんなものなのだろう、と、ふと改めて思いまして、できるだけ新しい本で勉強してみようと、下の本を手に取りました。

ここではドイツ語の話をしていますし、せっかくなのでドイツ語でも、書かれている内容に取り組んで遊んでみました。ドイツ語でも同じようなことができるようです。言語学的なお話が豊富で勉強にもなりました。

著者は英語のできる方ですし、簡単そうに書いているけれど、TOEIC400点くらいの方はついていけないのでは……という内容でした。TOEIC900点くらいだけれど英文を書くのは苦手、という方向けの本なのかなと思います。英語力が十分ではない方が、いまのAIを使って翻訳の仕事をするのはまだ難しそうだなと感じました。けれど、ぎこちない英語を流暢な英語に訂正するのはChatGPTの得意技で、ビジネスシーンで使われる洗練された文章を学ぶのには良いと、この本に書かれていました。それはその通りだと思います。

そして本書によれば、ChatGPTを使いこなすためには「メタ言語能力」が重要なのだとか。メタ言語能力とは、言葉を説明するための言葉を持っていること。私自身、翻訳の仕事を始めたころは、なぜこの訳がいいのか、うまく説明できずにもどかしい思いをしました。経験を重ねて色々な講座を受講して、少しはできるようになってきたかな……というところですが、まだまだ。ですから、メタ言語能力って、とっても大切なことだと思います。

けれど、的確に使うためにはこのいくらか特殊な能力が必要だということは……。ChatGPTって、昔の音声認識ソフトのようだなと思いました。いまでこそ何気なく話しても理解してくれますけれど、昔、20年近く前かな、音声認識を使うには、まずトレーニングソフトで練習して、こちらがアナウンサーのように話す必要がありました。ChatGPTもまだその状態のような気がします。安全装置のついていないスポーツカーみたいな。

それから基本的なことをわかっていなかったのですけれど、Google翻訳やDeepLなどは機械翻訳で、ChatGPTなどは大規模言語モデルで、両方を含めた大きな概念がAI翻訳なのだそうです。機械翻訳は言語間のテクストの自動変換を行いますが、大規模言語モデルは自然言語理解とテクストの生成をして、翻訳「も」できるもの、とのこと。

ChatGPTのような大規模言語モデルは、機械翻訳とは違って大量の文章を訳すのは苦手だそうです。ですからそのあたりは機械翻訳のほうが上なのでしょう。大規模言語モデルは、単語の前後関係を計算に入れつつ出現率の確率の高いものを選んで言葉を並べていくので、自然な文章にはなるけれど、訳抜けもあるし、用語集を与えてもそれを正確に反映させるのがあまり得意ではないらしい。用語集を与えた上で訳語がそろっているかをチェックをさせることもできるけれど、そのチェックにも抜けはあるので、そのあたりはCAT(Computer Assisted Translation)ツールのほうが頼りになるのかな……という感じ。それぞれに一長一短だなと思いました。

そしてChat GPTの答えは正しいかどうかわからない、とのこと。上の本ではエラー等の見極めには言語や翻訳の専門家に確認してもらうことを推奨していました。

そうはいっても……多くの人が使うAI翻訳が間違った訳を出しつづけると、それが「正解」と思われて広まってしまう可能性はあると思います。いつもいつも翻訳者に確認するわけにはいかない気がします。AI翻訳の開発者さん、責任重大なのですからもう少しがんばっていただくわけにはいかないのでしょうか……と思うのです。「正確かどうかはわかりません」と利用規約に書きました、それで免責です、と言われても、なんだか納得がいきません。

たとえばもし、上で検討した文について翻訳の依頼元から、Google翻訳ではこうなっていますが違うのですか、という問い合わせが来たとしましょう。その場合、上のようなことを(もちろん簡潔に)説明しなければなりません。ひとつだけならいいけれど、本1冊となると……考えただけでぞっとします。でも、そこまで信用ならない翻訳者にははじめから依頼しないのでは……という気もしますけれど。

私自身は、AI翻訳にフィクションの翻訳で負けるとは思っていません。フィクション翻訳で必要な、場面に合わせて適切に間違った日本語を使うという能力をAIがすぐに習得できるとは思えないからです。それに、あるキャラクターに特定の話し方を設定したとしても、セリフにリアリティが出るのは何かが起きてその話し方から逸脱するときです。そのあたりの判断もAIには難しいと思います。でももし、出版社のほうで、AIのほうが安いし早いから今後は使っていきます、という決定がくだされたとしたら、対抗するすべはないかもしれないと思っています。

路線バスの運転手さんに、自動運転の車に仕事を取られると思いますか? と尋ねる人はいないはずです。いまの時点では、都心で周囲の車も無茶な運転をするような場所で、自動運転のバスに乗りたいなんていう人はいないのではないでしょうか。けれどもし、同じ路線に地下鉄が走ったとしたら。その路線を走るバスはなくなってしまうかもしれません。少なくとも本数は減るはず。路線バスの運転手として確かな腕があれば、新しい道は開けるのでしょうけれど、次の世代が腕をあげていく場所は減ってしまうし、層も薄くなってしまいそうです。すでにいま、バスの運転手の人手不足は深刻なようですし……。翻訳の世界は大丈夫でしょうか。出版翻訳で、あの報酬では続けられないと優秀な方が撤退したというというお話も聞いたことがあって……。

少し話は変わりますが、産業翻訳者のみなさんがAI翻訳の導入に否定的な声をあげていることについて、そんなことを言っても仕方がないと批判的に見ている方もいるようです。けれど、いま実際に機械翻訳の修正を仕事としてやっている方々の声には耳を傾けたほうがいいのではないかなと思っています。それは、漫画のAI翻訳の未来の姿かもしれない。

機械翻訳の訂正は、MTPE(Machine Translation Post Editing)と呼ばれたりします。私は実務経験はありませんが、お話を聞いていると大変そう、と思います。日本語としては不自然ではないけれど、原文と付き合わせるとおかしなところがある、そういう文章から誤訳を見つけるのは、明らかに不自然な日本語から見つけていくよりもずっと大変です。それに100%マッチといって、あらかじめ用意された対訳データにまったく同じ原文があれば、データの中から同じ訳を使うわけですが、文脈上それで大丈夫かを確認する手間はかかるのに、報酬はゼロになることもあるそうです。多少不自然でも前の訳を踏襲してほしいと言われたりもするとか。MTPEを仕事として引き受けて生活が成り立っている優秀な方もいらっしゃるそうですけれど、みんながみんなそうではない、割に合わないというお話を聞いています。もしフィクションの翻訳で既訳の踏襲が優先されて、何かおかしいな、という日本語にOKを出しつづけてしまうと、翻訳の力はなかなかつきません。もし、最初から自分で訳していればそうはしないという訳が世の中に出て、名前がクレジットされて、読者の方から非難されてしまったら、繊細な方は心を病みさえするのではないかと、心配です。

ところで、漫画の翻訳では、吹き出しに合わせてセリフを縮めたり伸ばしたりする必要があります。原稿の段階では入るんじゃないかな……と思っていたけれど、ゲラを見ると収まりきれていなかった、ということも。30字を27字にするのはそれほど大変ではありませんが、8字を5字に、という場合は大変です。それでも頭をひねって何とかするわけですが、それができるのは、私の場合、SFシリーズで20冊ほどの本を訳す経験を積ませてもらうことができたからこそです。あのシリーズには育てていただいたと、本当に感謝しています。翻訳は、ある程度の量をこなさなければ力がつきません。いきなり「8字を5字に!」と言われても、全体とのバランスがありますから、経験がなければ適切な訳をひねり出すのは難しいのです。AI翻訳の修正をしてください、と、いきなり経験のない方に振ってもあまりいい訳は出てこないのではないかと思います。優秀な翻訳家を確保したとしても、次の世代は育つのでしょうか。あまり予算のかけられない小規模なプロジェクトで経験を積むというステップがAIに取ってかわられてしまったら、実績のない方はどこで経験を積めばいいのでしょう。経験がなくてもいい訳ができる優秀な方もいらっしゃいますけれど、そういう方が安く使い捨てにされてしまったりはしないかと、心配になっています。

私はAIになんか負けませんよ、などと言っている場合ではないのではないのかな、と思っています。産業翻訳の現場で起きていることは、ほかのジャンルにも波及するはずです。産業翻訳者の方々の多くは、AI翻訳そのものに反対しているわけではありません。質の悪い機械翻訳の訳にOKを出したり、機械翻訳を通したから安くできるでしょう、と、1割くらい間違えて訂正に手間のかかるMTPEの仕事を翻訳者に安くやらせている状態に納得がいかないと言っているのです。これは警鐘として受け止めるべきです。漫画のAI翻訳で同じことが起きないと、誰に言い切れるでしょうか。

ひとりで考えていても暗くなるばかりなので、翻訳を愛する方々とつながって、考えていけたらと思っています。翻訳って、楽しいですから。翻訳を仕事にできるのは、とってもうれしいことです。この営みを喜びとともに続けていける人が増えますようにと、願っています。

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