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進化する自治を構想する 23「止められない大阪文化の喪失」

単年度サイクル

 竹村さんの話を伺っていて、やはり、大阪の芸術も食も、歴史的積み重ねによるその奥深さについて、多くの方々には理解されていない現実を感じます。
 わかりやすいことがもてはやされていて、理解するのには時間がかかる、手間ひまかけてじっくり考えるという思考が失われてきています。
 企業の業績にしても、学校の成績にしても、短期間でどれだけ伸びるかが評価軸であり、行政も単年度主義であることから、1年以内に成果をあげるかということが重要視されていて、そのサイクルに慣らされてきています。

手軽さとともに失いつつあること

 1980年代、重厚長大に対して、軽薄短小というカウンターカルチャーが生まれてきました。重い表現に対して、もっと手軽に、もっと瞬間的に、おもしろいことがもてはやされてきた背景があり、おニャン子クラブやAKB等が隆盛することになったわけですが、軽薄短小がメインストリームになってしまいました。
 プロの深い技術と、アマチュアの即興芸みたいなものが同じ土俵で語られ、かつプロの深い技術が切り捨てられてきているわけです。継承していかねばならないことについて、お手軽さやスピード、コストパフォーマンスだけで判断していくと、何も残らないことになります。

民間でできないことまで民間にやらせてはいけない

 時代は、スピードと手軽さの方向に舵を切っています。民間でやれることは民間で、と言っている間に、重要な文化継承は行われず、焼け野原になってしまいます。少なくとも、公共でやらねばならないこと、やるべきことがあるわけです。
 例えば、私が関わっている大阪府大東市の飯盛城。織田信長の一世代前の武将であり、日本で始めての天下人と言われている、三好長慶の居城だったところです。この飯盛城の発掘作業が近年進んでいて、山城なのに石垣を積んでいるという、近代の城作りの原型とも言われています。現在、大東市と四條畷市が市の予算で発掘しているのですが、97%が私有地で、民間だけでは、そうそうできるものではありません。公共でしかできないこともあるのです。

止めてはならない文化・芸術活動の継承

 継承することが重要な文化活動は、お金がなくなったら、集客できなかったら止めるということはできません。一旦止めてしまうと、再び始動しようとしても継承できない可能性もあります。大学の部活動の中には、コロナによって3年間止まってしまったがために、部活として何も継承できなくなり、廃部になってしまうところがでてきています。大阪の文化・芸術活動でも同様です。私たちの時代で、様々なバトンを失くしてしまわないようにしなければならないと改めて思いました。

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