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劣等感ていうのは、自分だけが感じるものなんだよ

 私は、自分の中に流れる女の血が嫌いだった。
 男に溺れた母親のようにはなるまいと、必死で自分の中の女を排除してきた。感情の赴くままに動かず、女だからと甘えず、男にバカにされないよう対等に渡り歩こうと生きてきた。
 だから必死で勉強をした。努力をした。泣き言を言わなかった。
 女同士でする足の引っ張り合いも軽蔑していた。

 そんな私は、たった一人、尊敬できる男性と出会った。
 その人に認めてもらいたくて、より懸命に努力した。成績を上げた。追いつきたくて、必死だった。

 だけど、私のそんな努力を嘲笑うかのように、彼の隣にはいつもあの子がいた。
 邪魔だった。
 悔しかった。
 いつもヘラヘラとして、大して頑張ってもいないくせに簡単に私を超えた。そして、私の欲しいものばかりを奪っていった。
 どうして?どうして私じゃなくて、あの子ばかりが手にするの?どうしてあの子ばかりが気にかけてもらえるの?どうして庇ってもらえるの?守ってもらえるの?私の方が何倍も努力しているのに。
 どうして嫌っているのに笑いかけてくるの?声をかけるの?普通に接してくるの?
 これじゃ、私がバカみたいじゃない。私に近づかないで。あんたなんか、大っ嫌いよ。

 今まで抑え込んできた欲情が、ついに表に出た。
 言ってしまった。あの子を大事にしている彼に。自分の思いの丈をぶつけてしまった。
 彼から授業を教わっている時にしていた質問のように、答えてもらうのが当然のように、次から次へと簡単に口から言葉が吐き出された。
 静まりかえった廊下で、彼と二人きりだった。はじめは、明日の任務についてよろしくお願いしますという挨拶を交わした。そこで、先程あの子に言われた「私のフォローがあれば安心」という言葉を思い出し、急激に苛ついたのだ。
 私はあの子が嫌いなのに。何でそんなことを言うのか理解できない。きっと、私のことを見下しているんだ。あの子はそんな子なんだと、彼に気付かせたかった。

「どうしていつも勝てないのかしら?私がどんなに努力しても、あの子は簡単に私の上を行くわ。それがどんなに悔しいことか、あの子には全然わからない。どんなに突き離しても、あの子は笑顔を向けてくる。……バカじゃないの。それが私を惨めにさせてるって、どうして思わないわけ?これじゃ、私のしてること全部がバカみたいじゃない!」

 完全に八つ当たりだった。
 醜い嫉妬と怒り。どうしても止められず、私は声を張り上げた。
 でも彼は、私を責めることも怒ることもせずに私の話を黙って聞いていた。

「あの子、私に嫌われてるって知ってるのに、笑ってくるんです。私にはわからない。何であんな風に話しかけてくるのか」
「それは、仲間だと思っているからじゃないか?」
「仲間?冗談じゃないわ。私はあの子を仲間だと思ったことない!あの子だって、心の中で優越感に浸ってるに決まってるわ!」

 そのまま切りそうな強さで唇を噛んだ。止められなかった自分に腹が立って仕方なかった。
 どうか、怒ってください。感情に流されてしまった私を、どうか。
 けれど、それさえも叶わず、彼は静かに問いかける。

「……そうだな、こんな話を知ってるか?笑うことしか出来ない子供と、笑うことが出来ない子供の話。お前は、どっちがかわいそうだと思う?」

 その意味がわからなかった。
 懸命に『正解』を探そうとするが、混乱した頭では少しもそれは見つからない。

「わ、わかりません。どっちもかわいそうに思えますけど」
「だろうな。傍から見ればそうだと思う。でもこの話では、笑うことの出来ない子供だけが劣等感を抱いてしまうんだ」

 それを聞いて、私は奈落の底に落とされたようだった。

「笑うことしか出来ない子供は、自分がそれしか出来ないことをちゃんと理解している。だから、自分の出来ることを精一杯するだけだ。つらいことがあっても、泣きたいことがあっても、その子はいつもにこにこと笑っている。でもそれを見た笑えない子供は、その子を羨ましく思うんだ。なぜあの子はあんなに楽しそうに、幸せそうにしているんだと。……もうわかるな?お前なら」

「──はい」と喉の奥から絞り出した。

「劣等感ていうのは、自分だけが感じることなんだ。その人が抱かせてるわけじゃないんだよ」

 酷く優しい声で彼は言った。そこにあの子への愛を感じ、猛烈な嫉妬が湧き上がる。

「どうして尾乃寺(おのでら)は劣等感を抱いたんだろう?何か原因があるはずだ。不安だったり恐怖を感じたことがないか、まずはそれを考えてみるのはどうだ?」
「私……! 私は、あなたを教師だと思ったことはありません!」

 あなたに愛されたかった。ただ、それだけだった。
 感情に流されたままの私は彼の胸に飛び込み、半分自暴自棄になってそう言った。

 しかし、彼は飛び込んできた私に驚きはするものの、手を振り払うことも、1㎜も自分から触れようとはせずにこう言った。

「それは、教師失格ってことかな」

 もうダメだと思った。怒られることさえされず、はぐらかされた私の気持ち。

「違います。好きなんです、あなたのことが」

 ああ、なんということだろう。こんなにも私は、彼に触れられたいと思っているなんて。
 あんなに嫌悪していた女の血が、ふつふつと自分の中に流れているのがわかる。女であることが嫌だなんて、そんなことを考えている時点で私は女なのだ。

 振り落とされた謝罪の言葉が、重くのしかかる。何の音も入ってこなかった。何の力も入らなかった。
 なのに、涙だけが頬を伝った。

「……有羽(ゆば)もですか?」
「え?」
「有羽のことも、ただの生徒としか思ってないんですか?」

「そうだよ」と彼は言った。
 どうしてそうまでして庇うのだろう? 何から守っているというのだろう。それとも、私があの子に何かするとでも思っているのだろうか?

「──違いますよね。酷いですよ、そんな優しさいりません」

 少しだけ強がりを口にして、私は彼から離れてその場を離れた。


──橘右近オリジナル作『字守-アザナカミ-』より引用


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