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父が逮捕された話し。

朝、いきなりスーツ姿の大人たちがずかずかと家に入ってきて
タンスの引き出しを上から開けては閉め開けては閉めを繰り返し、
それが終わると父の両脇を抱えるようにして連れて去っていった。

開けっぱなしになった玄関の向こうには
近所の人たちが何事かとこちらを見ている。
まるでテレビのワンシーンだ。
僕は母に「友だち?お父ちゃんの友だち?」と聞いたら
母は「う、うん」と生返事しながらただオロオロしていた。
それから父は1週間ほどして「出張」から帰ってきた。
父がいない間は厳しく叱る人がいないので快適だった。

それが記憶の片隅にいたある朝の風景。
その後は何事もなく、ふだんの暮らしに戻ったので、
すっかり忘れていた。

思い出したのは、高校生になってから。
これもまたある日いきなり、自宅のポストに届いたたくさんのはがき。
毎年の年賀状よりも多かったと思う。
「不当判決にどうのこうの」
「頑張ってください!」
「長い間、国と戦って…」
「奥様も大変だったでしょう…」
などなど、激励のメッセージ。
父に、一体これはなんだ?と問うたところ、
「お前、知らんかったのか?」と、とぼけた答えが返ってきたのち、
新聞のスクラップを見せてもらい、なんとなく理解できた。
そして、冒頭に書いた子どものころの体験をじんわりと思い出したのだ。
「あーそういうことか」
簡単にいうと、公務員だった父が春闘の団体交渉で
交渉自体を拒む管理職らと揉めたのが逮捕・監禁罪に問われ、
地裁(一部勝訴)→高裁(勝訴)→最高裁(逆転敗訴)となり、
執行猶予がついたのだ。いや罰金刑だったけ?(忘れた)

まぁ、教師の家に生まれのほほんと育った母が大変だったよな。
夫が逮捕とか。

 その時に聞いた後日談だが、
父がある日クルマを運転していると白バイに停められ、
「お久しぶりです」と敬礼され、なにごとかと白バイ隊員を見ると、
当時逮捕された警官だったそうだ。
その警官は一度だけわが家を訪ねてきた。
小さな子(私)が気になっていたらしい。
それもなんとなく覚えている。
いまじゃ、絶対あり得ない話だろうけど、人情のある時代だったね。

あ、ついでに思い出したけど、東京に暮らしている時、
渋谷駅前で成田空港建設反対の活動家から声をかけられ話し込んだ。
父が逮捕された話をするとえらい食いついてきた。
「同志」だと思われたのかな。
集会に誘われたがとりあえず募金してお別れした。 

父から学んだとこは多い。
父は酒を飲むことがなかったが、議論はした。
逮捕エピソードからおわかりのように、リベラルな父。
その影響を受けていたが、いつしか右寄りになった私。
若い頃は怒鳴り合い、母はオロオロしてたのもいい思い出。
「屁理屈ばかりいいやがって!」
「あんたのおかげだ!」
本当に、なんであんなに理屈っぽい人だったんだろう。
いやまだなんとか生きてるけどね。

 認知症により、記憶が行ったり来たりの母を甲斐甲斐しく世話している。「母さんを見届ける。お前たちに苦労かけん」
父のプライドらしい。

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