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私と小鳥と倫理観。

私の頭の中には"揚げ足鳥"が住んでいて、
私が何か言うたびに「確実にそう断言できるだろうか」「その言い回しではこういう例外があるぜ」とか逐一言ってきて、一つの文章を成り立たせるのにちょっとだけ時間がかかる。
だけど、私はこの鬱陶しく羽を動かしてくる鳥ちゃんを心に飼っていて良かったと思う。

言い方によって仲間外れにしてしまいそうな人が出ないように、傷つく人が出ないように、この鳥ちゃんはいつも私の言葉を検閲してくれる。"絶対に誰も傷つけない"なんて断言するのは傲慢かもしれないけど、頑張りはしたいじゃん。
頭の中の鳥とかいうメルヘンな例を出しておいて身も蓋もないことを言うが、この鳥ちゃんは私の想像力によって生まれ生きているので、結局あくまで私の想像の及ぶ範囲の中で、私の言葉が誰かを傷つけたりしないか気をつけてくれてるだけなんだけどね。

この鳥ちゃんと出会ったのは、初めてポートフォリオを作ったときだった。最初は大学受験用のポートフォリオ作りをみてくれる担任の先生に、自分の文章にツッコミを入れられたくなくて奴は生まれたのだ。この経験のおかげで、自分で文章のツッコミどころを見つけて先に潰しておくか、ツッコミを入れられたときにどう答えるのか考えておく習慣がついた。
最初は文章の稚拙さや取り止めのなさ(なさすぎ)を気にしていたけど、親しみやすくて特定の誰かを傷つけない文章ならいっか!ってなってからはどちらかといえば倫理観センサーとしての役割をしてくれている。

しかし、鳥ちゃんにつっつきまわされていると文章の生成速度が遅くなるというのも事実で、会話のテンポを重視する場合はちょっと厄介かも。あ、でも会話のテンポを重視するときなんて、ある程度気心の知れた、パーソナルな部分や自分の置かれている立場や前提を知っているうえで話を聞いてくれる友人と喋るときくらいだし、問題はないのかもな。
強いて言えば、私がテンポを重視したお笑いや会話劇の脚本を作るとなったときには塩梅が難しそうかも!

もし人類全員が、同じ価値観を持ち、同じ生育環境で生き、同じ解釈をする、そんな全く同じ前提で会話が出来るのならこの鳥ちゃんはいなかったかもしれない。
でもそうじゃないし、だからこそ地球は面白い。

ところで私はキャッチコピーを考えるのが好きなんだけど、キャッチコピーは短文で断言するようなものが比較的多い感じがする。そうすれば長くて回りくどい文章よりかは反芻できて頭に残るしね。だからこそたまに、短文断言がピンポイントでなにかだれかをモヤモヤさせたとき、キャッチコピーの広告が炎上しちゃったりするのかな。(ああいうのは文ひとつのことだけじゃなくて、広告と言う側面でその言葉を使う?っていうモヤモヤから炎上してるのかな)

キャッチコピーに限らずだけど、断言口調は小気味良くてスカッとしてて自信を感じたり頼もしく感じたりする反面で、あまりに切れ味が良すぎて意図せず誰かを仲間外れにしたり傷つけたりしてしまうことがあるのかな。

今はいろんな人がいて、それを多くの人が分かっている世の中だ。(と私は信じたい)
だから一つの、ある前提というのが必ずしも同じとは限らないし、答えも一つじゃない。
私は発信をする側としては何かどちらかに依ったりどこか一方の属性を蔑ろにはしたくなくて、せっかくこの、自由になってきた世の中を私の言葉で後退させたくないんだと思う。誰かの発言は、たとえ世界にとってちっぽけな存在がした発言だったとしても、ちょっとずつ世界を変えてしまうと思うんだ。

そのことを分かったうえで、鳥ちゃんは今日も羽ばたいてくれる。多様性溢れる空の中を、今日も愉快に飛んでゆくのだ。
そして私も鳥ちゃんが生き続けられるように、想像力を働かせて、考えを止めずに話すようにしたいな。多少テンポが遅くなってもね。

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