見出し画像

わたしたちは、立ち止まりたかったんだ。

渡ろうとしている船

過渡期世代、とは、私たちのことを言うのではないだろうか。
バブル絶頂期の1982年、テレビではアイドル達が満面の笑みを浮かべて歌って、踊って。誰も、日本の爆進を疑わなかった頃。私たち…今40歳前後の世代は、この日本に、生まれ落ちた。

あっと言う間にバブルが弾けて、時代はまるでスローモーションへ。
きっと、今、日本に訪れる外国人にとっては、私たちが、少し前のキューバに「今行った方がいいよ!」と声を掛け合っていたのと同じモチベーションなんじゃないかな、と思ったりする。

今は、まだ、かろうじて、日本が、日本の姿を残している時期。
もちろん、移り変わらないものなんて、何一つないのだから、「日本らしさ」もまた、時代と共に、わたしたちと共に、変化していくものなのだけれど。

この川は、どんな海へ続いているのだろうか。
今乗っている船が、目指している場所は、本当に向かいたい場所なんだろうか。
この船は、本当にその場所まで、保つのだろうか…
そもそも、この旅を、どうしてしているのだろうか…

イメージの世界だけれど、誰も、なんとなく、
こんなことを感じているのではないだろうか。

蔑ろにいされている、平成の時間

平成という三十年間は、失われた30年と言われるけれど、私たちは、本当に失ったのだろうか?私は、とても大切なことに、みんなで氣がついてきた30年だったんじゃないかなと捉えてみたい。

平成元年に、私は、小学生になったので、半生は、平成と共にあると言って過言ではない。けれど、今は、平成よりも、昭和への懐かしさが語られることが多いように感じる。

身近なことを大切にするって、時代でも同じと思っていて。平成で、何を成し遂げてきたのか…。振り返るってすごく大事だと思って、書きたくなった。

豊かとは、何か?

今から30年ほど前に、出版された「豊かさとは、何か」という本。
高校生の頃に小論文の課題図書か何かで読んだ。
振り返ってみると、私にとってはこの本は、ある意味一つの価値観の根幹になっている氣がする。というか、多分、この本が、当時私の抱えていたモヤモヤをはっきりと進むべき道と共に、言語化してくれていたのだ。

なんのための経済発展なんだろう?
なんのために働くんだろう?
なんのために、学ぶんだろう?
家庭の中が、こんな状態で、あたたかみがないのに??

心が冷たくなるような経済発展だったら、しない方が、まし。

兄姉が就職や進学で家を出て、特別支援学級の教員だった父が病になり入院し、母は相変わらず学校で教員として他所の子達の面倒を見ていて…がらんどうになって、冷え切った家庭で暮らしていて、いつも感じていたこと。

家族が、家族として、一緒にいられる時間というのは、どの家庭においても限られるもの。特段、我が家だけがそうなったわけじゃないし、それが問題の根本ではない。大事なことは、離れても、つながっている感覚があるかどうか。関係性を育んでいこうという氣持ちが通いあっているかどうか…。

もしかしたら、「わたしの想い」が、時代を止めてしまったのかも

心を置き去りにするような経済発展だったら、しなくていい。
それは・・・、この本を読んだ20年前くらいから、ずっと心の中に流れていた。もしかしたら、この、わたしの想いが、時代を止めたのかもしれない。

それは言い過ぎだろうか?
いや、こんな風に感じていた「わたし」は、もしかしたら、本当に、同時代に、たくさん、たくさん、いたのかもしれない。今も、いるのかもしれない。

「わたし」という、一人の人間が感じることは、ある種、時代が感じること。
「わたし」にひらめくことは、同時多発的に、「わたしたち」にひらめいていること。
なぜなら、わたし達は、深いところで…
それは、意識の領域、または魂の領域で、つながっているから。
同じ魂のわけ御霊として、生きているから。

特に、女性達は、子宮を通して、「いのち」全体と、つながっている。

「わたしが、時代を止めました。
わたしが、平成という時代を、経済発展的には、”失われた”ものにしました。
なぜなら…

もう、続けていけないと感じたからです。
そんな経済発展は、心が悲鳴をあげて、地球が悲鳴をあげて、全然持続可能じゃないから。

それだったら、全部一旦リセットすればいいと思った。
そう思ったんです。」

そう、自分自身が、この世界の全てを引き起こしたのだ、と思った時に、同時に照らされる希望や願いが、明らかになってくる。

こころの焼け野原を生きて

平成・・・
その漢字から、受け取る印象は、平原…
では、その平原は、どのような土壌に出来上がるだろうか・・・

例えば、牧草地を作るには・・・まず森を燃やすのだ。
山を全て燃やし尽くすと、そこには、草だけが生える、黄緑色のはらっばが出現する。

そう、平成という時代がしたことは、心の焼け野原を作って、原っぱにしたのだ。

心が悲鳴をあげて、燃え盛って、パタパタと命を絶つものが絶えず・・・
命を絶つものたちのそばで、何もできなかったと、またその命のかけらを灰色にして、生きていく人たちもたくさんいる。

全てを燃やし尽くして、涙も枯れ果てるほどに、泣いて、泣いて、泣いて。
全てを壊して、それでも守りたいものは何?
それでも、大切にしたいものは何?

まるで、火山が噴火して、溶岩ができて、
またそこに、自然界の命が育まれるように。
全て失っても、なお、大切にしたいものを可視化するために、私たちは、「焼け野原」を生きてきたのではないだろうか。

平成に焦点を当てて、語ろう。語らなくてはならない。
平成は、「昭和のおこぼれ」なんかじゃない。
平成は、陰の時代かもしれない。でも、その陰があるから、強烈に大切にしたものが、はっきりするのだから。

焼け野原で、拾った、宝物

私は、この時代に生きて、よかったと思っている。
バブルは経験しなかったし、とても生きづらかったし、まるで地を這う虫のように、生き延びてきたと言っても過言ではない。

でも、それは、私が、大切にしたいものを、
大切にしたいと願ってきた結果だから。

誰も見向きもしないような、
平凡で、他愛もなくて、ささやかな、生きている幸せ。

子の温もり、肌の弾力、存在が作り出す、電力のようなもの・・・
空氣が、ここに、まだ、あること。
今も、まだ、地球と太陽は絶妙な距離感を保ちながら、
宇宙は存在しているということ。
その全てを、五感を使って、私は目撃し、観測しているということ。
それを、共に生きる人と、分かち合っているということ。

それ以上に、大切なことなんて、あっただろうか。
私にとっては、家庭がとても、大切。
家族が、とても大切。
この家庭、この家族、この暮らしを大切にせずに、他の外側のことを大切にするなんてことは、できないし、したくない。

もしかしたら、まだまだ、幼い頃の心の傷が、それをさせるのかもしれないけれど、それが現在地。そして、きっと、これは、これを読んでくれている、もう一人の「わたし」の心の奥にも、ある、願いなのだろう。


よろしければ、ぜひサポートをお願いいたします! いただいたご支援は、さらなるアウトプットのための、素敵なインプットのために使わせていただきます✨✨✨