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「罰」と「治療」の間で

2019年に出版された『ストーキングの現状と対策』(成文堂)に、
逗子ストーカー事件遺族である芝多修一氏が
「被害者救済の総合対策」を寄稿されています。
芝多氏は、被害者遺族の立場からストーカー加害者への治療の必要性を
訴えていらっしゃいます。逗子ストーカー事件は、警察の手続きミスや不手際があったことは当時も報道されたように記憶しています。芝多氏はもし警察のミスがなく連携もうまくいっていたとしても、加害者の凶行をくい止めることはできなかったのではと考え、被害者を守るためには何が必要なのかを考えた末に加害者への「治療」があり、さらに治療だけでなく広い視野に立ってあらゆる対策について論じていらっしゃいます。とても参考になります。


ここでは文中で気になったところを中心に感想を書いてみようと思います。

まず。「加害者治療」が社会的に論じられる機会について2014年にはすでに増えてきたとあります。

そ、そうなのか。。。私が被害に遭って警察・検察(香川県警、高松地方検察庁)の方々と手続きのためにお話しした2016-2017年で、誰ひとりとしてストーカーが医療によって治る/無害化するとは思っていなかったようですし、被害者の立場からそれを言うのはおかしいと散々言われました。

地方と東京の時差なのでしょうか。私自身も被害に遭う前にはストーカーについて興味を持っていたわけではありませんので、逮捕を待つ間に少しだけ余裕ができたときに調べていて福井先生と小早川先生の本を読んでようやく病態であること、治療ができることなどを知ったのです。
 
さらに警察がストーカーに警告するときに治療及びカウンセリングを薦める試みは、2013年から始まったと書いてあります。これも初耳でした。2021年(R3)国会審議の中では「2016(H28)年度から警察が加害者への対応方法やカウンセリング、治療の必要性につきまして、地域の精神科医などの助言を受けて加害者に受診を勧めるなど地域の精神科医療機関などとの連携を推進」と警察庁生活安全局長小田部耕治氏が何度も答弁していたので、2016年からなのだと思っていました。一部の自治体では先進的に2013年から進めていたと言うことなのでしょうか。

私が思い込んでいるよりも数年も早い時期から警察と地域の精神科医療機関との連携は始まっていたと言うことになります。でも2021年国会で明らかになったのは令和二年での禁止命令数が全国でおよそ1500件に対して医療機関を紹介するなどの働きかけをしたのが882人、そのうち治療実施したのが124人だけだったのでした。

今年8月になって、ようやく十の都道府県で禁止命令を受けた加害者全員に医療もしくはカウンセリングを案内すること(強制ではない)が、三ヶ月間試行されることになりました。警察ー地域医療連携が始まって十年目でようやく禁止命令を受けた加害者全員に働きかけが行われる動きが出てきたというわけです。

警察が加害者を医療に導くことが良いのかどうか、私には判断がつきません。裁判所が治療命令を出す方がスッキリするのではないかとも思います。
ただ、逮捕に至る前段階の加害者を医師やカウンセラーとつなげて相談できるようにしておくことは、とてもとてもありがたいことです。完全に無害化させるには何度も面談、カウンセリングを重ねていかないといけないようですが、まずは加害者の言い分をフラットに聞いてくれる人がいるだけでも孤立化して憎悪を膨らませることを防げるのではないかと思っています。

禁止命令を出した後、または服役して満期出所した後など、加害者が被害者に何かしてこない限り、警察は動けませんから、動向はわからなくなります。被害者のことを忘れて新たな人生を歩んでいるとは限らず、ひとり静かに恨みを溜め込んで殺害計画を立てていたとしても、わからないのです。逗子ストーカー事件もそうでした。そういう例が一つでもあれば、被害者は最悪の事態に備えていつまでもひっそり隠れるように暮らすことになってしまうのです。

芝多氏は加害者更生に関わる人たちとの交流を経て、加害者の心の中に残るねじれた部分に気づくのは、加害者家族でも警察でも保護師でも被害者でもなく、専門訓練を受け処遇プログラムを実施するカウンセラーだけかもしれないと述べています。

ただ、そこで私たち被害者全員が切に望むのは、加害者情報の提供です。危険を教えて貰えば避難することができます。モニタリングという言葉を使っていらしてなるほどと思いました(私はある場で監視と言う言葉を使ってドン引きされました)。モニタリングが可能にならないかを模索したようですが、カウンセリングの守秘義務の壁は厚く、関係者たちとの合意は得られなかったようです。

もう一点、
「加害者治療」という言葉が広がり定着していくことについて、芝多氏は戸惑いを感じていると述べ、注釈で信田さよ子氏の「グローバル化する精神医療 辺境から眺める」から引用し、「疾病化は彼らに『病気のせいで』という言い訳を助長することで責任から遠ざけてしまう危険性」を示唆しています。

どうしてそうなってしまうのか、とても悔しいです。私は加害者に治療もしてもらいたいし、処罰も受けてほしいと検察官にしつこく申し上げたのですが、理解されませんでした。

まあ理解されても現状そういう制度にはなってないんでどうにもならないのですが。せいぜい治療に通うことを条件に不起訴にすることくらいしかできないと。
それでは私が望むこととは全然違うのです。不起訴になったら「自分は悪くなかった」と加害者が思うことになります。

「治療」を進める事が罪の重さから目を背けることになるのならば、「治療」という言葉を使わない方が良いのかもしれません。「無害化」という言葉は小早川先生が使っていてこれもまたなるほどと思いました。ともかく、付き纏いを完全に止めるための医療介入と同時に犯した罪についてはちゃんと責任を持って償うような仕組みになってほしいのです。

処罰を受けてほしいと思っていた書きましたが、これについてはまた別の機会に書きたいと思います。



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