見出し画像

立ち読みが苦手なんです

先週上司とした話。

私は立ち読みが苦手だ。

だから何だと思われるだろう。
そんなこと気にしなくても生きていけるだろうと。

考えてみてほしい。これは大きな損失なのだ。結構なロスだと思う。
立ち読みができないということは、時間を潰せないのだ。
待ち合わせ、時間の微調整、暇つぶし。

立ち読みをする機会は意外と多い。
コンビニでは控えるべきなのだろうが、それでも待ち合わせ場所をコンビニにしてしまえば、立ち読みは避けては通れない。
書店での暇つぶしもそうである。
コンビニであれば立ち読みの対象は主に雑誌だろう。
特に雑誌の立ち読みは大の苦手だ。

なぜ苦手なのか。そもそも何をもって苦手と言っているのか。
いざ言葉にすると難しいものがあるが、端的に言えば「集中できない」のである。
雑誌内の文章をしっかり読めない。
写真もすぐ眺め終えてしまう。
一つの雑誌を3分以上読み続けられてためしがない。
いや、あるのかもしれないが体感的にはすぐ棚に戻している気がする。

なぜ雑誌に集中できないのか。
それは、「立ち読み」が本来の「目的」ではないから。
これに尽きるのだと思う。

待ち合わせに「付随」する立ち読み。
雑誌を読むことが目的ではなく、あくまで待ち合わせが真の目的である。
そうなると立ち読みは時間潰しのために行うものであって、目的の順位としては2番目以降になる。
おそらく私はその「目的の順位」を無意識に意識している。
これは本来の目的ではないからそこにリソースは割けないのだ、と。

そもそも立ち読みと同等に、雑誌を読むのが苦手なのだ。
苦手というか、そこまで読み込むものでもないかもしれない。
雑誌との接し方がわからない。

床屋や美容室の雑誌。
あれが苦手。
メガネを外すと見えないから、手元に用意してもらっても読んでる風な動作をすることしかできない。
思い返せば、自分で雑誌を買ったことがなく、雑誌との出会いがこの裸眼雑誌読込風ムーブだった気がする。
そこから今まで、雑誌の読み方がわからない。
別に正解もないだろうし、そんな読み方でもいいんだろうけど、なんとなくぎこちない気持ちでこれからも雑誌を読むことに対してちょっとしたコンプレッックスのようなものを感じている。

ということで、何だか屁理屈めいたことを書いてきたが、そんなことでも書かないと記事を書き続ける訓練にはならないだろうと、とりあえず書いてみた次第である。
結局書くことも苦手なのだろうか。

いや、なんでも「苦手」の一言で済ませてしまうのはよくない。
「苦手」と思っているのは自分だけで、もしかしたら周りから見れば問題ない動きなのかもしれない。
確かに「もしかして立ち読み苦手ですか?」なんて聞かれたことはない。
明確な基準があって、それが世間一般的なレベルと比較することで「苦手」と客観的に判断されるならまだマシなのか。
自分勝手に基準を作って、自分勝手に苦手意識を持ち、自分勝手に傷つく。
結局は考え方次第ってことか。

それでも私はこれからも「立ち読みが苦手なんです」と言い続けたい。
だって、そこから始まる雑談もあるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?