私を殺さないでという悲鳴
私のnoteはすべて、心はすでに死んでる私の遺書なんだと思う。
だから肉体的な死を選んでしまうまでに、思っていることは全部書いてしまわなきゃ。
私の思考は死に支配されてる。
「死にたい」ではなく「死ななくてはならない」と思う。
もういいや。
激しい自殺念慮に苦しんでいる時、ふっと思う事がある。もういいや。終わりにしよう。まるでちょっと買い物に行こうかぐらいのテンションで、あっ死のうと思うのだ。
遅かれ早かれ、私の行き着く先は自死なんだと思う。
生きていたいと思う理由がない。
失ったものを一生嘆くんだろう。そんな人生は耐えられない。壊れながら生きていくなんて無理。死ななきゃ死ななきゃって強迫観念に迫られながら生きていくなんて無理。幸せになんてもうなれないんだから、もういいでしょ。これから先の未来、恐怖しかない。生きる事が恐怖でしかない。
分かってるから。全部自分が悪いんだってこと。だから自分で終わりにする。人を傷つけ続けた代償を払うよ。
でもね。
死にたくないとも思うんだよ。
唯一私をこの世に繋ぎ止めているのは、離れて暮らしている子供に会いたいという思い。
死ななきゃと自分を責めながら、気づいたら死にたくないと泣いていた。
これ以上私を追い詰めて、私を殺さないでと泣いていた。
人は他人に生きることを許されて(必要とされて)生きることができる。
私は誰にも許されていない。
許してよ。生きることを許してよ。
私を救ってくれた夫が、今度は私を殺すのね。
早く唯一の未練を自殺念慮が上回ってよと思う。
まあどうせ子供には会わせて貰えないんだから、それにいつまでも縋っているのはどうかと思うけど。
これから弁護士だ調停だという展開になるんだろうけど、きっとそれに私の精神は耐えられない。その時私の心はもっと壊れるのだろう。壊れるだけ壊れればいい、そしたら最後の一歩を踏み出せるだろうから。
私の苦しみを解消できない人間が、軽々しく死ぬなとか言わないでね。自死は悪じゃないのよ。
救われたかったよ。
私の悲鳴は誰にも届かない。
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