敏感肌にはなりたくないけど、なんか上品なイメージがあって心のどこかで羨ましさを感じてる #気まぐれエッセイもどき

9月からイギリスの大学院に留学に行く、ちょっと変わった、だけど僕からしたら目玉があと3歩でこぼれ落ちるくらい優秀な同い年の女友達がいる。

そいつと今度飲みに行く。もう一人のタメの男友達と3人で。
ちょっと変わったやつなので、ちょっと変わった何かをプレゼントしようと思っている。

選んだのはチャンス大城という芸人の本、“僕の心臓は右にある“。(先日、アメトーークの読書芸人で紹介されていた)

ちなみにプレゼントのスタイルは、僕が本を一読して面白かったところに付箋でも貼って、それをプレゼントする、というもの。
異例の手垢べったりの中古スタイルである。
でもさ、ゴディバのチョコとか無個性で意外性のないもの貰っても、気持ち的には何も残らないでしょ。(ゴディバはすごく好きです、ごめんなさい。ロッテのチョコパイくらい好きです)
綺麗な本をもらっても、「こんなん全部読むの大変だよ」って思っちゃうでしょ。

だから、付箋でも貼って、プレゼントする側が響いたほんの一節だけでも届いたらそれでいいんじゃないかと。僕もその本読めるしね。

調味料で例えるならちょっと薄めの味噌くらいの味がするプレゼントなら、贈り主からの何かしらの風味くらいは味わえるんじゃないかってね。

そんなことを言いつつも本は全然読めておらず、プロローグをさらっと読んだだけの深夜0時35分。
もっと読み進めたいとも思いつつ、思い出したことをつらつらと無目的に文字にしたいと思って、よくキーボードがバグるiPadでなんとかここまでノーバグでのタイピングに成功している。

プロローグの中でチャンス大城は準ホームレスみたいな生活をしてた的な表現があった。部屋はエアコン・風呂無し。売れてない芸人らしくてなんかカッコいい、と無責任に外野の僕は思う。
そんな部屋に潔癖症の元相方が泊まりに来たことがあって、実は虫だらけの毛布に包まったらアナフィラキシーショックになって救急車で運ばれた、という面白エピソードが紹介されていた。(面白とか言うな、という心温かいあなたは紛れもない善人です。)

話は変わるけど、インドの北西にあるジョードプルという町への旅でも、もちろんいつも通り安宿に泊まっていた。一泊500円くらいかな。ジョードプルはワンピースのアラバスタのモデルとも言われている。そういや地元の誰かに情報をもらって、お城の裏側から入場料金を払わずこっそり忍び込んだことを思い出した。もしサー・クロコダイルがそこにいたらスナスナの実の能力で干物にされているところだ。なんちゅー間違った節約術。恥ずかし。

という訳で、ジョードプルは砂漠に程近い町だ。
ベッド2台分くらいの大きさしかない狭い個室の天井には巨大過ぎるファンがあって、それが容赦なくブンブン回り続ける、乾いた空気に砂埃を舞い上がらせ続ける。お陰でろくに絞ってもいない手洗いの洗濯物は15分くらいでカピカピに乾燥する。
ベッドもいつも通りあんまり綺麗じゃなさそうだ。

可哀想だけど、繊細な人にはこういう旅は難しい。
特に難しい旅たらしめているのは、ベッドに虫がついていることがよくあるらしい、ということ。
“らしい“と表現せざるを得ないのは、それは意識せずとも視認できるような大きさではないし、僕が虫に食われたことがないからだ。
大学時代にバイトしていた居酒屋では、よく皿洗いをしていた。ある人はビニール手袋を着けて肌がやられないようになんとか皿を洗うのだが、僕が業務用の超絶濃厚な洗剤の原液が手にかかっても何も問題なかった。それが理由ではないはずだけど、皿を洗うのがめちゃくちゃ早かったし、今でも一番好きな家事は皿洗いかもしれない。生まれながらの下っ端である、なんてことは思ってない。
それくらい、お肌が逞しい(悪く言えばおバカ)なのである。

一方で、お肌がか弱い人は、安宿になんか泊まったらすぐに肌のトラブルやらアナフィラキシーショックになってしまう。
どこかの国のゲストハウスで会った人(小西さん 仮名)も僕と同じように肌が強かったらしい。
小西さんは連れの人(東さん 仮名)と数泊同じ宿に泊まったらしいが、初日に東さんがベッドで虫に食われたそう。可哀想に思った小西さんは、次の夜はベッドを交換した。が、翌朝虫に食われていたのは東さんで、小西さんは全く問題なかった。
つまり、両方のベッドに虫がいて、肌の弱い東さんだけ被害に遭ったという訳。
それを聞いた時、面白い話だなーと思いつつ、強い肌に感謝したのを覚えている。

性格的には割と潔癖症だと自認しているのだけれど、嘘の吐けない体はどちらかというとチャンス大城と同じような準ホームレス寄りであることは否定することができない。

やれインドだ、やれ準ホームレスだとかというのは、英国に行かれるハイソ女性には縁遠いことは重々承知している。
しかし同じ先進国とは言え、良くも悪くも様々なカルチャーショックはあるだろうから、ある意味での準備として心臓が胸の右側にあり且つぶっ飛んだ人生を送ってきた人の話にでも触れてみることは、設けていた心の枠を広げる意味はあるかもしれない、とこれを書きながらこじつけで思った。(はよ付箋の一枚でも貼れ)

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