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和ろうそくを巡る冒険~櫨蝋編~

さて、いよいよ「和ろうそくを巡る冒険」も最終回。今回はハゼノキの伝来に関して自分なりに考察をしてみようと思っています。そして、前回お届けした「和ろうそく」の主役は「漆」でした。今回はもう一つ和ろうそくである「櫨蝋」に関してです!漆の内容が気になる方はこちらもご覧ください。

17世紀に薩摩藩に伝来して以降、現在も「和ろうそく」の材料として使われている櫨蝋。歴史的に最も遅くに登場する材料なのですが、江戸〜明治時代にかけて拡大する蝋燭産業を支える材料として発展しました。さて今回は櫨蝋の歴史の中でハゼノキどこから来たのか?どうやって広がっていったのか?を考えて行きたいと思います。

■ハゼノキは「いつ」日本に伝来したのか?

「日本の櫨と木蝋」という本の中で、ハゼノキは元来日本の在来種であり、畿内を中心に400年以上前(この本は昭和13年出版)から自生しており、それが徐々に西側へ伝わった。というこれまでの認識とは逆の説明がなされていました。そして、この在来種が外来種と混ざる事で良品として改良されていったと言うのです。非常に興味深い記載内容です。では、ハゼノキはどこからいったいどこから来たのでしょうか?まずは主だった櫨蝋の産地の栽培推奨の時期を文献からまとめてみました。(栽培を始めた厳密な時期は追加調査中です!)

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ハゼノキの最初の伝来は、「薩摩藩」「福岡藩」に17世紀より前の記載が残っています。両方とも「中国(当時は明)からの取り寄せた」との記載になっていますが、薩摩藩に関しては1637年指宿の山川、1645年小根占の雄川に琉球(南西諸島)からの伝来との記載もあります。一つずつ見ていくのですが、「畿内自生説」に関しては、残念ながらそれと分かる書籍・記述を見つけることができませんでした。そのため、今回はハゼノキの伝来を薩摩か福岡(唐津)どちらなのか?という点で進めていこうと思います。

■ハゼノキは2種類伝来していた!?

各藩に伝わった時期を地図に落としてみました。青字が17世紀中に栽培が開始されている地域です。まずは福岡藩側からの広がりの可能性を見ていきます(緑丸)。1591年に唐津で栽培を始めたとして、その後周辺の佐賀藩、福岡藩、久留米藩への広がりが無く、仮にこのルートから広まったとしても、大規模な栽培まで約150年の時間を要しており不自然と感じます。ただし、当時天草が唐津藩の領地であったことを考えると、唐津から天草に持ち込まれたハゼノキが島原に伝わった可能性は十分考えられます。また同様に柳川藩に関しても時期的に島原側から伝わった可能性があります。これを仮に「大陸種」の広がりと考えます。

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一方で薩摩藩からの広がりを考えてみます (オレンジ丸:薩摩苗を取寄せた記載有)。まず天正年間に禰寝重長が明の商船から苗を取り寄せたといわれる説。実はこれは3つの理由から不自然と考えています。①禰寝家が改易された吉利郷へのハゼノキ導入が1700年代と100年以上放置されている。苦労して明の商船から取り寄せたハゼノキを100年間も放置するだろうか?②吉利郷にハゼノキを導入されたとされる、禰寝清雄が大隅国の農政担当になったのが1681年。このあとハゼノキの強制耕作制度による藩財政の立て直しを考えている。その政策が禰寝家由来という体裁を取ったのではないか?③この天正年間の伝来は「禰寝家」の伝承である事。以上の理由から17世紀以前の薩摩藩への伝来は無いのではないか。と考えました。

それでは、1637年と1645年説を考えてみましょう。開聞岳へのハゼノキ耕作の奨励に関しては、元禄年間(1688年~1704年)とあるため、1637年の伝来と整合性が取れなくなってきます。1645年説はどうでしょうか?実は小根占から苗がその後どうやって広がったかの記録を見つけることができませんでした。

1645年説は積み上げ式になりますが、禰寝清雄が小根占から1680年前後に櫨苗を持ち帰っている事。長州藩が薩摩藩から櫨苗を持ち帰ったのが1681年である事。1680年以前にハゼノキを確実に育てていた地域が伝来の地として考えられると思います。そのため、1645年に小根占にハゼノキがもたらされ、育てたれてきたと考えるのが自然と感じました(これも追加調査します!)。これを「南西諸島種」とします。

■2種類のハゼノキと多様な品種

このように「大陸種」と「南西諸島種」の2種類が九州に伝来して、それらが交わる事や接ぎ木技術の発達により、伊吉櫨、松山櫨、長房櫨等100種類近い品種に発展したと考えられます。また、現在ハゼノキの優良品種は7種類ありますが、内3種類(伊吉櫨、松山櫨、昭和福櫨)が九州原産です。

このハゼノキの起源に関して、文献を探している中で面白い短報を発見しました。「日本森林学会志Vol.93 4号」に掲載されている『ハゼノキの在来品種、優良品種候補個体およびアジア大陸と沖縄県の自生個体におけるハプロタイプ比較』にて、サンプル数が不十分である前提ではありますが、ハゼノキの起源を葉緑体DNAの検証を行うことで、「大陸種」と「南西諸島種」両方の伝来が確認されています。(興味のある方はご一読を!ムズイです。。)

■冒険はまだまだ続きます!

今回は、櫨蝋の原料でもあるハゼノキの日本の起源を探ってみました。その結果、2種類のハゼノキの伝来があったとという結論にいたりました。しかし、現在それらを区別することは難しく長い時間の中で融合し、現在のような形に落ち着いたと思われます。

これまで3回にわたって、蝋燭の歴史と「和ろうそく」の歴史を漆、櫨の2種類の材料を通して見てみました。いかがだったでしょうか?最初に書きましたが、これはまだまだ「完全版」ではありません。引き続き調査を継続し、いずれ「完成版」を作ろうと思います。「和ろうそくを巡る冒険」つたない文書ではございましたが、最後までお読みいただきありがとうごいました!!

来週からは「和ろうそく」に関して最も質問の多かった『洋ろうそくと和ろうそくって何が違うんですか?』を2回にわたって書いてみようと思います。1回目は「ヨーロッパの蝋燭史」、そして2回目はズバリ!「和ろうそくと洋ろうそくの違い」です。こうご期待!!

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