見出し画像

持つより レジリエンス~不安や不安定は 問題 ではなく 生きる源。


たとえばお金。安心であるお金の量ってあるだろうか?

お金がなければ不安は増える感じはする。

じゃあいくらあったら安心なの?

幸福度は 800万円/年収を超えるとあまり変わらないという調査もあります。

橘玲。https://diamond.jp/articles/-/141130
元ネタはカーネマン他の2012。この↓リンクは内閣府調査も含む
https://sbro.co.jp/column/2932/

とはいえ、それは平均であって、私にとっては?

たとえば800万円あったら1年は安心?

いや、それだけではきっと不安だろう
(もちろん安心度は増えます。
 なので 800万円/年 あるとしましょう(^ ^)→注:追記

しかしそれはいくら持っていても
(場合によってはあればあるほど)
不安は不安だろう。

不安がなくならないなら不安と友だちになる


不安を避けようとするから、不安が増える

では、不安を受け入れたらどうだろう?
あー 不安だねー
今起こってもいないのに不安を感じてるんだねー

自分によりそってあげる

あぁ 不安という気もちと一緒にいれば安らかだ

不安定とも友だちになる

稼ぎや収入を安定させようとするとどこかに無理がかかる
だって自然はそうじゃないから
1年周期でのサイクルにならあわせられるかも?
それもどうなるかはわからない

システムに依存して
奴隷化すれば安定はするかも
だけれど 生の歓びは失ってしまうだろう

としたら 不安定でもなんとかするにはを考えよう

たとえば 
・百姓のようにさまざまなことをして 自然などのその時その時に応じた多様性を自らに持つ 自助
・お互いに助け合うネットワークに参加する/なければつくる 共助
・システムを相互扶助なものにする 公助
(自然そのものは大いに相互扶助でもある 命助)

かな

生命はなにも持たない 不安定こそ生命


考えてみれば、生命は何も持っていない。お金も持っていない。
(脂肪を多少は持っているかな)

細胞は入れ替わる 原子も入れ替わる 感情も思考も移ろう

しかし、その変化そのものになることによって、
波乗りのような あり方 を創り出した。

不安定こそ生命の裏表だ
不安定を嘆くでなく あぁ生きているねと祝福しよう
(少なくとも 今、生きてるし)

今、生きていることには不安はない
未来や未知を考えると不安が出てくる 死へのおそれも出てくる

不安はしかし 生きている証でもある
不安を裏返せば ドキドキ ワクワク でもある

安心 とは 状態/条件 というより レジリエンス(不安定楽力) である


不安は 生きていることの裏表だ
ということは 不安に飲み込まれないこと
飲み込まれると、波乗りからは落ちてしまう
それは 抱きしめて寝かしつける すると
ドキドキ ワクワク に変容してくる

安心 とは 心が安らぐ状態 ではなく
心をやすらげる力 器の容量 レジリエンス

いや 器自体は空だ 無限大だ

いのちは 個によってわけられてはいない
それは全体として生きている
もっとオープンに もっと自らを投げ出して 

何かに追われて生きるのでなく
いのちから生きる

それは 不安定で不安でもあるが
乗ることができる
落ちても 大いなる海が抱きしめてくれるだけだ

不安や不安定は 問題 ではなく 生きる源 です

生きる とは 生と死のサーフィンで
そのスピードは ゼロ=∞ だ。

Cosmic surfing in the great circle of life and death with rainbow

注:追記 
この投稿は、お金がないってなんだろうそれは内面的にはどういうことだろう?とお金が少ないと感じたときに考えたものです。自分にとってのお金がないよ~ヒーヒー対策考察。
お金をたくさん持つより、お金が無くても大丈夫な繋がりや、不安定を楽しむレジリエンスが大切と思ったことが伝えたかったのでした。

800万円はアメリカでの調査(2012)であくまで平均値で、実際は各自異なります。今だと1500万円?

でもみんなが年収1,500万円ってどういうこと?
それが知的なバーチャルな富だったらいいと思います。
しかしそれが自然の搾取であればダメ。それってw足したちの豊かさの元本みたいなもので、それを温存・サステナブルにしながら、もしすでに食いつぶしていたら(食いつぶしてます)リジェネレイトして復活するのが最優先。実際、自然搾取や破壊が富につながっているところが多すぎる(; ;)

各個別の豊かさ追求と全体の豊かさ追求が、分離矛盾している。
まず自然のコモンズを壊してるのをやめること。全体にとっての出血をおさえること。これは富んでいる方の変容を伴うことだけれど、死ぬわけじゃない。すぐはじめ、できること。

1ドル以下の暮らしの人は助け合ってるし、お金無しで生きていられた。お金なしに生きられない暮らしや社会にしてしまう方をなんとかすべしで、無い方の自己責任とするのが変。

緊急には、貧困層(自分もそうだな)にはベーシックインカムとかの再配分とか消費税ゼロなど。公共善エコノミーだと収入差は10倍以内にするのが平均値(^ ^)

お金のあるなしではなく、流れてるのが大事だから、マイナス勘定(利子無し)もいいかも。マイナスになるのをダメじゃなくしてしまう。利子つけちゃダメ。または少なくする。または定期的にチャラにする(人類学的には、産業社会以前はみんなチャラにしていた)。

借りても返さない人が増える? それも含めて透明化して、何ができるかをみんなで助け合えばいいんではないかな? 投資されてる人ってある意味マイナス感情だけれど、蔑視されてるわけではないし。マイナスになっているということは、お金にならない大事なことをしているとか、種をまいているとか。浪費であったとしてもそれは誰かのプラス勘定と対であって、全体としては豊かでもある。問題となるのは自然コモンズを浪費することだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?