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いのち1st 宣言(仮)-(4-7)/10

プロトタイプとして「いのち1st 宣言」をし始めてみてます。
全10 予定から次は4~7(昨日分 1~3 にも加筆しながら)。


🌟四."いのち"は維持し冒険し学び成長する

"いのち"は、生きながら、楽しみながら、遊びながら、学び、成長します。
より生きやすく 
(より安心な方に より創造的に より社会的に(特に人間は)
 より最適化も)
より自分自身を発揮できる方に
(より楽しく より歓びがあり より手ごたえがあり)
より学べより成長できるように
(学び成長することが好ましく より深く)

そのようにできています。
維持されて安心安全がある ことで、より冒険ができます。
トライ&エラーを繰り返す中で
学び成長していきます。
同時にある環境への最適化もします。
これはリスキーな面もあり、助け合いなど別な方面にも意識が必要です。
また、個体には死があり、集合的にも”維持し冒険し学び成長する”が成長中です。

反対概念は<閉じること>
すべて"いのち"は変化の中で、より~であろうと生きていますが、失敗が多すぎたり、環境が合わなすぎたりすると、停滞したり、休んだり、眠ったり、諦めたりします。これも環境が変わるのを待ったり、変化するきっかけとしたりともなるので、経過プロセスであるとも言えます。
しかし、それ(待つことであったり、変化であったり)がきつすぎれば、自死もありえます。が、自死もエネルギーがいることなので、死だろうか?
死は、生の反対ではなく、生の再構成なので、生の一部だと思われます。個体は朽ちますが、そのリソースや経験やは自然界や種の集合的意識の中で活かされていきます。 
となると、生と死の循環から逸脱しようとすること?とも考えますが、それも完成を求めるプロセスでもあるし、
恐れ や かたくなさ も 可能性があるゆえでしょうから、
変化しないこと 停止 閉じること かもしれません。

人間は特に「維持し冒険し学び成長する」
現代は、人新世。イノベーションの真っただ中で、地球環境や種の進化の仕組みや核やナノテクや量子や AI など、宇宙や人の存在基盤を揺るがすような「学び」の最中です。下手すれば、大量破滅です。これは科学だけのせいではなく、人間の課題です(気候危機も生物多様性危機も核問題も戦争も、全ては~問題でなく、「人間」問題ですから)。人類にとってもそれだけ大きな学びの中にいるということを自覚する必要がもっとあると思います。ご
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🌟五."いのち・人間"は、重なり合い・呼吸・リズム・循環・間(あわい)・メタ・バランスである

生命は呼吸します。リズムがあり、循環しています。

時にはオープンであり、時にはクローズであり
時には内省的で、時には行動的で
個体生最優先の時もあれば、集合体や種のいのち最優先の時もあります

さまざまなモードの共存態として、生きています。

それは複数が、うたや波動のような重なり合いでもあり、
呼吸や四季のようにリズム的循環的でもあります。
またぶつかりあい相互に排他的な紛争状態のこともあります

それらモードもすべて 私であり"いのち"です。
どうあるかを選択もできます(コントロールには限界があります)
つまり メタ な私もいて それもモードです。
  
また、自他 や 彼我、呼吸、生死の 境・間(あわい)のモードもあります。
皮膚が境でなく交通の要であるように 縁側がご縁を保つ縁(ふち)であるように

ご縁のおかげさま。と感謝して生きてみる。
そんな社会でもあったらいいですね

メタ や あわい では あれかこれか というよりは あれもこれも
私も他者も すべてが肯定されて 全体がゆるされている 場であるかどうか が 問われるでしょう。たおやかなバランスとでもいうのか。

ひとつの"いのち"は、全体のホメオスタシスと、変わり続けるトランジスタシスの妙なるダンスのようなもの。”人間”はそこに意識的であることに、存在意義があるのかもしれません。
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反対概念は<アンバランス・偏り・閉じこもり・見ない・無関心>
広義ではアンバランスも大いなるバランスの中にありますが、狭義では、力んだこだわりとか、過剰なかたくなさとか、過剰な恐れとか、不自然、アンバランスさは「病い」だろうなと思います。
個別モードにはまりすぎているのは、健全(バランス)な状態ではない。
とはいえ、それを意識し、手放せば大丈夫。
共に生きサポートしあう関係性が問われることでしょう。

そんな社会でもあったらいいですね

社会的には「対話」、個の中での内面的対話、その辺「コミュニケーション」に大きな可能性があると思います。人類としても

🌟六."いのち1st"が"いのち1st"を創る

"いのち1st な生き方・あり方" が、"いのち1st" な世界を創ります。

お互いが本来は「一つ」でありつつも、「多様」なお互いであり、
「今」は常に大きな可能性に開かれています。

それぞれが互いを尊重し お互いの輝きを歓び 祝福する

"いのち" は学び成長するようにできており
私たちは、体験しながら育っていっています。
その学びを 見守ることも含めて

多彩な存在同士のコミュニケーションを通して
様々なモードやあらわれが共存響栄しながら生きている

そのための 文化 経済 政治 技術 ・・・

それは 
"いのち1st な生き方・あり方" が創る
 "いのち1st な世界" ではないでしょうか

逆に "いのち2nd"は "いのち2nd"を創る

お互いが本来「バラバラ」であり、
さまざまな制限やルールや幻想やしがらみや先入観に縛られ

それぞれが互いを疑い 比較し 嫉妬し 恐れ

私たちは、決定を任せ 生産され 調教され 制御され 

トップダウンなコミュニケーションを通して
管理されながら安全に生かされている

そのための 文化 経済 政治 技術 ・・・

それは 
なんのための なにを大切にする 世界でしょうか?
無難? それも選択です


未来は
今生きる私やあなたや私たち自身の選択にかかっています。
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🌟七."いのち" は よろこび・おどろき・ひびきあう

自然の中を歩いて 目にし、耳にし、感じる 生命たち
花鳥風月 虫たち 樹 草 森 海
発酵 食物連鎖 棲み分け 種を超えた関係性
地中 気流 潮 風 砂 巨石 密林 
山脈 雷 台風 温泉 地震 地球
その営み その死と再生 循環
それは奇跡としか思えません
驚異であり歓喜です

わたし の内なる 生命の営み
呼吸 鼓動 新陳代謝 思考 感情 意志
目覚め 立ち上がり 歩き 動き 排泄し
見つめ 拾い 探し 感じ 把握し 投げ 呼びかけ
食べ 話し 心を通わせあい 体を交感しあい 寝る
そして 人同士 生命 宇宙とのツナガリ 
それも奇跡としか思えません
驚異であり歓喜です

わたしたち の作ってきた 文明の営み
暮らし 道具 家 村 入会地 田畑 里山 漁場
市 道 町 裏道 ストリート 城 文字 数学
発電所 鉄道 飛行機 市場 蒸気機関 印刷 科学
知識 工学 物理学 核技術 遺伝子技術 ナノテク 
システム AI ロボット コンピュータ インターネット VR 
人類学 哲学 心理学 霊学 
そして 対話 ダンス ものがたり うた 詩 アート
それも奇跡としか思えません
驚異であり歓喜です

これらが 
複数同時に 多重的に 多層的に
互いに 影響を与え合いながら 関係し合いながら 応答しあいながら
生きています

感情だったり 感覚だったり 感じるものは
当事者によって環境や状況によってさまざまでしょう
どれもが真実です

私にとって
"いのち" は よろこび・おどろき・ひびきあいです

あなたにとってはどうですか?


🌟いのち1st 宣言(仮)-(1-3)/10


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