秘する花を知ること。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。
どうもです。
今年からマイペースに歴史探訪記事を記し始めましたが、
自分の学び直しになっていることが1番大きいです◎
ということで、
今回は歴史を紐解きつつ、芸術論に手を伸ばしてみようと思います。
超有名人なので、今さら僕がまとめる必要ないのですが、
また足りないところは色々教えていただければと思います!
それでは…
【本日のお言葉】
秘する花を知ること。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。
by 世阿弥
日本の伝統芸能であり、世界最古の仮面劇とされる『能』を大成させたことで有名な”世阿弥“の言葉ですね。
▲世阿弥像(能面師 入江美法作)
非常に有名だから知っている人も多いでしょうし、
この他にも”世阿弥“は今にも通ずる有名な言葉をバンバン放っています。
自分もダンサー、表現者の端くれとして、
考えさせられる言葉がめっちゃ多いんですよね。
そんな中で今回はこのお言葉について考えてみたいと思います。
その前に、
この言葉をより理解する為に、
いくつか前提条件を押さえておきたいと思います。
例に漏れず長くなりますが、お付き合いくださいませ。
世阿弥とは
まずは、このお言葉を残した”世阿弥“の人物像についてです。
1363年(諸説あり)、”世阿弥”は『大和猿楽』の名手“観阿弥”の息子として産まれます。
▲観阿弥像(近鉄名張駅前)
時は南北朝時代であり、
1368年からは室町幕府第3代将軍に”足利義満”が就いています。
彼が武家としても公家としても最高位に就いたこと、さらに日明貿易で利益を得たことで、その後華やかで有名な北山文化が花開いていきます。
(世の中を動かすのは金。いや、利益を求める人たちが世を動かしていく拝金主義。これもまた今なお続く歴史の一側面…。)
これまでは優雅な舞を魅せる『田楽』が、
どちらかと言えば俗っぽい『猿楽』よりも評価を得ていましたが、
”観阿弥“率いる『観世一座』は、『大和猿楽』の音楽改革を行なったことで人気を博し、
遂には“足利義満“将軍の前でも演技を見せることができ、そこで大きな賞賛を得ます。
そして、
その時に”観阿弥“以上に賞賛されたのが、わずか12歳だった天才イケメン子役”世阿弥“でした。
そのあまりの美しさ・素晴らしさに“足利義満”は、“世阿弥”を寵愛し、
『猿楽』は幕府の庇護・後援を受けるようになります。
▲足利義満(Wikipediaより)
そんな時代をときめく少年時代を過ごした“世阿弥”でしたが、
22歳の頃に、一座の看板役者であり、父である”観阿弥”を亡くしてしまいます。
悲しみとともに、自分が一座の責任者として引っ張っていかなければいけない重責も同時に背負います。
そんな時に、
“世阿弥”を超える人気役者として頭角を現していたのが、
『近江猿楽』の“犬王”でした。
“犬王”も、“足利義満”の寵愛を受けており、
国の行事に出演したり、将軍と行動を共にしたりと、当時の役者としては破格の栄誉を与えられていました。
そんなライバル出現もあり、
青年期は苦難の時代を過ごすことになる“世阿弥”ですが、
それでも貪欲に活動を続けました。
何とかのし上がりたい“世阿弥”は、
『猿楽』独自の滑稽な物真似や秀句芸に、貴族を魅了する優美な芸とを織り交ぜて再構築し、歌と舞と劇を融合させることに成功しました。
これが、今の『能楽』の原型となっています。
その後、
1394年、『猿楽』最大の愛護者“足利義満”が逝去し、
第4代将軍“足利義持”の時代となると、
再び『田楽』の方が贔屓され、中でも“増阿弥”が第一人者として活躍するようになりました。
権力者の好みによって、芸能のチカラ関係が変わる時代だったんですね。
“世阿弥”自身も、2番手として積極的な活動を見せており、
この頃より、『禅』に影響を受けていきました。
このことが”世阿弥“独自の芸術論を構築していく一因となりました。
そして、
1422年、60歳頃に出家をしました。
ただ、出家後も役者としての活動は続けていたみたいでした。
1424年には、“醍醐寺”の“清滝宮学頭職“という芸能の責任者になりました。
しかし、
1428年、第6代将軍“足利義教”となると、
将軍は”世阿弥“の甥にあたる”元重(音阿弥)”を後援しはじめ、
そのかわりに、“世阿弥”は迫害を受けるようになり”学頭職“も解任され、
さらには1434年、70歳を超えたこの時期に佐渡へ島流しとなってしまいます。(理由は諸説あり)
その後の記録はほとんどなく、
1443年に亡くなったとされています。
そんな浮き沈みの激しい人生を送り、
そしてその人生のほとんどを”芸能“=『能楽』に捧げた”世阿弥“が、
一子相伝の為に書き記したのが、
かの有名な『風姿花伝』であり、
それ以外にも20もの芸術論書を記しています。
本日のお言葉もその『風姿花伝』に書かれている言葉となります。
花とは
さて、
ではこの言葉の中でいう”花“とは具体的に何を指すのか?
よく「あの人には花(華)があるね。」なんて言いますが、
これは古来より「優れた芸」を花にたとえる風習から来ている言葉なんですね。
“世阿弥”も『能』に於いて、
“花”をとても大切にしていました。
”世阿弥”が具体的に示した“花“とは、
「役者および役者の演技演奏が観客の感動を呼び起こした状態」と考えていただいていいでしょう。
要は観ている人を感動させてこそ“花”であり、
”世阿弥“はそんな”花“が『能』の生命であると説いています。
その為、自分の理想を表現するのみでなく、観ている人が何を望んでいるのかということを大切とします。
さらに、
その観客者には鑑賞眼の「ある人」と「ない人」がおり、
「見所=目利きの出来る観客、批評者」を感動させることこそが大切と考えていました。
ここに時代性を考慮する必要性があります。
まず、当時はカメラなどないので、
芸能や演劇などは、その瞬間に観てもらうしかないという「一回性」の芸術だったということです。
今のように動画が記録できない以上、
その時に観ていた人を感動させないと後世にも残らないし、評価も高まらないのです。
ここは絵画や音楽と違う点ですね。
そして、
“見所=鑑賞眼のある人”というのは将軍をはじめとする貴人たちです。
身分がハッキリしていた時代ですので、芸術に触れる機会は貴人の方が圧倒的に多く、
その善し悪しを論ずる批評者が貴人に多く存在していました。
そして、貴人に喜ばれ、認められなければ、芸能を表現する場さえ十分に与えられない時代でした。
今みたいに誰でもどこでも発信できる時代ではなかったということですね。
この点においても、
“世阿弥”は生き残る為には、貴人たちを喜ばせないといけないし、ライバルたちとの勝負にも勝たないといけなかったことが分かります。
ですから、
“世阿弥”は、「命には終わりあり、能には果てあるべからず。」という言葉を残しているように、
一生をかけてでも『能』という芸術をどこまでも高めていくことを追求しつつも、
その表現はいつでもその時代や観る人の“好み”に合わせていくことを必要としていました。
理想と現実の狭間でもがき続けた人なのかもしれませんね。
しかし、
その瞬間、そこにいる人を感動させる。
このことは生身の身体を使って表現するダンスでも、
1番大切なことなんじゃないかなと思ってしまいますね。
時分の花とまことの花
さて、
そんな”花“をもうひとつ別の角度で見ていきます。
それは”時分の花“と”まことの花“です。
”花“とは”芸で観客を感動させる状態“と説明しましたが、
そして、観客を喜ばせることこそ芸能の至上ともありましたが、
それでも、“世阿弥”はやはり、『能楽』の求道者なわけです。
その“花”が一時のものなのか、本当のものなのかを厳しく追求していますし、
『能』における最も大切な要件も、「生涯稽古にあり」としています。
そこで面白いのが稽古理論です。
“世阿弥“は年齢ごとに修得すべき芸を定めて、生涯をかけて稽古を続けるように説いています。
簡単に紹介します。
1. 7歳〜
本人の好きなようにやらせる。
ひとりでやりだしたことの中に得意な良い所があり、自然に子供がやりだす風情ある芸を先ずそのまま放任する。
あまり善い悪いと教訓すると子供の意気を消沈させてしまう。
2. 12〜13歳
この頃は先ず第一に、可愛いい児姿であるから、何をやらせても幽玄(=趣き深い)である。
しかし、それは真の花ではないので、型(基本)をしっかりと念入りに稽古すること。
3. 17〜18歳
声変わりや成長期により、以前の花は失せてしまい、時として嘲笑されたりもするが、
そこを堪えて、無理せぬ音程で稽古すること、将来の成功を分岐するのは今と覚悟して能を捨てずにかじりつくのみ。
4. 24〜25歳
一生の芸能の成否が定まる最初の時期。
声と身なりが定まり、年盛りに適合する良い芸能が生まれる時であり、時として名人にも競演で勝つこともあるほどだ。
しかし、これも新鮮さゆえの珍しさという年齢の盛りによる一時の花であるから、慢心せずにいっそう稽古が必要な時期。
5. 34〜35歳
盛りの絶頂であり、今まで習得した芸能を完全に我がものとし、又今後の手立てをもさとる時分である。
この時期に花を究めなければ、それ以後に天下の名声を得ることはできないだろう。
6. 44〜45歳
能のやり方を変えるべきで芸は控えめにすると良い。
自然と身の美しさも、見物人の感ずる花も失せてくるのであり、もしこの時代まで滅びない花があるなら、それこそ真の花だろう。
7. 50歳以降
この頃には大体「せぬ」という方針をとる以外に手段がない。
しかし、真に得法した名人ならば花という妙趣は残る。
真に会得された花は、枝葉も少なくなり、老木になるまでも、花は散らずに残るのだ。
ざざっとこんな感じです。
面白いですね!
文字通り受け取る前に、こちらも少し時代背景も考慮しておいた方が良いと思います。
例えば、
この時代の『能』は、芸の巧みさよりも、美しい肉体と美しい声にこそ花を感じていた。
ということがあります。
現代の我々がイメージする『能』とは少し違うのかもしれませんね。
身体能力(声含め)が重要要素である以上、
「40歳以降はどうしても下り坂になる。」「30代までに名声を得られない人はその後天下を取ることはない。」
などと書かれているのは、
そういう視点から言われているわけですね。
そして、
役者の最大の手本としていた父“観阿弥”が52歳で亡くなっているため、
50歳以降が最終項となっていること。
も挙げられます。
その後は、演者の“芸”の発展と、“鑑賞術”の発展により、
『能』の役者生命は格段と伸びました。
今では70代80代の人間国宝の方々がいるくらいですしね。
これらはストリートダンサーにも同じことが言えると思いますね。
現役世代はどんどん長く、広くなっています。
これは、ダンサー自身の技術が上がっただけでなく、
観る側の技術も上がった(味が分かるようになった)と考えるのは面白い視点だなと自分は思いました。
そんな時代背景を考慮する必要があるので、
具体的な年齢については前後する可能性を加味するとしても、
それでも現代に当てはまる感覚は多くあると思いますね。
子どもには思うがままにやらせた方がいいとか、
上手い子どもは何しても花があるとか、
思春期過ぎに子ども扱いされなくなった時に一度壁にぶち当たるとか、
本当に今のKIDSダンサーにもそのまんま当てはまるくらいですね笑
やはり、
“子どもっぽい(=幼い)のにダンスが上手い“
というのは圧倒的に武器ですよね。
立派な個性でもあります。
KIDSダンサーのレベルが爆発的に上がってから15年程度経ちましたが、
ずっと面白いですからね◎
逆に、
“世阿弥”が最も辛辣に語っているのが、
”24〜25歳“の項目です。
この時期に身体も声も板につき、良い芸能が出来始めると、
そのフレッシュさに人々は魅了され、名人に勝つ時すらあるそうです。
チヤホヤされ出す時期って言うのはありますよね。
しかし、
それを“自身の実力“と勘違いすると、
『能楽』の本道に外れた偏見を主張したり、
大成した名人のような風体をしたりしてしまうそうです。
いわゆる慢心と自負心が芽生えてしまうんです。
“世阿弥”はこれを「実に浅ましい限り」とバッサリ斬っています。
この“一時の花”に酔いしれたことで、その後進歩しない若者を何度も見てきたのでしょう。
これもダンスのみならず、どの道にも言えることですね。
フレッシュな花を持った人物は次々と出てきます。
自分だけの”まことの花”ではなく、時が過ぎればすぐに消える花なわけで、
慢心せずに、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に教えを乞い、芸を磨く時期だということです。
芸能に向き合う姿勢は、いつの時代も変わらないものですね。
道を極めるには必要な姿勢だと感じます。
その一方で、”創作“の可能性もいつだって否定せずにいたいですけどね。
なので僕は”一時の花“で存分に調子に乗らせて、さらに発展させることを期待すれば良いとも思ったりもしています。
ホンモノでなければいずれ変えるのは同じなので。
初心忘るべからず
ちなみに、
この時期(24〜25歳)のことを「初心というべき頃」と言っています。
『初心忘るべからず』(by世阿弥)
で語られている”初心”ですね。
”初心”とは完全なる初心者の時というよりは、
その芸の道に既に入って修業をしている時期ということですね。
(ダンスで生きてく!て決めた時期みたいな感じですかね。)
そして、
晩年に記した『花鏡』では、”初心“について、さらに思索を深めています。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。(『花鏡』/ 世阿弥)
是非=善いことも悪いことも志し始めの初心を忘れてはいけないということに加え、
時々=各年代で学んできた芸を、その年代限りで忘れるのではなく、積み重ねていくことが大切と言い、
老後=老いるのを待つのではなく、老後にこそ目指すべき芸があるという向上心の必要性を説いています。
誰だって、年代変わればその年代の初心者。
年齢のみならず、立場も環境も変われば初心者。
そんな時にこれまで自分が積み重ねてきた”初心”を忘れずにさらに稽古をつむこと。
一生涯稽古に励んでいくことを”世阿弥“は説いていたのですね。
『初心忘るべからず』はとても良い言葉ですが、
この『花鏡』での三箇条までしっかり踏み込むことでさらに本質が見えて来る気がしますね。
初心を忘れないというのは、
初心に立ち帰るということだけではなく、
積み重ねてきたものを忘れないということが大切で、
何も同じ道を突き進む求道者じゃなくても、
どんな道を進むにしても、初心を忘れない(=積み重ねる)ことで誰だっていつまでもワクワクできますよ、
ってことだと僕は捉えています。
世阿弥先生、ありがとうございます◎
秘すれば花なり
というわけで、
ようやく本日のお言葉解説です!笑
ここまでの話をまとめますと、
芸の浮き沈みを体験し、もがき続けた“世阿弥”が辿り着いた境地とは、
“生涯稽古”を通じ、あらゆる演技を身につけ、それを自由自在に取り出せることが“まことの花”であり、
それを受け取る観客の感動を引き起こすことで “花”は完成するということでした。
そんな”花”について、別の具体的な説明を引用します。
そもそも花というものは、万木千草の花が四季折々に咲くものなので、その時節を待ちえて「めずらしき(新鮮)」であるがゆえに、人びとが賞翫(しょうがん)するものです。猿楽(能)も、人の心が「めずらしき」と思うところが、すなわち「面白き」と思うことなのです。よって「花」と「めずらしき」と「面白き」は同じことなのです。 (『花伝』第七 別紙口伝)
観ている人が、「面白い」、「珍しい」と思う感動こそが花となるということです。
いくら”面白い“ものでも何度も観ていては“珍しく“なくなり、
徐々に”花“とはならないこともあるということです。
例えば、桜でも咲くシーズンが決まっているからこそ、
”珍しさ“を損なわずに毎年”面白い“と心動かされるというわけです。
そして、
観客は常に”より面白い“ものに惹かれていく存在であり、
前述したようにそれが鑑賞眼のある権力者であれば、すぐに自身の立場が追われる可能性があったのが“世阿弥”の時代でした。
そこで“世阿弥”が説いたのが、
秘する花を知ること。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。
なわけです。
花は秘密にしないといけない。
秘密にすれば花になるし、
秘密にしなければ花にならない。
というわけです。
秘密の効能を知ることが大切だと言うのです。
というのも、
“秘伝”というものは、秘密にしているからこそ意味があるんですよね。
料理の“秘伝のタレ”とかも、隠されているからこそ価値が高まったりするわけですよね。
しかし、それをすべて晒してしまえば価値はなくなるし、案外その秘事って大したことないっていうことも多いんです。
超強い剣豪“秘伝“の「負けない極意」が、
「勝てる相手としか戦わない」だったみたいな。(例え話)
そういう秘密にすることの効能を、表現にも活かすべきということです。
“珍しさ”を引き出す為には、観客の予期せぬ“面白さ”を表現しないといけないわけで、
その為には、
「さて、何か珍しいことをやってくるぞ?」「面白いことをしてくるぞ。」
と観ている人に予期させてはいけないわけです。
だから、
見物人にとって、花だという事が分からないのが、演者の花になる。(『風姿花伝』口語訳より)
というのですね。
非常に難解ながら深い言葉ですね。
こう続きます。
見物人は思いの外(ほか)に面白い・上手だとばかり感じて、それが花であるのだということさえも知らないでいるというのが演者の花である。
従って、見物人の心に思いもよらず感激を催しめるようの手段が能の花である。(『風姿花伝』口語訳)
やはり、
理屈ではなく、自然と沸き上がらせる感動こそが真の感動であり、
それを“芸“で引き起こせることこそ技術なんでしょうね。
甲本ヒロト氏も言っていました。
「感動したなら、それがどうしてかなんて、どうでもいいじゃん」
「(例えば、)美味しいものを食べたら、美味しいっていうだけで、いいじゃん。
どうして美味しいのだろう‥‥なんて考えてみたって、わかんないし、みんな、答えの先を見つけようとしすぎてるよ。」
(これまた深いですし、
このインタビュー記事めちゃくちゃ感動します。)
こんな感じで、芸術に答えの先を求める人は多いですね。
自分もそんなきらいがあります。。
本当に自分にはまだまだ到底及ばない領域ですね。
自分の踊りとしても「やってますよ感」しか出せていないですから笑
そうならないように意識していることもたくさんあるのですが。
やはり、理想として何もしていないのに観ている人の心を揺さぶるような、
何もしていないように見せて実はめちゃくちゃ多くの技が込められているみたいな、
そういう表現には近づいていきたいなと思いますね。
ちなみに、
“世阿弥”は『風姿花伝』を後継者への秘伝書として記している為、
我が家の秘事として、他人に知られないようにすることを以て、生涯散らぬ花の主となる根本とするのである
とも記しています。
表現者として、団体として、秘密の大切さを説いているのですね。
そんな秘伝書なので、この『風姿花伝』の存在はほとんど知らされずに数百年経過しました。
そして、
1909年の明治時代に学会発表されたことで、
一般人にも広く読まれるようになったんですね。
すごい歴史ですね。
最後に
そんな『風姿花伝』の最後の「別紙口伝」にこんな文章が記されています。
抑、因果とて、善き悪しき時のあるも、公案を尽くして見るに、ただ珍しき珍しからぬの二つなり。
稽古がしっかりできているかどうかの結果として良い時と悪い時(花の有無)があるのは、
よく考えてみれば、ただ珍しいか珍しくないかの2つに帰着する。
と言っているのです。
同じ演技でも、観る人にとって珍しいかどうかで出来/不出来の感じ方が変わると言うことです。
そしてこう続きます。
この道を究め終りて見れば花とて別には無きもの也
結局、この“能の道“を究め尽くしてみれば、花とは特別なものでも何でもなくて、
花となるかどうかはその時、その場面次第ですねと言うことです。
そして、
仏教の経分よりこの言葉を引用します。
『善悪不二、邪正一如』
きました!
前回の樋口季一郎と共通点!笑
結局、
その芸能がその時と場合によって、見物に珍しく面白く感じられれば花となり、珍しく面白い感をあたえ得なければ花とはならないわけなので、
「こういう表現が花」「この技が花」などと、一つの風体を”花なり”としてしまうと、
変化に応じる妙味が欠けてしまい、それでは花が花でなくなってしまうので、
そう思うと、すべては花であって、すべては又花ではない。
ということなんですね。
そこが『善悪不二、邪正一如』と共通していると説いたんですね。
散々、花とは何たるかを説き、まことの花を得る為に稽古理論も説き、
道を究めた先に、
「すべては花であって、すべてはまた花ではない。」
の言葉は強烈ですね!笑
まさに
『到リ得テ帰リ来レバ別事無シ、盧山ハ煙雨浙江ハ潮』(蘇東坡・宋代の詩人)
ですね。
禅学思想ですね。
僕はやっぱりどうしても、このパターンの思想が好きなのかもしれませんね。
例え、同じところに行き着いても、そこから見える景色が変わらなかったとしても、
考えたり感じたりして一周した心の旅は無為ではないと思うんですよね。
これからも無為な思索を色々していこうと思います!
”世阿弥“の残した言葉にはまだまだ学びの多い名言がたくさんあるので、
少しでも興味出た方は、是非『風姿花伝』はじめ、”世阿弥“の芸術論の書を読んでみることをオススメします!!
ではでは。
【参考図書】
『風姿花伝(現代語訳・評尺付)』(世阿弥/ 能勢朝次・著)
『世阿弥 日本人のこころの言葉』(西野春雄, 伊海孝充・著)