ゾンビ物

何か物音がした。

耳を頼り目を向けると、そこはガラス張りの店の正面。
自動ドアの前で誰かが倒れていた。

これは大変だ!
この時の私は働く店の入り口前で倒れる老人を見て、その人の心配よりも物置小屋のようにゴチャゴチャしている店の前で足を引っ掻けたんじゃないかという自己保身が強かったが、倒れた人の介抱のために駆けつけたことは間違いないので罪悪感は抱かない。

「大丈夫ですかぁ」

駆け寄り、俯せに倒れた老人を仰向けにすると、口元からは泡を吹き、全身が痙攣していた。
予想外に重症っぽい症状にとても面倒くさくなったが、場所が場所だけに放置するのも逃げることもできない。堂々と仕事をサボれることに喜びを感じておこう。などと不謹慎なことを内心思いながら、店長に救急車を呼ぶことを告げて、私とは違い完全に善意で駆けつけた女性と一緒に老人を介抱しながら119番を携帯端末に打ち込んだ。

人生で初めての119番だ。
なぜだか友人の家で、その家とは別の家の友人がイタズラで110番したのを不意に思い出した。

懐かしい幼い頃の記憶だ。
なにやってんだろうな。

あの時遊んでいたのはバイオハザード3だったな。

間も無く電話は繋がり、老人が倒れていることを電話口で伝える。老人の見た目はガクガクと震えて白い泡で口を汚しているというかなり切迫した見た目だが、素人にできることは限られている。心停止している訳でも呼吸停止している訳でもない。非常に他人事の気持ちで、実際に今日初めて見た老人だったのでとても冷静だった。

「状態ですか? 口から泡を吹いて痙攣しています。意識は呼び掛けても反応は無いです、呼吸はしています、脈もあります」

それでも指示に従って色々確認するとあまり重症じゃ無いかもと更に落ち着いて様子を見れるようになった。多少は緊張があったらしい。

「おじいさーん、大丈夫ぅ? おじいさーん、大丈夫ぅ?」

電話口の指示されるまま未だに痙攣し続けている老人に呼び掛け続けていると、救急車の音が聞こえてきた。
私は老人の介抱を女性に任せて、救急車を誘導するために道路近くへと移動。頭に巻いていた三角巾を外して、目立つ色じゃないが、無いよりましだろうと旗の代わりに目一杯手を伸ばして振り回す。

一本道のため私の誘導が必要だったかは不明なのだが、行動の甲斐があったのだと思って気分をよくしていこう。そんな気持ちで近付いてくる救急車を見つめていると、白い車体が聞き慣れた音を響かせて遂に目の前まで来た。

突発的な休憩時間は終わりかー。
人工呼吸とか心肺蘇生とかやらない案件で助かったー。

私は老人の安否とは、まるで関係の無い自分の事ばかりの安堵で一息ついた。救急隊員が降りてきて、後は何か質問されたら答えて終わりだなぁっと何気無く振り向くと。

目の前に白い泡で口を汚す老人が立っていた。
虚ろな目が私をじっと見つめていた。
私はぎょっとして思わず身を竦めてしまう。

さっきまでこの老人は痙攣していて意識も無いはずだった。
距離も二メートルは離れていたのに全く接近に気づけなかった。

老人はヨロヨロと歩き更に近付いてくる。

その時、私の脳裏に浮かんだのは。
友人がプレイするのを後ろから見守っていたバイオハザード3ラストエスケープだった。
それを契機に次々と今まで触れてきた所謂ゾンビ物という創作ジャンルの一場面の記憶が次々と横切っていった。

「これ、ゾンビモノで最初に死ぬ人だ」

動けなかった。

私に向かって手が伸ばされた。

そのまま老人は歯を剥き出して……。


「おじいさーん、勝手に歩いちゃダメですよーほーら、こっちに来てくださーい、肩に捕まって良いですからねー」

襲い掛かる訳がなかった。

ヨロヨロと歩いていた老人は、横から現れた救急隊員に両脇を固められて。

「うー」

声だけはゾンビっぽく唸る声を残して、救急車に乗せられて去っていった。
私はその後、駆けつけた警察官等にどういう状況で老人が転んだのを聞かれたので説明し、数分で仕事に戻った。

その翌日。

街が歩くゾンビの集団に溢れる事もなかったので普通に仕事に行った。

完全にゾンビ物のタイトルコール直前のシークエンスだったので、少しだけ感動し。
「なるほど、こうやってゾンビは拡がっていくんだな」と実感を得た出来事だった。


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