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とある雲助の統計の話

今、雲助は雲助でなくなっている。もはや二度と戻ることのない世界。とはいえ、雲助だった頃を振り返らない日はない。常に画面に釘付けになっていると、ふと雲助だった頃の世界に飛ばされてしまう。近い距離を走っただけなのに、なぜか足腰の弱い高齢の方々に感謝された時代。

だが、雲助の本質はそこではない。所詮はビジネス。如何に雲助として自分の懐を潤わせるかがミソだ。ベストな営業の仕方は何か、修行時代は何度も何度も暗中模索をした。最初の頃は、毎日のように、前日の自分の運行記録を眺め、どこまで無駄を削れるのかを自分と格闘した。

だが、それも、いつかは限界が来る。ある日気づいたのだ。スピード違反をしないと成績が上がらないラインが見えてしまった。そこからは、適度に気を緩めながら、会社に文句を言われないように雲助は運行していた。証券取引所と言えば、他の雲助が好む場所であるが、縄張り争いにいいことはない。

そもそも、縄張り争いの本質は、他の雲助の収入を奪うことだ。そんなことをすれば、お天道様からしっぺ返しを喰らいかねない。そうではなく、タクシー不足で喘いでいる場所を重点的に回ったほうが効率的だろう、と雲助は考えた。本来の雲助のやりがいは乗客からの感謝のはずである。

恩を仇で返すケチ臭いヒルズ族よりは、郊外を攻めることにした。郊外が好きな雲助は、待機を余り好まない。散々痛い目に遭ってきたからだ。わざわざ同業者の縄張りから奪ってまで得た客は、得てして文句が多い。道を知らないのに並ぶな、はまだしも、制限速度を超えて走れ、とのたまふ人も多い。

また、都内の三軒茶屋で拾った人が、圏外である横浜までを要求するのだが、圏外なのに当たり前に道を知っていることを要求する。神奈川県横浜市は東京都の郊外よりも偉いのだろうか?埼玉方面の客のほうが、この手の客はめっぽう少ない。格差社会の構図を見ているかのようである。

雲助が走ってきた結論として、平日は都心を抑えるのは常識だ、というのに異論はない。だが、その中でも少しニッチなエリアというものがある。下北沢、センター街の歩行者がごった返しているところ、夜7時を過ぎて渋滞が緩和された表参道沿い、恵比寿東口。だが、雲助が本当に好むのは、土日だった。

ニッチなドル箱に絞ると、練馬の石神井・大泉学園、雨限定で杉並の荻窪・西荻窪、目黒の祐天寺、板橋の大山・上板橋、北区赤羽駅、台東は浅草寺・上野の動物園通り、葛飾の金町、文京の根津、江戸川の小岩・一之江、江東の門仲。深夜の埼玉の蕨で、目黒までの客が手をあげたのは、雲助には忘れられない。

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