診療内科やカウンセリングにいくことを、もっと「普通」のことと認識されるような世の中にするにはどうしたらいいだろうか

「他人からの相談を受けて、または悩みを打ち明けられて」、「良かれと思って(=善意で)」、「自身の経験を基に『アドバイス』をする」...というのはよくある話で、もちろん僕も例に漏れず、それによって『間違い』をしてしまうことが多々あります。

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たとえば「ずっと咳が止まらない」「身体が重い、ダルい」と打ち明けられたなら、「ゆっくり休めばいい」とか「熱は?」とか「温かいスープを飲もう」とか「運動して汗をかこう」とか、色々な『アドバイス』をしてしまいがちですが、まずは『病院でお医者さんに診てもらったら?』がセオリーだと思うのですよ。

身体の不調を『診断』出来るのは、その専門家である『医師』のみですから。

...で、

咳が止まらない→内科?
足が痺れる→整形外科?
歯が痛い→歯科?
ニキビが出来た→皮膚科?

というように、身体的な不調については、それぞれの医療機関を勧める人たちが一定数存在しているのに対して、『心の不調』については、それらに対応する『精神科』を勧める人が皆無なのです。

僕はこのことについて、とってもおかしな風潮だと感じているのですよね。

『素人』が、その病気について知識がない(というよりも、知識がないということに気付くことすらなく)、その病気について正しいか間違っているかすらわからない、独自の民間療法の『アドバイス』をしてしまうことが当たり前になっていることが怖い。

ちょっとした擦り傷程度ならば「消毒して絆創膏貼っておけば治るよ」くらいで済むかもしれませんが、切り傷なら?火傷なら?
その大きさによっては、やはり病院で診てもらったら?という提案をすると思うのです。

でも、心の傷は目に見えません。
他人はもとより自分自身ですら、その傷の大きさ、深さに気付き辛いというものです。

心の病気を診断出来るのは、精神科医です。
「○○してみたら?」というアドバイスを、責任を持って発言することが出来る唯一の専門家です。

「咳が続いている」という一見小さな不調が、実は肺炎だったりガンだったりという重大な病気であったりするように、ちょっとしたメンタルの不調が重大な病気である可能性も、同じようにあるのです。

ですから、メンタルの不調を打ち明けられたときには、内科や外科を勧めるのと同じように、『精神科に診てもらったら?』という選択肢を加えていただきたいなあ、と思うのです。

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たとえば、『腰が痛い』『肩凝りが辛い』『腕が痺れる』という悩みを打ち明けられたときはどうでしょう。

『病院に行ってみたら?』という提案と並んで『マッサージに行ってみたら?』とか、『整体』や『鍼灸』等々といった選択肢が提案されることがあると思います。

病院を診断出来るのは『医師』ですが、治療、またはその不調を軽減・緩和させることが出来るプロ(専門家)は、医師の他にも様々、存在します。

心の不調に対する、整体や鍼灸等々と並ぶ専門家は『心理士/カウンセラー』です。

「腰が痛くて整形外科に行っても、5分やそこらで診断が終わって、痛み止めを処方されるだけ...、それならマッサージに行って揉みほぐしてもらった方がいいや」
というように利用の目的や用途が違うのと同じで、精神科医とカウンセラーでも、その目的や利用用途が違います。

カウンセラーは、整体師やマッサージと同じように、今辛いことに対して、具体的な対処をしてくれたり、日々の過ごし方についてアドバイスをしてくれたり、ある意味では医師よりも近いところから、より直接的、具体的に相談に乗ってくれる、心の悩みに関する専門家なのです。

心理士やカウンセラーは、整体師などと同じで、医師ほどに権限を持ってはいませんが、それぞれ専門にしている分野について深い知識を持ち、各症例に対する対処法を、少なくとも素人の私たちよりも熟知しています。

ですから、『腰が痛い』人に『マッサージ』を提案するのと同じように、心の悩みを抱えている人には『カウンセリング』を勧めてみる、という選択肢があるということが、世の中に広がってくれるといいなあ、と願っております。

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参考文献
https://www.google.co.jp/…/take-care-of-your-mental-health…/

https://m.huffingtonpost.jp/…/diamond-online-why-man-fight-…

http://www.studio-lei.com/entry/23

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実際に困ったときに相談できる場所は、こんなところがあります。

特定非営利法人 自殺対策支援センター ライフリンク -いのちのつながり
http://www.lifelink.or.jp/hp/link.html

追記

ちなみに、僕自身の幼少期の環境は、今の時代では100%逮捕されるような超絶虐待の毎日で、今でなくてその当時すら、逮捕までされないまでも何(十)回も警察沙汰になっているような家庭環境でして。

サラッと他人に話すだけでも60%超の人はドン引きで話を聞くことができない。
30%くらいの人は同情。聞いてくれるだけマシかと思いがちですが、同情は上から目線のように感じるので、それはそれでイヤだと感じたりするわけです。

つまり、経験上、体感90%の人が『共感』には至らないんですよね。
人は自分の経験に重ねて何かをイメージするのが基本ですけれど、その範疇を超えるものについては簡単に無力になる、ということを見てきました。

一般人の大半は、ついてこられない話なんだな、と理解して、割と早い段階で他人に話すことをやめました。
恋人(候補)くらいに感じた人に、段階を追って話をしていく、というくらい。
それ以外の他人に対しては、「明るくて人当たりが良い子」を演じて、背景を見せないという隠蔽スキルまで身につけた次第です。

たとえば、僕が2日に1回死のうかなーと思っているなんて、たぶんほとんどの人が気付かないわけです。
まあ、思ってないけど。

で。

たとえば今の世の中だと、虐待を受けている子供はシェルターに匿ってもらえたり、児童福祉団体の活動が以前よりは進んでいるから、表向きはなんとかなっている(ように見えます)。

が、そもそも、両親の愛情を受けずに育つということで、まともな精神状態に育つということの方がむしろ稀。
多々にして何らかの歪みが生じてしまうのは当然とも言えます。

つまり、虐待がある家に生まれた子供は、その家に居ても、両親から離れてシェルターに入ったとしても、いずれにしても歪んだ認知というものを持って育ち、大人になっていくんですね。

社会に迷惑をかけるとか、かけないとか、他人に対してどうこうという問題もあるけれど、その認知の歪みは、自分自身を生きづらくさせる大きな要因になっています。

具体的には、自己肯定感の損失とか、見捨てられ不安とか、依存とか。

長いので無理やりまとめちゃいますけど、僕は30歳過ぎてから心療内科やカウンセリングというものを知って、実際にその門を叩いて、それにかなり救われたなーと感じたんですよね。

もっとも僕の場合は、「心療内科は意味ねーな」と思いましたので、「カウンセラー」の方に救われたと感じています。

で、まずは僕と同じ?ような、ハードなレベルの生きづらさを感じている人に、心療内科やカウンセリングを利用してみてほしいんですけど、僕みたいなのがこういう話をしていると、「自分はそこまでハードじゃないから心療内科とかカウンセリングに行かなくてもいいや」とかって、尚更遠のいてしまうのです。

「違う違う、そうじゃないの!」

「自分が普通だと思う、という気持ちはわかるし、それはそれで間違いじゃないと思う。でも、心療内科もカウンセリングも、普通じゃない人だけがいく場所じゃないから!」

ということを、「普通の人」たちにもどーにか理解していただきたいと、それを今、超必死に考えております。


好きな食べ物は牛丼。最近、健康のためにスクワットを始めました。