努力の方向性(指示が通る関係作り)
梅子さん(当時、小学校2年)と療育を始めてすぐ、療育センターの先生から頂いたアドバイスは以下の通り。
・毎日のマラソン
・月に2回以上の山登り
・100並べ
・タイル並べ
・数字を書く
・文字を書く
・50音の平仮名マッチング
・料理
・身辺自立等
多分、他の療育センターではあり得ないようなメニューだった。
でも、この中でもマラソンについて思い出があった。
勉強ならともかく、なぜ、マラソンをしなければいけないのか…
私には分からなかった。
わざわざしんどい思いを親子でする必要性がどこにあるのだろうか?
最初は、その意味が分からず、勉強だけ教えていた。
しかし、教えれば教えるほど、梅子さんの問題行動(大泣き)はヒートアップしていくばかり。
教えることさえ嫌になってきた。
そんな時、先生から「マラソンはさせていますか?」と連絡が来た。
させていなかったので、仕方なく重い腰を上げて、危険の少ない時間帯で木材団地の中(約3キロ)を走らせることにした。
いざ走らせてみると、全く走らない…というよりも走れない梅子さんがいた。
ぎこちない走り方?歩き方?なんだこれは???
梅子さんは、普段、勝手にどこかいく時は走れるのにいざ、「走りなさい」と言われると意味が分からず、足の動かし方が分からなくなっているのだ。
そのうち、梅子さんも嫌になって大泣きが始まった。
とにかく、大泣きしている彼女の手を引いて、必死で「走る」を教えた。
手を引っ張りながら、私も泣きそうになってきた。
いや、それ以上にこんなこと出来ないのか???この子は!!!という思いが頭の中を支配していった。
どうにか走り終えて、放心状態になった。
このまま放置する訳にはいかない…と思ったので次の日から毎日、木材団地に連れていって走るようにした。
そのうち、下手なりにも走れるようになった梅子さんを近所1周2.5キロのコースを走らせるようにした。
近所は車通りもあり、正直、交通ルールも分からない梅子さんと走るのは気が重たかった。
しかし、毎日、離れた所の木材団地に連れていくのも大変だった。
いっそ手を引いてでも近所を走った方が楽だと思った。
それ以降、近所を走るようになった。
近所を走る時は、私も真剣だった。
いつ梅子さんが車の前に飛び出すか分からない。
命がけの課題なので、梅子さんの前で無意識に「私についてきなさい」という態度になっていたようだ。
梅子さんもそんな気迫のある私に必死でついてきていたようだった。
気づけばあれほど、大泣きして嫌がっていた課題学習も普通の暮らしの中での指示もすごく聞けるようになっていた。(小学校2年)
そのことを先生に話をすると「当たり前です」と一言だけ返ってきた。
当時の私はキョトンとするばかりだった。
何が起こっているのか理解が出来なかった。
しかし、今なら、その答えは簡単だった。
努力の方向性を間違えていなかったのだから。
ただ、勉強だけ教えていては、確実に梅子さんは課題学習嫌いを起こした大人になっていただろう。
しかし、マラソンをすることで誰がリーダーなのかを梅子さんに伝えることが出来た。
私についてきなさい
このリーダー的存在が、分かりづらい認知の障害である重度発達障害者にとって必要だったのだ。
梅子さんは、私を少しずつリーダーとして認めていった。
そもそも私たちは、社会性の中で生きている人間という名の猿なのだから。
私の考える方向性や判断が間違っていれば、いくら教えても梅子さんは課題学習1つ獲得できなかっただろう。
しかし、梅子さんのリーダーとなり、方向性さえ間違えなければ、努力は必ず花開いてきた。
結局、重度発達障害の梅子さんに教えていたつもりが、気づけば教えられる立場になっている自分がいた。
そんなものなんだろうな…人生って
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