鵜林伸也の読書遍歴⑦電脳ミステリ作家倶楽部のこと

 自宅からのネット環境が整う以前から、大学のパソコンを使ってインターネットにはアクセスしていました。当時は、ニフティサーブはすっかり廃れ、「侍魂」をはじめとするテキストサイトや2chが全盛のころでした。もちろん「小説家になろう」は影も形もない……と書きかけて調べてみると、ちょうどこのころにケータイ小説サイトとして開設されたようですね。いずれにせよ、当時はメジャーな存在ではありませんでした。
 では、そのころの小説家志望のアマチュア物書きたちは、どうやってインターネットに作品を投稿していたのか。そのほとんどは、個人でサイトを作ってそこにアップする、という形でした。
 そのころ、ホームページビルダーという、初心者でも簡単にホームページが作成できるソフトが発売されていました。決して安い値段ではありませんでしたが、学生割引で比較的手頃な値段で購入することが出来たのです。
 どれだけ創作を頑張っても、人から感想がもらえないのでは張り合いがありません。史学科、天文部、というコミュニティーに、本格ミステリを読んで感想を言ってくれる知り合いもそういません。そこで僕は、ホームページを立ち上げ、そこに自作の小説を掲載し、読んでもらうこととしたのです。それはたしか、大学四回生の四月ごろのことです。
 とはいえ、いきなり「ホームページ作ったよ! 読んで!」とアップしたところで、感想など集まるはずもありません。そこで僕が参加したのが「電脳ミステリ作家倶楽部」というインターネット上の集まりでした。
 わりと軽薄なハンドルネームが多かったインターネット創作界隈において、電脳ミステリ作家倶楽部は「姓名が揃った小説家らしいペンネームを用意すること」を入会の条件とした、硬派な倶楽部でした。それはイコール、比較的プロ志向が強かった、ということでもあります。もちろん僕も姓名が揃った今とはちがうペンネームを用意したのですが……公表するのは恥ずかしいので、控えます(笑)
 感想掲示板があって、作品をそこへ投稿すると、ミステリ好きの会員から(時には通りすがりの非会員から)感想をもらうことができました。また、テーマを決めた競作イベントが開かれると、その際は多いに盛り上がりました。他にも、読書会やリレー小説など、数多くのイベントがありました。
 前述のように、ミステリ研究会というものに属さずに来てしまった僕ですが、そんな自分にとって電脳ミステリ作家倶楽部は「ミステリ研究会らしいもの」だったように思います。実際、読書会の課題図書だったり、メンバーに薦められたりで、ようやくこのとき僕は、翻訳ミステリに手を伸ばし始めるのですから。
 アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』、エラリー・クイーン『Yの悲劇』『オランダ靴の謎』などは、このときに読みました。
 しかし、正直に書くと、このときはいまいち、ピンときていなかったのです。それは単純に、翻訳物を読みなれていなかったから、というのが原因で、ピンとこないなりにガンガン読んでいれば、いずれおもしろさは理解できたでしょう。しかし僕は、そういうことをしなかった。先の稿でも書きましたが、それは今においても引きずる大きな後悔です。
 これを読んでいるあなたにひとつアドバイスをするなら「若いうちにとにかく読め」です。たとえそのおもしろさが分からなかろうと。歴史的に名作として名が残る作品であれば、なにがしかの価値があるはずなのですから。おもしろさがよく分からないけど読む、という行動は、年々、しんどくなっていきます。とはいっても、これからの未来でもっとも若いのは「今」です。ということで僕は今、たとえおもしろさが分からなかろうと、とにかく読もうと思っています。それは、このときの後悔があるからです。

 というわけで、電脳ミステリ作家倶楽部は、そのころの僕に多いに助けになってくれました。あのころ交流していただいた方々のお名前は、今でもよく覚えています。みなさん、元気になさっているでしょうか。電脳ミステリ作家倶楽部は、前述のような個人サイトがだんだん廃れていくとともに盛り上がりを失い、僕自身も、不義理な形で離れてしまいました。それは今でも、申し訳なく思っています。
 あのころ得た電脳ミステリ作家倶楽部を通じての交流は、確実に今の僕の支えのひとつです。おかげさまで、ミステリ作家になれたよ。それが伝わればいいのですが。

 さて、社会人時代になって出会ったミステリ作家二人について、書いておくことにしましょう。
 一人は、伊坂幸太郎です。はじめて読んだのは『アヒルと鴨のコインロッカー』でした。つまり僕は、ほぼなんの予備知識もなくこの名作を読んだのです。その衝撃が、どれほど大きかったか。ミステリを読んで、騙されて、これほど切ない気持ちになったことはありません。あの作品こそ、ミステリと小説の最高の結婚でしょう。
 前に宮部みゆき『火車』をベスト3に入ると書きましたが、もう一作はもちろん『双頭の悪魔』そして最後の一作は『アヒルと鴨のコインロッカー』です。このベストスリーは、おそらく生涯揺らぐことはないでしょう。
 他の作品でいえば『重力ピエロ』はあの有名な書き出しはもちろん、ラストの父親の一言が忘れがたい。『ラッシュライフ』の構成の凄まじさは「絶対にマネできん!」と唸りました。個人的には『砂漠』の青春小説としての味わいも忘れがたい。短編なら『フィッシュストーリー』です。あの作品に登場するバンドマンの言葉は、拙作『ネクスト・ギグ』に影響を与えました。
 また、すっかり売れっ子作家となってその地位に安穏としていればいいのに、あえてそれを裏切るような覚悟で出された『ゴールデンスランバー』『モダンタイムス』はその著者の覚悟が眩しく、非常に思い出に残る読書でした。

 もう一人は、米澤穂信です(余談ですが、氏の「汎夢殿」は、先に挙げた小説系個人サイトの走りですよね、おそらく)。はじめに読んだのは『犬はどこだ』でした。その巧みな構成と苦味のあるラストに驚き、他の本にも手を伸ばしていきます。
 次に読んだのはたしか『さよなら妖精』で、こういう青春を描く作家は他にいないのではないか、と感じたことをよく覚えています。後の活躍はここで書く必要もありませんが、この時点でのフェイバリットは――言ったすべての人に意外だと言われるのですが――『ボトルネック』です。評価の高さ、なら他の作品を選ぶかもしれませんが、好きなものを、と問われればこれ。なぜ主人公はパラレルワールドに飛ばされたのかという「謎」が冒頭に示され、それがいくつもの伏線によって結末に解決されるという構成が、とても本格ミステリらしく感じられたからです。また、北陸は個人的に思いいれのある土地で、あの年中曇り空のようなうす寒い雰囲気が見事に描かれていたのも刺さりました。
 というふうに書いていてお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、奇しくもお二人は、東京創元社のレーベル、ミステリ・フロンティアの第一回、及び第三回配本です(後にミステリーズ!を読んで知りましたが、ミステリ・フロンティアを立ち上げた編集者氏が、立ち上げの際に手元にあった、という原稿が『アヒルと鴨のコインロッカー』『さよなら妖精』でした)。
 このお二人を好んで読んでいた僕にとって、ミステリ・フロンティアはずっと憧れのレーベルでした。前稿において僕は、鮎川哲也賞に応募したと書きましたが、それから、他の賞には目もくれず毎年応募することとなります。
 それは、東京創元社からデビューしたい、自分もミステリ・フロンティアから本を出したい、という思いがあったからです。結果として、新たなスタートとも言える第一〇一回配本として『ネクスト・ギグ』がそのラインナップに加わったのは、望外の喜びでした。
 しかし、そういう思いとは裏腹に、このころの僕はなかなか思うような結果が残せず、苦戦します。鮎川哲也賞は、毎回一次選考には残るものの、どうしても最終選考には進めません。いったいどうすればいいのか、と迷いを覚えつつ、己の原点である「有栖川有栖」をパソコンで検索していたときのことです。
 ウィキペディアの項目に、その文字はありました。
「有栖川有栖創作塾」
 というわけで次回は、有栖川有栖創作塾での思い出について書いていくこととしましょう。

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