「性別」の定義。
今朝は大好きなチョコレートを買いに、家から30分くらいのスーパーに向かって散歩していました。帰り道、行儀の悪さに罪悪感を感じながら、チョコレートをほおばって歩いていたところ、前のアルバイト先の同僚がチョコレートを食べている僕を見て「いつまでも若いままでいられるわけじゃないんだから、体に気をつけなきゃ」
と言っていたことを思い出しました。その同僚はいわゆるバイセクシャルで、男性とも女性とも交際経験のある方でした。僕はいままでバイセクシャルの方に出会ったことがなかったなかったのですが、日本人であれば今までLGBT (レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)に出会ったことがない人も多いのではないでしょうか。(その同僚は中国人でした)
周りの日本人には、そういった方々に出会ったことがないどころか、差別的な考えを持った人も多いように感じます。例えば、ぼくがバーで飲んでいるときにインド系の女性から電話番号を聞かれたことがありました。後日、日本にいる友達と電話しているときに、そのことをふと思い出した僕はそのことを友達に話してみたところ
「いいねー。モテモテじゃん」
と笑いながら言われました。また、その一か月後に、フィリピン人のゲイの方に電話番号を聞かれたので、笑い話ついでに、同じ友達にそのことを話してみました。するとその友達は前回とは明らかに違う反応をして
「え、なにそれ。こわいね」
と僕に言いました。
何も僕は、「じぶんがモテモテだ」と言いたいわけでも「その友達の態度の違いが失礼だ」と言いたいわけでもありません。いままさに変化している社会の流れからすれば、この友人の態度は確かに問題であると言えるかもしれません。正直、僕もそう思いますが、同時に、個々の意見はできる限り否定されずに尊重されるべきだ、と考えている僕が彼をその場で注意することはしませんでした。では、何が僕の友人を含む多くの日本人のLGBTに対する差別的な意見を生んでいるのでしょうか。
そもそも「性別」とは、「男女」とは何なのでしょう。また、どのように決まるのでしょう。染色体?性器?恋愛対象となる相手の性別?
現代でも鎖国時代の感覚を持つ日本人にとって、世界中の社会における「多様化」を受け入れて、共に変化していくことが難しいのは必然なのかもしれません。しかしその多様化の流れを個々人が受け入れる「努力」を惜しんではいけない、と思っています。
そんな散歩の中きれいな女性に話しかけられた僕は、普段の3割増しの笑顔であいさつをしました。
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