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2022年4月27日:次元と成熟。5年前の私。

昨日、人に会った。人達にあった。
そこで考えたことを書いていきたい。

バスケットボールの戦術的次元

言葉の定義は厳密にせず、というかまだ厳密にしていなくて、ひとまずニュアンスだけわかるようにして
どんどん説明していく

1次元:なにもない


戦術的な思考が何も起きていない状態

2次元:強みを生かす(→絶対的戦術の導入)

戦術が導入される。戦術の強みを生かしたり、チームの強みを生かしたり。
準備してきたことを徹底的に遂行する、という部分で強みを発揮する段階になる。
主に、指導者的役割の介入により発生する(?)。事前の戦術的介入。

3次元:弱みを突く⇔相対的強みを生かす(→相対的戦術の導入)

対戦相手に合わせた、強みの選択。
相手への理解と、その理解から強みを生み出し、それを実行する対応力が必要になる。
指導者的役割の介入はもちろんであるが、選手側に活かせる個性(⇔強み)があることと、それを出し入れする対応力が必要になる。
事前の戦術的介入。

4次元:試合中の状況によって、適切な選択・アジャストメントする


対戦相手に、さらには試合中に、戦術的対応をする。
即座に理解できる観察力と、即座の適応ができる対応力が必要になる。
この段階では、戦術的介入をするのは指導者側。それを見抜き、TOやQ間に選択できる即座の戦術観察力が求められる。
また、選手側も、即座に対応できる高い対応力が求められる。

5次元:試合中の状況によって、選手たち自身が、適切な選択・アジャストメントをする

対戦相手に対する、試合中での即座の対応を、選手自身が行うこと。
指導者側の戦術的介入を必要としない次元。

思い出した話

これを聞いて思い出したことがある。

3年ほど前、全国大会優勝経験のある指導者の方が、優勝したチームでの話を聞かせてくれた。

当時の決勝戦では、相手にすごく優秀で背の高い選手がいて、その選手をどうやって止めるかが、試合の鍵だった。

バスケットでは、とても強い・背の高い選手が1人いる場合は、
ゾーンディフェンスをしてゴール下を固めたり、ダブルチーム(2人で守る)をして、その選手を徹底的に守る、という方法がとられることが多い(気がする)
ただ、そのチームは中学生なので、マンツーマンDFをしなければならない、というルールがあった。

ゾーンDFやダブルチームがやりにくい中で、どうそのすごい選手を守るのか。
その時、選手の一人から「〇〇なので、~してもいいですか?」と意見が上がったらしい。
そして、その指導者の方はその意見を採用した。
その選択がすべてを決定づけたわけじゃないだろうが、結果的にそのチームは見事優勝と遂げた。

最初の話から、この話が思い出された。
このチームには、第5次元の選手がいたのではないだろうか。
瞬間的にでも、自分たちで考え、実行し、対応できる、5次元目の選手たちが。
トップレベルの選手(プロ)とは、程度が違うとはいえ、
学生の段階で、ここまでできること、考えられることは非常にレベルが高いと、改めて感心した。

この話、今度だれかにしたいと思う。
自分の今のレベルはどこにあるのか、という自己認識と
自分たちが行きたいレベルはどこなのか、というゴールの話。
興味深い段階設定の話が人から聞けて、そして、以前聞いた話とつながった、個人的にとても面白い瞬間があった。

年増による成熟、敬意。

敬意を何で得るか

年数が経つにつれ、成熟していくものとはなんだろうか。
5年前から、成熟したものはなんだろうか。
理論に高い価値を置き、理論武装を重視してきた頃から、少しずつ、それに価値を感じなくなってきた。
ただ、いま若い人と話をするならば、理論武装で戦えないと、心を惹くことはできないのではないだろうか。
いまは、権威付けや、それこそ暴力で、人を従えることはできない社会になってきた。
敬意で人を動かす必要がある。何で、敬意を得るか。
理論で敬意を得られること、というのは、非常にわかりやすく、重要なのではないだろうか。

5年前の彼ら

5年前に見ていた人たちを、久しぶりに見た。
彼らは5年前の面影を残しながら、それをスケールアップさせて。
私が敬意を感じた彼らの名残を感じさせながら。
ただ、5年で変わったのはそれだけじゃないだろう、と、私に理解させない部分を含みながら。
彼らはこの5年で、どう成長したのだろうか。
そしてそれと同じように、私はこの5年で、どう成長したのだろうか。
その5年で生じた変化に、5年前の私は気づけているのだろうか。
大きな変化とはいわずとも、そこで生じた成熟に、5年前の私は、気づく力があったのだろうか。
私には、その変化を感じる心や力は、なかったように思う。

5年前の私と、今の私

そこで、さっきの話に戻る。
もし、今の私が、5年前の私のような人間を、目の前に相対した時
私は彼から、何で敬意を得るのだろうか。
理論武装で勝つことで、敬意を勝ち取るのか。
それか、それ以外の何かで、敬意を得るのか。
今の私が感じるような、人間的な成熟に、彼(5年前の私)は気づけない。
正直いまの私も気づける自信はない。というか気付いていない。

人間的成熟とは何か。
成長とはどういうことなんだろうか。
無いものを身につける、というわかりやすい変化とは異なる
深みが出る成熟とはなんだろうか。

4000字なんてかけないけど、こんな感じで、今日は終わり。



最後に写真の紹介


ヘッダーに使った写真は、「成熟」で検索してきたら出てきた、ブドウの写真です。素敵な写真ですね。

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