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ルーちゃんノート④(ブラブラとともに)

ルーちゃんノート①
ルーちゃんノート②
ルーちゃんノート③
に続く第4弾、最終編。
特に芸もなく、それでも一生懸命最後まで生きたインコと家族の日記。
主に母が書いていた日記をそのままのせています。
よければ読んで下さい。
☆印はY子(私)が書いたものです。

〇平成10年(1998)

・1月1日
ルウちゃんも元気にお正月を迎える事が出来て3人(※ルウちゃん、母、Y子)でお正月を迎えております。
ブラブラはありますが、時々見ております。

・2月1日
箱根ゆきでルウちゃん、一匹でお留守番です。
寒いと思い、コタツに電気を入れて、その上にのせてゆきました。
Y子が夜帰って来るまで、寒さはご辛抱ね。

・2月7日
今日、長野のオリンピックです。
雪もつもりよかったですね。
午前11時より開会式が始まっております。
お相撲さん達が先頭に立ち、各国々の行進が始まっております。

・4月28日
ルウちゃんのブラブラがあまりに大きいので、注射針で水を抜くことにしたが、なかなか思うようにとれず、
水やらウミやらで、中はどの様になっているのだろうか。
その後、その部分がこぶの様にふくれている。
そんなのをブラブアさせているのも重くて可哀想に思ふ。

・5月1日 
ルウちゃん、親しそうに出て来て、私のそばに来る。
よく見ていると、餌がなくなり、うったえに来ている様です。
プロポリスを入れてのませる。餌には漢方薬も飲ます。

・5月7日
ルウちゃんのお尻がゴツゴツ形がぼこぼこになって来ている。元気はある。
私の目もおかしくなって、大学病院に行って来たら、穴があいてるところあり、様子を見るとの事。

・5月18日
ルウちゃんのブラブラは長くなり重そうに見える。肩もこるでせうね。
方向転換するのも不自由に見える。
中にはなにが入っているのでせうか?
切って捨てたいのですが、それもできませんね。

・5月27日
ルウちゃんはこのところ、はれも引きまして、とても元気です。
水を飲まないのが良いのでせうか。
もっともっと小さくなってなくなるとよいのですが、本人も飛びやすくて外によく出て来て肩に止まりおしゃべりしています。

Y子は福岡へ。
息子はシンガポールへ旅立ちました。Mちゃん(兄嫁)のお兄様の所へ二泊。T浦(※兄の中学時代の友人)君と食事するみたいです。

☆6月30日
ルウはまた少しサカリがついてきたのか、カゴに帰りたがる。
でも昼にいきなり外に出てきて、ママの飾ったガラス細工のビーズのキャンディをくわえて崩す。
きれいなものを「みにくいルー」は憎んでいるのだろうか?
兄ちゃんはきっと今ごろ、シンガポールの怪しい街をうろついているのだろう。(Y子)

・7月29日
T名さん(※母の女学校時代の同級生)の50回忌との事。諫早の妹さんから電話あり。

・8月1日
今日はヨーカ堂にゆくので玄関にルウちゃんを持っていった、
帰ってきたら急いで鳥カゴから出て来て淋しかったとつげる様子。
カゴに移したら又出てきて、飛びすぎて玄関に落ちた。でも一人で上がって来た。
大分ブラブラも重くなって来て、身体の向きを変えるのも困難になって来た。
ウンチもブラブラの上に乗る様になってしまい、二、三日ごとに洗ってやらねば不潔になりそうです。

・8月15日
今日は終戦記念日で、あれから53年になる。
あの日、あの時には、母と墓参りに行き、夕方お灯篭をつけてよいのか悪いのか迷っていた。
夜空にB29が飛んでくるようで、火をともすのを心配したものだ。
今は平和で、鳥等をのんびりカラカイながらの生活である。
ルウちゃんも大きな爆弾を持っているので、いつ爆発するのか心配です。
でも今はとても元気で、声もかけるとチイチイと鳴きます。

・9月18日
ルウちゃんは1週間前頃より紙をほじり散らかしている。巣作りのつもりでせうか。
紙を切っては外に出し始めて、外の方では小きざみの紙が風で散っていっぱい。
時々スウスウと鳴いて、餌箱の下の方に口ばしでとんとんついている。
いつまで続くのでせうか、元気です。

・9月20日
秋でせみもいないと思っていたら、突然大きな声で鳴き、すぐいなくなった。
これが最後の秋のなごりの声かもしれない。
ルウちゃんは片足あげてきみょうなしぐさ。
自分だけの世界に入って硬直している。
こぶはあるのに、そちらの元気はあるのに感心。

・10月9日
ルウちゃんは紙をほじくり外に捨てております。
誰も語りかけないので無言です。でも元気です。
20日より長崎に行ってきます。
一人旅ですので心細いのですが、日本の中だから大丈夫でせう。
日本エアシステムの13:45にて出発です。

・10月20日
長崎に行くのでルウちゃんの準備をして出発。
T駅から10:50(のバス)で出発、羽田より1時55分にて長崎へ。
ルウちゃん元気でね!

・10月26日
長崎12時発。新幹線にて午後10時頃帰ってきた。
誰もいない所でルウちゃんは眠っていた。
そっと外の部屋に移してやり、明朝会うようにしよう。

・12月8日
ルウちゃんは大変元気で朝からカゴから外に出たいと口ばしで窓をあけてくれとさわいでるので、肩にのせてトイレに行く。
突然ボトンと便器の水の中に落ちてあわてて助ける。
冷たいのですぐに湯の中に入れてお尻も洗ってあげる。
おくすりもぬり、きれいになり、おこたの中に入れてあげたら気持ちがよくてながながと出て来ないのである。
とても元気のあるルウちゃんです。

・12月30日
ルウちゃんが出たがって、窓をあけるとすぐ出てトコトコ歩いている。
私はいそがしく鳥をふむ(※意味不明?)、ガアガア。
お尻を洗うのでルウちゃんをつかまえると、また大分やせている感じがする。でも食事はよくしている。
薬もお尻に塗ってやる、大分傷もついて、かさぶたあり、大丈夫かなあ、心配です。

絵が不得手な母が描いたルウちゃん


〇平成11年(1999)

・1月1日
今日はお天気もよく気持ちのよい元日です。
ルウ子ちゃんはおこたの中が好きで、なかなか出てきません。
楽しんで遊んでいます。
Y子はサッカーの応援です。
フリューゲルス横浜、天皇賞よかったね。

・1月2日
ルウ子ちゃんは元気がよい。
ピイピイと私たちに語りかけてくる。
時々ブラブラが気になり下を見ている。
重いのでせうね。可哀想ですがどうしようもありません。
今年も頑張って生きてゆこう。
今日はYちゃんと遊べるよね。

・1月21日
ルウちゃん、とてもダンボール箱だけでは寒そうなので
Y子のザブトン(電気)を持ってきてダンボール箱を二つ合わせて暖かくしてやる。
少し元気が出て来たように思う。
いつも箱の下の方にうずくまっている。

・1月28日 午前8時20分 永眠
朝起きてルウちゃんのお尻のお手入れをしてやる。
なまぬるいお湯でお尻を洗ってくすりをつけてやる時まで私の手をかんだ。
コタツの中に入れたらコロリと横になっているので、真ん中の方に押してやったがコロリとしたままだった。
あっとゆう間に心臓が止まったのでせうか。
でも苦しみもなくよかったね(終)

・2月6日
ルウちゃんが亡くなってはや九日になりますね。
送る前から私の身体もルちゃんの様に下半身が具合悪くなり、26日には内科の医師でくすりをもらい飲みましたがききめなく、(近所の)直子さん薬局に走り、ほかのはないのかと聞きに走りましたが、カンポリしかないとの事。
これでは即効性ないので(近所の)O先生のくすりに期待して2日のみましたが、ききめがありませんので先生にお電話して飲むのはやめ、金曜日に大学病院にゆき、新しいお薬をもらいましたが、1週間飲んでもきかず、土、日は救急の方に苦しいと電話しましたが駄目!!
耐えるしかなく薬に期待しました。
月曜日に耐えられず外来でU先生に診ていただき、風呂(※?)と漢方をいただき帰り、お風呂に1日2階温める漢方にかえてみました。
そして漢方薬を飲み、暖かくして休むを続けており、お風呂の中は気持ちよいと感じます。
膀胱の方も一番苦しい時より少しうすれていく様にも思いますので、神様、このまま楽にしてくださいと拝んでいます。
金曜日の予約日にG先生におクスリをかえて出して下さったので期待してのみます。早く治ってと・・・。
ポラキス(尿の出をよくする)、ロキソニン(痛み止め)、お白湯(尿をきれいにする)。
ルウちゃん、だから同病の貴方は本当は苦しかったのでせう。
私たちにはその気持ちまでその時は理解できませんでした。
今はわかります。つらかったのでせうねと、同情しています。
お互い軽くなって、毎日の活動をしたいですね。健康体になる事、それが一番の幸せです。
元気になったらお参りしますね。

・2月10日
今日は息子からキーボードが送られて来たが、まだ私にはひく元気がない。
気持ちだけありがたく受け取っておこう。
薬ばかり強いのを飲むせいなのか、身体がだるくて仕方がない。
字も少しふるえ気味でしかかけない。
私の病気はうつが入っているようだ。
テレビも聞いてますと、精神科か精神内科の方がふさわしいのか、先生に聞いてみないとわからない。

・2月12日
昨日は雪で寒かったが、今日は朝からよい天気です。
洗濯をして干す。太陽を浴びる。
歩いてみるけど、元気は出ない。足がだるいのと心臓がすぐハアーハアーとなり、連続的に仕事ができない。

・3月4日
今日は意を決して精神科にゆく事にした。
Y子ばかり頼りにして悪いので、一人で一生懸命に病院までたどりついた。
若い先生の検診があり、くわしく聞かれる。
その後、教授の診察もいただき、お薬もいただく。
のみますとすぐ、効きましたのでほっとする。
三日分のクスリで後は土曜日に行くことになる。

土曜日は4日分のおくすりをもらって帰る。

〇さいごに(あとがきにかえて)

☆以上で、母が主に書いていた「ルーちゃん日記」は終わっています。
もっと短いかと思っていましたが、卵管炎から浮腫となってからも頑張って、なんと6年も生きてくれてたんですね・・・。
おしゃべりも芸もできなかったけど、.本当に頑張り屋さんでした。

ところで・・・
この日記の最後、母が自分の体調不良について書いていますが
最初は以前からの"膀胱炎"による下半身の痛みかと思っていて、色々な病院で調べてもらいましたが、この日記にもあるように、最終的には"鬱病"と診断されました。
最後にかかれている大学病院の先生が、丁寧に母の話を聞いて診察してくださり、合うお薬を処方して下さったお蔭で、以前のほがらかな母に戻りました。次の病気が出るまでは・・・。
そこらへんの話は、別のインコ話でもチラと書いていますが、そろそろちゃんと母の最期の病気についても書かないといけないなあ、と思っています。

ところで
母が必死で一人で行った病院は徒歩5分の場所で、いつか元気になったらお参りすると書いていたインコのお墓は庭です・・・そんな距離でさえ辛くなってしまうのですよね、この病気は。
私も数年前、原因不明の痛みで苦しんだので(私の場合は鬱病ではなく免疫疾患のようでしたが)、母の辛さはあの時以上にわかります。
生きていくのは大変だけど、最後まで頑張って生きたルーちゃんのように、命の大切さが伝われば、と、この日記をまとめさせてもらいました。
読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

(Y子拝) 


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