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三匹のインコ日記(チロとキウイとキーちゃんと)

家の整理をしていたら、また日記が見つかりました。
主に母が書いていたルーちゃんのあとの3匹のインコの日記です。
改めて読んで驚いた事に、私はその中の一匹-キウイ、またはキューちゃんーの事をすっかり忘れ去っていたのです。
読んでもあまり思い出せず。1年は飼っていたのに、です。
もしかしたらその記憶が少し悲しくて、自分の記憶からいつの間にか消去していたのかもしれません。
そしてもう一つ辛いのは、これを書いている母の文字がだんだんと読めないようになっていってる事・・・。
実は母はこの日記を書いていた頃から”脊髄小脳変性症”という病気が発症しており、次第に体がコントロール出来なくなってきていたのです・・・。

そんなちょっと辛いインコの物語ですが、やはりここに残したいと思います。
悲しいお話ばかりですが、それでもよかったら読んでみてください。

①チロちゃん日記

鬱な母の所に舞い降りた鬱なインコ

1999年2月
一羽のインコが我が家に来ました。
ご近所のお宅で保護されたセキセイインコ。
実はその頃、仮面うつ病と診断された母。病状は思わしくありませんでしたが、鳥かごがあるという理由で、我が家がそのインコを引き取ることになりました。
インコはどこかで傷つけたのか病気のせいなのか、鼻の所が茶色いカサブタのようになっており、オスかメスかもわからず、常にビクビクしているセキセイインコでした。
☆印のみ、自分(Y子)が書いたものです。その他はすべて母の書いた日記です。

☆3月22日
風のつよい日、うちにトリが来た。
N木家の2Fに飛んできたのだという。
はじめ、N木家のお兄さんが手をだしたら飛び乗ってきたのだけど、あばれるとまずいと外に戻したそうだ。
それでも窓に向かってくるので家の中に入れたらしい。

その話を聞いたN木さんのお母さん(二世帯住宅)がママにTELし、鳥かごをもってこさせたのだ。

かくして鳥は我が家にくることになった。
しばらく名前が定まらなかったけど、鳴き声から"リロ"と名付ける。
※その後、いつの間にか"チロちゃん"と呼ばれるように・・・

・4月17日
大人しい鳥で今の所、面白みがない。
(カゴの)外の屋根の上が好きで、すぐ同じ点でじっとしている。
おいでといっても親分は恐ろしいのか逃げようとして離れていく。
朝早くチロチロと鳴くのがうるさい。

※注 このころ、母はこんな大人しいインコ一匹飼うのも辛かったようです。私が夕方家に帰ると、薄暗い部屋の中、母は電気もつけず身動きもせず座っていて、その奥にはインコもカゴの上にじっとしていたり・・・鬱な母とインコのシュールな光景を見た事もありました。
そんな中、急に見えなくなったインコを母が必死で探したら、なぜか冷蔵庫の中にいた、なんて事も(幸いすぐに見つかった)
お陰さまでこの時の母の”鬱病”は少しずつよくなっていったのですが・・・。

・6月16日 くもり
ルウちゃんとつい言ってしまう。
リロちゃんでしたね。(※注 最初の頃はリロともごっちゃに呼んでいた)
この頃は少し人間様にも慣れてきたのか、1、2回、廻りながら飛び、私の頭の上をかすめる。
飛びすぎてクーラーの上に乗ってしばらくじっと下をみていました。
そして自分の鳥かごの上に舞い戻って、ジッとおとなしくしている。
そのうち言葉の一つも言える様になると楽しいのだけど・・・
ブーゲンビリアとY子の花が今いちばん美しい。

・7月6日
リロちゃんは元気になり、鼻もはがれて茶色からブルーが出てきました。
オスだった事が判明しました。心なしか可愛くなった様です。
この頃はときどき飛んでみせます。

・8月11日
チロちゃんは今日1日行方不明になり、母はクタクタになるまで探しましたが見つかりませんので、逃げて外に行ったとあきらめておりました。
夕方、洗濯物を取り込みにあがったら、Y子の部屋のドアの所にチョコンととまっておりビックリ。1日、水も食事もしないで頑張っていたのですね。
すぐに水とキャベツをやりました。

・8月26日
毎朝キャベツを注文する様でギャッキャッと騒いでいるので、毎朝キャベツをやる。

8月30日
最近のリロちゃんはとってもえらそう。朝からギャアギャアとうるさいし、鏡がかたむくとまた文句でギャアギャア叫ぶ。
ただ昔カサブタのようだった鼻はわりときれいになって、太ったこともあり、かなり見ばえはよくなった。
これでちょっとでも話してくれると嬉しいのだけど、まったく離せないし、反応もテキトー。
まったくのバカかというとそうでもなく、台所にいると、うかいしてでも飛んではくる。方向感覚は悪くないようだ。
あと面白いのが、携帯ストラップの「ドーモくん」が浮きなことだ。他のものはこわあるくせに、これだけは立ち向かって、ちょっかいをかける。臆病者のクセに鼻っ柱だけは強いバカ鳥である。
自分の子音が書かれているのがわかったのか、肩に飛んできて、ノートをっ見ている。ヘンな鳥だ。

・10月16日
チロ君は朝は元気でよく窓の方に飛んでいく。外にゆきたいのだろうか?
言葉は何も話さず、ただピイピイだけ。何か話してよ!
お客様にはすぐ飛んできて上る!

※その後しばらくかきこみなし。

2001年(平成13年)
・日付なし
5月頃よりチロちゃんと言えるようになった。それも小さな声なのでよく聞こえない。

・6月1日
この頃は甘えるようになってきて、わがままを言って頭の上を何回もかすめて飛んでゆく。この頃はよふかしです。

・6月10日
日曜日です。チロちゃんがはじめてママちゃんと言ったような気がしました。"チロちゃん"はしょっちゅう言っている。

・7月24日
チロちゃんお留守番。24~25

・12月20日ごろ(※日付は後から母が書き加えたらしい)
チロちゃんは私の肩より逃げていってしまいました。
それは空に鳥が黒くなるほど飛んできて、(※注 母が)雨戸をしめていたのですが、ビックリして私の肩よりあっという間にどこかにいってしまい・・・
寒い雨の日でも生きているのかなあ、心配です。

・日付不明
あのチロちゃんは寒い日に飛んでいってしまったけど元気かしら。心配です。気になってしまう。

※注 逃げたのは私が私がバイトに行っていた日だったと思います。
帰ったらインコが逃げたと・・・あわてて近所を探しましたが、もう暗いし雨の降る寒い日で探すことはできませんでした。今のようにSNSもなく・・・。
母が書いた”黒い鳥”というのは、ヒヨドリと思います。夕方、すごい群れで近くのねぐらにやってくるのです。母は鳥が肩にいるのに気づかず、窓をあけたらそんな鳥がとんできていて、インコはパニックを起こして飛んでいってしまったのでしょう・・・
やっと少しずつ慣れてきた所だっただけに本当に悲しかったです。

チロちゃんが逃げてしまった翌年、またセキセイインコを飼いました。
でもこの子の事、この日記を読むまで私はほとんど忘れていました。読んでも、そういえば黄色と緑のキウイのような色合いの鳥がいたような、としか思い出せないのです、不思議ですが。
母はうつ病はよくなってきていましたが、この頃からうまく字がかけなかったり、よく転んでけがをする事が多くなっていました・・・本人も私たちも鬱病の影響かもと当初は考えていたのですが・・・。
この頃私はバイトに行くようになっていて、日中はほとんどこの鳥の世話はそんな母がしていたいたのですが・・・。

②キウイちゃん日記

黄色と緑のちょっと不思議な短い一生のインコの話

2002年(平成14年)
◇母の誕生日(2/16) 前々日に買う
キウイちゃん生まれて2週間

・2月14日 
私(※注 母)の誕生日を祝って買う事にした。
どれを買ってよいかわからず一番私達の方に向かってくる黄色の鳥を買う事にしました。
最初はピヨピヨと鳴いているばかりです。
寒いからダンボールの箱の中で育てました。
黄ちゃんの体重40gです。
朝はピロリピロリと鳴いている。

・3月2日 
黄ちゃん3回飛んだ。
まだ鳴き声はピイピイです。

・3月16日 足が悪くなってチンバをひいて歩いている。
どうしたのだろう。トゲでもささったのかなあ。

・3月22日
今日は植木鉢の砂を食べていた。

・4月4日
キウイの足がだんだん悪くなり両足悪くなりそうで心配です。

・4月5日
キウイは足が大分悪そうで両方悪く、くちばしで前に進んでいる。

・4月6日
いよいよ両足が駄目になり、いざりである。
心配。心配。

・4月6日
いよいよ駄目そうで心配している。
よっぽど具合が悪くて頭までたれてしまう。

・4月9日
今日は元気にしている。

・4月11日
あざらしのように夕方はすっかりつかれている。

・4月12日
籠の中に板を入れて休みやすくしてやる。
その上でねる様にすると楽らしい。

・4月20日
キウイは少しずつ元気になって来て安心。
まるでうその様にスタコラサッサと歩いている。

・4月25日
なぜこんなに元気になったのか
足のチンバもなくなり元気です。

・4月30日
自分の好きな様に飛べる。
食事も私達がするとそばのものをのぞきこみ、私達からうるさがられていて
追っても追ってもよってくる。

明日より5月です
5月のいい陽気が訪れました。

・5月1日
ルウキウイはすごく運動がはげしくなって、あのチンバの鳥とは思えません。
足も羽もスイスイです。
この頃は私達の食事している所にきていたずらをします。

Y子は大阪の方に4月30日から出かけ4日に帰ってきました。
連休の時、おとなりの奥様が大きくなった子供さんをルt\レ手いらした。
2歳半だ過ぎたそうです。
中国茶いただく。

・5月9日
母は2日の病院の帰りにころんで7針唇の中をぬいました。
9日には抜糸しました。3回病院に通った。

・5月10日
ルウコちゃん(※注 名前間違え) カーテン登りです。
カーテンの上を上まで上り、横にいったり楽しんで遊んでおります。

・5月20日
毎日歩いて廻って拾ったものをっ口にしている。
なかなかとりかごに入らない。食事の時に困る。
何べんおこられても面白がってやっているみたいです。

・5月30日
近所の人が来て下さっているのにキウイは人の肩に乗って遊んでいる。

・6月14日
Y子が休みでキウイはY子と遊んでもらう。
カーテン遊びが面白くのぼってばかり、
鈴あそびはさかさになって狂っている。

・6月22日
キウイはちょこまかしていて落ちているものを拾ってひろってつまんでいる。
合間にはカーテンに上りサーカスのようです。
123&(イチ、ニ、サン)はちょこっと言ってます。
でもほかのことはおしゃべりしない。

・7月1日
キウイはカーテンにのぼりサーカスをしている。落ちなければいいですね

・7月7日
今日はY子の花をつついている。
何でもひろって食べているのではないでせうね。
腹を悪くすることがなければいいですけど。

・10月18日
キウイ初産。
今日はカゴから出て来ないで大人しくしている。
どうして部屋の外に来ないので不思議に思って部屋を見てみますと卵が一つコロリと産んであったので卵を守っているのでせう。
初産でしたが何時産んだかわかりません。
とりあえずおめでとう。祝キウイ。

・10月30日 天気晴れ
今日までに卵を五ヶ産みました。
温めなくてはいけないのか部屋を守って温めております。
卵を取りだすと一時はおどろいて、又、次の製造にかかるのでせうか。
子供にならない卵を本能で羽の下に置いて温めようとしてます。

・10月31日
キイちゃん、卵6個を産む。
母が取り出そうと手を入れるとかまれる、
痛くて卵をにぎりしめて割ってしまいました。

・11月1日(金)くもり
キウイはまだ少し気があらく私の手をかむ。
卵が心配からかしら。
各部屋で穴とか入りたがって何でもかんで散らかす。

・11月13日
キウイはメスで卵をうみます。
今日まで6ケうみました。みんなで9ケでした。
少し疲れて夜はしょぼんとしてます。
つかれるのでせうか、かわいそう可哀想です。
今日も腹であたためています。

・12月18日
今日から卵の2回目をうみ始めました。
今日1ケです。

・12月20日
今日2ヶ目をうみ、部屋をまもっています。
時々は出てきて羽をのばしています。
又いつ産むのでせうね。

2003年(平成15年) 
・1月1日
今日はお正月で皆が来てくれるので楽しそうです。

・2月10日
子供を産む前に苦しそうにしているので心配になる。
3日目頃から元に戻るので安心するけども。

・2月22日
今日土曜日で外はどんよりしている。鳥はだんだん悪くなり私の生け花の上にとびかかっている。
植木鉢の土も食べるので困る。

・2月23日
キウイが居ないので台所の戸をあけると下に倒れて血を出していて
すぐに抱いて心臓の所でさすったけれど、10回ぐらいのマッサージで心臓は止まってしまった。
悲しい。Y子になんて言っていいのやら。アーメン。
身長は20cmぐらいありました。

☆2月24日
昨日、キューちゃん(※注 私はキューちゃんと呼んでいた)が亡くなりました。
私が千葉でサッカーを観に行っている間に、ママが扉を閉めたのにはさまれて亡くなってしまいました。
電話に気がついたのは、もうしばらくたった夕方の6時ですぎ。
あわてて帰りながら、ママが占めた扉にでもはさまれたのかなと思ったらやはりそうでしった。

まだほんのりと暖かかったけど、身体はいつもより小さく感じられました。
ママがマッサージしたせいで血がついているのも可哀想でしたが、最近汚れていたので、あまり関係ないかな。
あれだけにぎやかだった子がしずかになるのはやはりとても寂しいです。

お店で売られていた赤ちゃん鳥だった時からはしっこかったキューちゃん。
“キューイキューイ”と泣き叫んでいたキューちゃんの姿が今でもまだそこから飛び出してきそうな気がします。
思いかえせば、鳴き声だけでなくキューちゃんはかわった鳥でした。
元気だったのに赤ちゃんの頃、片足びっこを引くようになり、そのうち両足ともおかしくなり、もうこのまま歩けなくなり早く死んでしまうのかな、と思っていたら、(それでもイザリのように動いてはいたけれど)いきなり元気をとりもどし、今までにないぐらい元気な鳥となってしまいました。
言葉はいつまでたっても話せなかったけれど、少しずつ態度でこちらに意志を伝えることをおぼえてきていました。
昨年末から卵を産みだすようになったけれど、つわりみたいなものなのか、出卵?の2-3日前にはすごく気持ちが悪そうで、そんな時は甘えたいのか私やママちゃんのそばでじっとしたりもしていました。

本当に甘えっこだったからなのか、ワザと悪い事、紙をくじったり、土をたべちらかしたりして”コラ”っとママにハタキをふっておこられると"ジジジ"と鳴きながらも、またスキを見ては悪い事をしだす始末でした。
隣の部屋(台所や和室)にも行きたがり(オモチャがあるから?)少しでも扉のスキ間があいていると、そこから行き来していました。
そんな自分のハシっこさをきっとキューちゃんは自分でも特異がっていたのだと思います。
それが命とりになっちゃったなんて、もっとドンくさい鳥だったら長生きしていたのにと思ってしまいます。

でも両足悪くなったあとは、もしかしたら神さまがおまけにくれた命だったのかもとも思えます。
だから他の鳥の何倍も動きまわって短い命をせいいっぱい生きていたのだ・・と。
キューちゃんはまたtいつかどこかで生まれ変わって忙しく動き回るような気がします。
ばいばいね、キューちゃん。

母は相当に悲しかったのだと思います。
自分の責任で死なせてしまったと・・・アーメンなんてふざけてるようにも思いますが、母の精一杯の気持ちだったと思います。
上にも書きましたが、だんだんと身体がうまくコントロールできなくなっていた母は、部屋の扉も静かに開け閉めできず、勢いをつけてガシャンと開け閉めするしかできなくなっていて、それがこの悲しい事故につながりました。そんな自分のふがいなさも感じていたかもしれません。
それでもまだこの頃は、転びそうになりながらも自分で歩くこともできたので、このあと、兄夫婦とともにハワイに旅行にも行ったりできました。
そのあと、バイトやらなにやらで一人でいるのが寂しかったのか、次のセキセイインコを飼う事になります。
母が買った最後の鳥は、真っ黄色で目の赤い男の子のキーちゃんでした。

③キーちゃん日記

ちょっと頭の四角い男前なインコがやってきた!

2003年 平成15年
・5月(日付なし)
ハワイから帰ってくるまでは動物は飼いませんと誓っていました。
Tデパートに行った時、480円で黄色の鳥が残っていました。よっぽど欲しかったのですが、辛抱して買いませんでした。帰ってからおしゃべり相手がなく淋しく暮らしていましたが、やはり早くほしくて買ってきました。元気な黄色の鳥です。早くなれて欲しいと思っております。
今回の鳥はオスかもしれません。そのほうがいいです。言葉も話してくれないかもしれません。
キイちゃんと呼びます。

・6月25日
今日突然、冷蔵庫がこわれてしまった。
石丸電気まで行き、370ℓの東芝を買った。
28日に届くとの事である。
黄ちゃんも羽の具合が悪く飛ぶことができないでいる。
部屋にとじこもって大人しくしている。

・6月28日
28日には少し飛んでみたら飛べたので上の鈴のところに止まったが落ちてしまう。少しずつ元気が出て来た様で安心しました。
字がきれいにかけなくなりました。
字までおかしくなって来ました。

・7月1日
今日、7月1日になりました。
鳥は元気になり、私の手をかみます。
すずもよくならしています。
今はキイキイと名前をさけんで私のペンの先をかんで字が書けません。
今日は医者に行き、薬をもらってきた。
(※注 記憶がさだかではないですが、たしかキイちゃん、翼を痛めてしばらく飛べなくなっていました。病院では骨が折れていると診断されましたが、なんとか回復してその後飛べるようになりました)

・7月4日
母の腹が冷えたのか下痢です。近くのO医院へ。

・7月8日
大分元気が出てきました。つかまえるのも大変です、
Y子が今日はいましたので一緒に遊びました。
喜んで遊んでいました。

・7月10日
今日も元気で遊んでおります。
昨日はYさんからメンタイコをいただきました。おいしくいただきました。

・7月11日
(Y子)税務署来る。
キイちゃん部屋の中。

・7月12日
Y子、千葉までサッカーへ。

・7月13日
Y子はサッカーへ。
キイちゃんは元気にさわぎ、私のボールペンに喰い下がってくる。
カーテンレールが好きで、上ったり下りたりして、時々落ちることがある。キイちゃんも元気すぎるほどです。あっちの鈴を見たり、次の部屋に入ったりして楽しんでいる。
今日はかむのが痛くて困ります。怒っているのかしら。
字が思ったようにかけません。

※母の日記はここまでです。
病気がすすみ、だんだんと字を書くのも大変になってしまったからなのかもしれません。
キイちゃんはこのあと、母が亡くなる前年(2008年、平成20年)まで我が家で頑張ってくれました。
キイちゃんはなぜか頭がちょっと四角っぽくて、母に”カクさん”と呼ばれたりもしていました。
おしゃべりはほとんどできませんでしたが、ボール玉(表面がブツブツしたマッサージ用のやつ)の上に乗って玉乗りしたり、止まり木でクルクル回転したりと、運動神経もよく、体育会系な男前のインコでした。
キーちゃんを飼っている間に、母はだんだんと歩けなくなり、寝たきりになり、食事もできなくなって胃ろうにもなり、おしゃべりもできなくなってしまいました。
でもキーちゃんは急に体を壊し、母より先に天国へ旅立ちました。
私にとっては、だんだんと身体が動かなくなる母の介護生活の中、一緒にいてくれた同士でもあっただけに、そのキーちゃんの旅立ちはかなりショックで、それだけにキーちゃんの事はよくおぼえています。

長々とお届けしたインコの日記も、本当にこれが最後です。
本当にどうでもいい我が家のインコたちの話、おつきあいくださった方がいらしたら、本当にありがとうございました。

母とインコたち
きっと今は天国で楽しく暮らしていることでしょう。
私もいつかそこでみんなと再会したいです・・・天国に行けますように!

その他のインコたちの話もまとめてありますので、興味ある方はどうぞ!

インコと我が家の物語①
インコと我が家の物語②

ルーちゃんノート①
ルーちゃんノート②
ルーちゃんノート③


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