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共にいられた喜びと、失うことの哀しみと。

昨年の暮れ、ゲストウスで飼っていた黒猫Viが逝去した。この出来事についてどのように語るべきか、僕はあれからずっと判断しかねていた。愛を語ることはできる。いくらでもできる。喪失の辛さを語ることも、たくさんの思い出を語ることもできるだろう。しかし、そういった切り口で片付けたくない何かが、その出来事には確実にあった。綺麗な言葉でコーティングできない何かがあった。“その瞬間”は思っていたよりもずっと生々しく、重く、痛かった。すべての内臓が裏返るような痛みを腹に感じながら、動かなくなった彼の美しい肢体を抱いて大声で泣いた。大好きだよ。一緒にいてくれてありがとう。愛している。呼吸ができなくなるほど泣きながら、ああ、この腹の痛みはものすごく強いストレスによるものだ、ストレスってこんなに人に痛みを感じさせることがあるんだなとか考えている冷静な自分もいた。普段は神に頭を下げて生きているが、この時ばかりは納得できなかった。いつかその時が来ることは知っていたけれど、早すぎると思った。どうしてこの子を連れて行くのですか。どうして。神は「受け入れなさい」と言った。「全然受け入れられません。全然意味がわかりません。どうかこの子の命を助けてください」。何度も何度も反論し、頭を下げてお願いした。「どうにもならない。受け入れなさい」と神は答えた。命が助かるとか助からないとか、そういう次元の話ではないということにはかなり遅れて気が付いた。彼は次の旅のために去る。僕はそれを受け入れる(しかない)。そういう種類の出来事だった。

黒猫Viの存在は多くの方に認知されていたし、彼に会うのを楽しみにしていらっしゃる方もいたので、どこかのタイミングで公に報告しなくてはならないなと思った。けれど、本当の本当のところを言うと、誰にも報告なんかしたくなかった。自分だけの記憶に留めておきたかった。余命宣告をされてからの最期の数日間と死の瞬間を思い出すだけでも心臓を鷲掴みにされた気持ちになるのに、どうして死んだの?何歳だったの?死因は?とか(おそらく他人事だとそういうことを平気で聞いてしまう人もいる)いろいろと質問されたり勘繰られたりするのはとても耐えられないなと思った。お悔やみ申し上げますとかご冥福をお祈りしますとか、お決まりの文言もたくさん言われるのだろう。そんな定型文では誰の心も救われないこともわかり切っていた。とにかく、よく知らない人にこの出来事についてあまり語ってほしくないと思った。

彼の死という出来事が社会的にはどのような意味の出来事にあたるのか、いまいちピンときていなかったというのもある。僕はもともと“猫としての彼”と出会う前から彼と一緒に生きていた。家探しの旅にも、路上でタロットを引いていた時にもずっとついてきてくれていた。猫としての生を受ける前からずっと、僕は彼の存在を感じていた。その物語は極めてパーソナルなリアリティであり、社会的な場での説明にはあまりにも向かなかった。しかしこのまま沈黙を守り続けていても死んだことを秘密にしているみたいでおかしいし、ゲストハウスに猫がいると思って来てくれた人にその都度悲しい思いをさせてしまうことになる。仕方ないので、インスタグラムのキャプションで“猫としての彼の死”を報告した。たくさんの人から慰めの言葉を頂いた。ご冥福をお祈りしますと言われた。こうしてこの出来事は「ペットの死」という、よくある物語として社会的にはおさまった。たとえそれが個人的なリアリティとは少々異なるものだったとしても。

Viが死んでから、文章を書く気にはしばらくどうしてもなれなかった。何をどう書けばいいのかわからなかったし、何を書いても嘘っぽくなる気がした。毎週更新していたエッセイも、一時中断せざるを得なかった。そうこうしているうちに年が明け、いろいろなことが起こった。付き合っていた彼女との別れを決め、あの世がどうなっているかについて話して、祖母の危篤のため8年ぶりに北海道の実家に帰り、細島の別の空き家をリノベして、ストーブでいろいろ焼いて食べる会をし、ずっと行きたかった長崎に行った。怒涛のような出来事の真っ只中にいて、起きたことを整理したりトリミングしたりしている暇がなかった。目の前にいる人と会話して、出来事の内部に深く分け入って味わっていく。今はそういう時期なんだなと思い、そのように過ごしていた。

人は悲しみを経験しても、悲しみが去ることを渇愛しなければ、悲しさは感じ続けるものの、それによって苦しむことはない。じつは、悲しさの中には豊かさもありうる。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

この時期、「哀しみ」ということについて考える機会を与えられた。哀しみは「悩み」とは異なる。タロット占い師という職業柄、日々たくさんの人の悩み事を聞く。多くの悩みというのはその性質上、智慧と決断と具体的なアクションによって抜け出すことができる。状況を整理して、冷静な知力に基づいて何かを決めること。そして決めた通りに実行すること。すると悩みは悩みではなく、自分が道を歩むための原動力にさえなる。しかし「哀しみ」はそうはいかない。自分の中で何かを決めたとてその哀しみが去るわけではない。むしろ早く抜け出そうとしてじゅうぶんに哀しむことをしなかった場合、様々な心の不具合が生じてしまうと精神分析学でも言われている。フロイトは人が哀しみから立ち直るまでのプロセスを《喪の作業》と呼んだ。要するに「ちゃんと哀しめ」ということだ。抜け出そうとするのでも立ち直ろうとするのでもなく、ちゃんと哀しむこと。時間をかけて少しずつ、喪失を受け入れていくこと。

哀しみに暮れている人がいたら近くに寄り添ってあげるのが優しさだと、きっと多くの人が漠然と認識しているだろう。以前の僕もなんとなくそう思っていた。そばにいて、優しい言葉をかけ、手を握ったり抱き締めたりするのが優しい振る舞いだと思っていた。しかし実際に愛する対象を亡くして、その優しさがかなりズレた認識であることを理解した。悲しみに暮れる人の心の中には、「別に誰にも慰められたくない」という気持ちがあった。そんなに親しいわけでもない人に慰みの言葉をかけられたところで「いやいや、お前はよく知らないだろ」と思ってしまう気持ちがあった。結構仲良くしていた人に対してさえ「でも死ぬ瞬間は見てないよね、僕が彼を生かそうとして必死になっていろいろ試したことも知らないよね」と思ってしまう気持ちがあった。他人に慰められるより、故人との思い出と愛を自分の心の一番大切な場所で抱き締めて、そこには他の誰にも一切立ち入ってほしくないという気持ちの方がずっとずっと強かった。「自然は何もしようとしないから優しい」と、以前僕は何かで書いた気がする。太陽も、風も、海も山も、僕たちに対して何もしようとしない。癒そうとか、助けようとか、育てようとか慰めようとかしない。だから自然は優しい。優しくあるにはそれでいいのだと思う。どんな慰めの言葉より、何もしないことが優しさであることもある。

物事の内部を自分の足で歩いて解像度を上げるために人は生きている、と僕は思うことがある。いまは検索すればすぐに答えや結論めいた情報が出てくるし、偉人や有名人の格言みたいなものもわんさか出てくるから、多くの人がなんとなくいろいろなことを知ったような気になってしまっているのではないだろうか。けれどその結論に至るまでの道程や、内部に入って自らの足で歩むことが、どれほど大変で価値のあることかを知っている人は少ない。例えば空き家のセルフリノベーションがそうだ。リノベを一度でも自らの手で経験したことがある人どうしの間では、「目配せしただけでお互いの苦労をわかり合う」みたいな不思議な連帯感が生まれる。自分では一度も経験したことがない人に限って、「まあ、できるっしょ」みたいなことを言ってくる。お前、一回やってみろよ。角材を一本ヤスリがけするだけでどれだけの重労働か、やってから言ってみろ。一度でもやったことがある人の言葉には血が通う。説得力がある。覇気がある。自分では経験したことのないけれど知識だけ知っている人の何千の蘊蓄より、一度でもそれをやったことのある人の口からポロッと零れ落ちた一言のほうが、ずっと耳を傾ける価値がある。

「心から愛していた対象と死別する」という経験は、頭で考えていたよりもずっと痛くて、生々しくて、ナイーブで、だからこそ魂の一番大切なところにしまっておきたいと思えるものだった。彼に向けて育まれた愛は、これから少しずつ他の物事への愛へと転換されていくのだろう。僕はこの哀しみを、ひっそりと胸に抱きながら人生を歩んでいくことになるのだろう。心配はいらない。受容された哀しみは、豊かさになるのだから。

Viが初めて来た時。ここに来てくれてありがとう。


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