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科学技術という宗教

イギリスで知った教会の魅力

イギリスに留学していた時、教会の異様な居心地の良さに感動して、たまに訪れては時間を忘れて座っていた。キリスト教に対して無知であった僕にですら、あの空間には不思議な居心地の良さがありました。
ただそれも歴史を考えれば当たり前なのかもしれません。文字の読めない人たちに対して文字以外の手段で信仰を広めるために、目で見て明らかにその凄さが伝わるよう、教会は時代を経てその豪華さに磨きをかけていったからです。

途方もない手間と時間と金を注ぎ込まれて作られたあの空間に、パイプオルガンや綺麗な歌声が流れて、周りを見れば美しいステンドグラスがあれば、心を傾けて、あぁ頼っていいんだなって安心感を与えるのには十分すぎる。僕が居心地の良さを感じた理由はまさにそのためだと思います。

日本のお寺

日本に帰ってきてからは、お寺や神社に興味を持つようになりました。昨年訪れた知恩院では、11月ということもあってか木魚念仏体験とお坊さんのお話を聞こうという会がありました。
荘厳な建物の中に豪華絢爛な阿弥陀様、響き渡るのは木魚のリズムとお坊さんの低い声、五感に訴えかけて安心感を与える。ああまさにイギリスの教会にいた時と同じ安心感だ。
その日のテーマは諸行無常。
要するにどんなことも何ごとも変わっていく。中でも心の移り変わりは凄まじくて、1日に心に起きる感情の変化は億を超えるというのが仏教の考え。時にそれで人は煩わされ悩む、つまり煩悩。
煩悩をまずは意識してみよう、うまく捉えられて把握できれば解決できるかもしれない。その煩悩の中でも一番不安な”死”は、南無阿弥陀仏と唱えたら安心できるものにしますよ、南無=任せる、死への恐怖はとりあえず阿弥陀様に任せて今生きてるこの時間の煩い悩みを減らすことを考えましょう。そういうことらしい。

教会もお寺もその役割はきっと万国共通。僕はキリスト教について結局詳しくは知らないけど、牧師さんの話や聖書には似たような人生について考えたり、不安を取り除く仕組みがあるんじゃないのかな。
別に特定の宗教は信じてなくても、こういう空間で落ち着く時間は、どの時代の人にも必要で、あったら素敵なのでは?そう強く思ったのでした。

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“科学技術は宗教か”


こんな問いがあります。答えは言葉の定義次第だと思うけど、宗教が何かを強く信じてそこから安心感を得るものだとするのなら、科学技術も宗教と言えるかもしれない。
まあ別にどっちであろうとどうでも良くて、言いたいことは、科学技術に思いの外私たちは過剰な信頼を置いている気がする。少なくとも医療の分野ではその色彩が強い。

手を切ったから消毒して縫合。
ありがたい。
肺炎になったから入院して抗菌薬。
ここまではまだいい。いや、年齢によってはどうかなあ。
癌になったら抗癌剤。
それって本当に“みんなに”必要なの?

急性前骨髄球性白血病という病は以前、白血病の中でも極めて致死率の高い病気だった。それがATRAという薬が開発された途端、白血病の中でも予後が良い病気になった。その治療成績は革命的に向上した。これってものすごい。科学技術は多くの人の命を救う。今致命的な病気がけろっと治るような未来がくる可能性は確かにある。

科学技術による治療と宗教による癒し


僕はどちらの素晴らしさも体験したことがある。心が落ち着かない時にいったイギリスの教会も、矯正治療のために受けた手術も、とてもありがたかった。
優劣をつける必要はないしきっと両方必要で、人によってそのバランスはなんだっていいけど、その両輪のバランスは取れているのかな。
特に産業革命以後、人類は科学技術が私たちの世界をより良くすると信じて、科学技術の向上に邁進してきました。科学技術という車輪があまりに魅力的で全てを解決してくれるような色をしていたから、それを盲信してきた部分が無意識にあるかもしれない。

癌になったら抗癌剤。
それって本当に“みんなに”必要なの?

僕の祖父は前立腺癌になったけど、治療のおかげで今はとっても元気にしていて本人も満足そうだ。科学技術万歳なわけです。だけど大学で実習をしていると、医師と患者の間で抗癌剤に対する認識が大きく乖離して、その間でとても辛くなることがある。説明も聞かずに全てを医師に任せますと言う患者。今の私たちができる最高の治療はこれです!治療中に新しい薬が開発されるかもしれない!と患者を励ます医師。生存期間を伝える意味はないと言いながら、裏ではあと数ヶ月しか生きられないと思うよ、と伝えられる学生。誰が悪いわけじゃない。科学技術の発展に全てをかける、それを信じ切る医師は必要だ。
一つ考えなければいけないのは、今の医療は素晴らしい部分もあるけれど、全くもって万能じゃない、ということ。
各々が信じるものをちゃんと考え直したほうが良いのかもしれない。科学技術も、宗教も、他の方法も。一輪車でも、二輪車でも、他にも信じるものを増やして四輪車にしてもいいのかも。

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