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【奴隷文学からのHIPHOP考察】ヒップホップの社会的効用について 〜共同体的自伝的記憶の再解釈による民族アイデンティティの回復を目的とした“ネオ・ナラティブ・セラピー”としてのネオ・スレイヴ・ナラティブ比較〜

 HIPHOPが社会に与える影響を見るべく、奴隷制に生まれた文学作品から思索を広げたレポートです。かなり骨太なので読める人はいないと思うけど、提出時に文字を削らなきゃいけないので、ここに全文を供養します。


 本稿では、奴隷制を直接体験したことがないアフリカ系アメリカ人作家による奴隷制体験記である “ネオ・スレイヴ・ナラティブ”である4作品、『地下鉄道』『ハリエット』『ナット・ターナー』『地図になかった世界』を比較するために、まずその成り立ちと表現的性質からネオ・スレイヴ・ナラティブの “役割”を割り出し、その役割を比較軸に各作品を批評する構成をとる。


 さて、まずはネオ・スレイヴ・ナラティブというカルチャーの成り立ちについて見ていと、『ナット・ターナーの告白』というスレイヴ・ナラティブ(=奴隷制体験記)に行き当たる。ナット・ターナーとは、奴隷制度下において反乱を指揮したことからアフリカ系アメリカ人の間で自由の殉教者として畏敬の念を持たれていたアフリカ系アメリカ人のことなのだが、彼が処刑される前にその監獄を訪れた弁護士トマス・ラフィン・グレイにより、彼の半生が「ナット・ターナーの告白」として書き上げられている。この書籍が、一次資料であるスレイヴ・ナラティブだ。しかしそんな「ナット・ターナーの告白」のことを、奴隷主の孫であった南部プロテスタント白人のウィリアム・スタイロンが、文学作品『ナット・ターナーの告白』のなかで性的欲望や同性愛などを持った人物として屈辱的な描き方で書き直し、これがピューリツァー賞を受賞してしまう。ネオ・スレイヴ・ナラティブとは、こうしたミンストレイルショーに近い表現に対してのカウンターナラティブの役割が中心であったと考えられている (峯真依子, 2016)が、しかしさらにこの役割の本質を考えるために、スレイヴ・ナラティブについて思索する。


 奴隷制度に生まれた、もしくは用いられた表現体系であるスレイヴ・ナラティブや、その他信仰告白、黒人霊歌に共通するのは、それが自伝的記憶に影響を与え、精神的負担を軽減させるものであるということだ。自伝的記憶とは、 「人が生活の中で経験した様々な出来事に関する記憶の総体」  [佐藤, 2004]のことで、「個人が自己の同一性や連続性を保つのに、…中略…本質的な役割を果たしている」 [山本, 2015]ような記憶のことだ。つまり、自分の経験の中でも特にアイデンティティ形成に寄与しているものが、自伝的記憶だとされる。そしてこのアイデンティティ形成への役割は特に快感情を伴った経験が顕著であり [山本, 2015]、そんな快感情の例に、努力をした行為の結果として自分の望む結果が得られるという“随伴経験(=成功体験)”が挙げられる。労苦を乗り越えたことによる快感情の体験は、アイデンティティ形成に特に影響を与えるのだ。そして「自尊感情が肯定的な自伝的記憶とのみ相関が高い」 [関口, 2017]ことから、この労苦を乗り越える随伴経験は自尊感情(=自己肯定感)をも高めると言える。つまり成功体験などによる快感情は、アイデンティティの形成と自己肯定感の向上に影響を与えるのだ。


 そして、この仕組みを恣意的に引き起こして精神的負担を軽減する精神療法として、記憶を再解釈して語り直すナラティブ・セラピーというアプローチがある。記憶を語り直すことには既に起きた過去の出来事に対して別の意味を加える機能 [野村, 2003]があるのだが、これを利用して、ネガティブな経験に対して肯定的な再解釈を施し、そのネガティブな経験をすでに自分が乗り越えたなどの意味づけを行うことで、アイデンティティ形成や自己肯定感の向上を図るのだ。例えばネガティブな経験を自己成長につながった経験として筆記させる実験では、心的外傷患者の診察回数が低下した結果が得られている[池田 仁平, 2009]など、この記憶の再解釈によって精神的負担を軽減させる臨床研究は豊富に存在する。


さて、スレイヴ・ナラティブは、奴隷制体験というネガティブな自伝的記憶を、自由黒人となった後に回想するものが多い。よってスレイヴ・ナラティブには、苦労を乗り越えた経験から随伴経験という快感情を得て、精神的負担の軽減やアイデンティティの確立を得るという語り手への効果があったと考えられる。そしてこの効果こそが、黒人霊歌や信仰告白に見られている、奴隷制度に起因する精神的負担の軽減というスレイヴ・ナラティブの本質だと考えられる。


一方で、実際には奴隷制度を体験していないアフリカ系作家によるネオ・スレイヴ・ナラティブは、自伝的記憶ではない。よってこの精神的負担の軽減やアイデンティティ形成としての役割はないと考えられるが、しかしミンストレイルショーへのカウンターナラティブとしての語りは、ナラティブ・セラピーに見られる「記憶の再解釈」と近いのではないだろうか。民族的に虐げられ、さらにミンストレイルショーなどで屈辱的に上書きされた民族的記憶。そんな状況から本当の苦痛を訴えて正当性や同一性を獲得する軌跡は、民族としての精神的負担の軽減とアイデンティティ形成だと言えるのではないだろうか。個人が自らの自伝的記憶に対して再解釈のアプローチをかけるナラティブ・セラピーのように、共同体構成員が自らの共同体の記憶に対して再解釈のアプローチをかける、言わば『ネオ・ナラティブ・セラピー』。それが、このネオ・スレイブ・ナラティブの大きな役割と言えるのではないだろうか。


よって本稿では、ネオ・スレイヴ・ナラティブを「精神的負担の軽減と民族的アイデンティティの形成を目的としたアフリカ系アメリカ民族共同体構成員による共同体的自伝的記憶の再解釈」と定義づけ、この定義からどれくらい離れているかという点で『地下鉄道』『ハリエット』『ナット・ターナー』『地図になかった世界』を比較する。

さて、まずはナット・ターナーについての映画『バース・オブ・ネイション』についてだが、これはスタイロンの『ナット・ターナーの告白』と同様のテーマを取り、史実を元にしてナット・ターナーをより英雄的に描いていることから、ネオ・ナラティブ・セラピーの性質を色濃く持つと言える。作中においてターナーは理知的で正義感が強く、深い愛情を持っていた。『ナット・ターナーの告白』を直接上書きする形での再解釈だ。
同様に「地下鉄道」の「車掌」として奴隷の逃亡を手助けしたミンティを描いた『ハリエット』も、ネオ・ナラティブ・セラピー的性質は色濃い。当時は奴隷の逃亡を助けるという犯罪を犯していたことにはなるのだが、この奴隷解放運動家を主人公として物語を描き直すことは、観客を彼女に感情移入させ、共感し、彼女を正義だと感じさせる。共感の認知的側面には視点取得という段階があるが (葉山, 2008)、過去の人物を主人公に物語を描くことは観客に視点取得をもたらし、客観的な歴史的資料以上に共感を生むことだろう。

一方、『地下鉄道』と『地図になかった世界』は史実に基づいていない。よって一見ネオ・ナラティブ・セラピーさは低いように感じられるが、どう評価すればいいだろうか。
『地図になかった世界』は、黒人が奴隷主をしているプランテーションでの出来事を様々な人物の視点から群像劇的に描いたものだ。発表されたのちに実際に黒人が黒人を奴隷として所有されていた史実が発見されるが、エドワード・P・ジョーンズは執筆時、あくまで想像上の出来事としてそれを描いた。一見ネオ・ナラティブ・セラピーではないように思えるこの作品だが、しかし群像劇であることから、むしろ「共同体構成員による共同体的自伝的記憶の再解釈」という性質は強いと言えないだろうか。共同体が持つ記憶、すなわち構成員や歴史の集合体としての自己認識 を描くには、ハリエットやナット・ターナーのように一人の視点がたくさん集まる必要があり、そういった意味では、群像劇である『地図になかった世界』はこのある種の「集合知」の形成に大きく寄与していると考えられる。
また『地下鉄道』は、奴隷の逃亡を手助けする活動の通称である“地下鉄道”やその活動家の通称である“車掌”という言葉から、 実際に地下鉄が走っていたわけではない時代に地下鉄を走らせるというフィクション性を付与して奴隷の少女コーラの逃亡を描いたコルソン・ホワイトヘッドによる物語なのだが、これにはネオ・ナラティブ・セラピーについてある種自覚的とも取れる描写がある。それは、コーラが美術館でバイトをするシーンだ。彼女は奴隷船の歴史を伝える展示の中で、美術館のケースに入り、大陸から連れてこられる奴隷を演じさせられた。その展示は、実際の奴隷船の劣悪な環境を伝えるのではなく、白人の視点から歴史修正を施されて幾分もマシに描かれたものだった。これはまさしくスタイロンの『ナット・ターナーの告白』だ。そして彼女──奴隷制を体験していない彼女──が奴隷を演じるのは、まさしくネオ・スレイヴ・ナラティブと同じ構造だ。その中で彼女は自分を見世物として──しかも無邪気に──見てくる白人の子供に対して攻撃的に睨みつける。ここに現れたカウンターナラティブとしての性質は、まさしくネオ・ナラティブ・セラピーであった。

 以下は今後の展開についてだ。

 本稿は筆者の中で、HIPHOP(=ラップ)の効用を洞察するためのものとして位置付けられた。今学期の受講の結果HIPHOPは、表現者に対しては自己肯定感を向上させるナラティブ・セラピーとして、大衆や歴史に対しては共同体全体の自己肯定感を向上させるネオ・ナラティブ・セラピーとして働いていることが導かれそうだ。今後はこの共同体に対する自己認識をさらに追求することでネオ・ナラティブ・セラピーの理論を完成させると共に、HIPHOPがリスナーに対してもたらす効用についても考察したい。「同じ境遇にあるラッパーが成り上がる様子を見ると勇気づけられる」「自分と同様にガンを患っている人の頑張る姿に勇気づけられる」という、共感や共同体意識に基づく「勇気づけ」は何故発生するのだろうか。リスナーがHIPHOPを聞き始める認知の段階では認知語用論上の概念である「関連性理論」の働きが想定されるが、認知したあとの勇気づけの効用が発見できたとき、認知の段階から社会的影響までを貫く私のHIPHOP論は完成するだろう。『困難克服モデルの獲得』や『孤独感の解消』 [深沢, 2021]などを、コミュニティ心理学やアドラー心理学の領域を中心に見ていきたいと思っている。

 また、ブレイクダンスなどの身体表現でのアイデンティティ獲得については、現在の所属サークル内でアンケートを取ることで実証できそうなので、こちらも学術誌掲載を目指したい。グラフィティなど他のHIPHOPカルチャーについてもいずれ。

文献目録
関口理久子. (2017). 情動的な自伝的記憶の想起特性について. 日本感情心理学会.
佐藤浩一. (2004). 自伝的記憶研究の理論と方法. 日本認知学会.
山本昇輔. (2015). 重度な自伝的記憶の想起がアイデンティティの達成度に及ぼす影響. 日本発達心理学会.
深沢孝之. (2021). 心身の健康回復過程における勇気づけのコミュニケーションに関する研究. 心身健康科学.
池田和浩, 仁平義明. (2009). ネガティブな体験の肯定的な語り直しによる自伝的記憶の変容. 日本心理学会.
峯真依子. (2016). 奴隷の語りをめぐる声と文字の相克:スレイブ・ナラティブからトニー・モリソンまで. 九州大学学術情報レポジトリ.
野村晴夫. (2003). 心理療法における物語的アプローチの批判的吟味. 東京大学大学院教育学研究科紀要.
葉山大地. (2008). 共感性プロセス尺度作成の試み. 筑波大学心理学研究.

いつかYouTubeかTikTokでもやります。

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