Skin to skin.
Londonに住む弟からの知らせに、インスタが真っ黒な訳を知った。慌ててつけた画面に映るのは、憎しみに憎しみで向かう暴動の光景。亡くなってしまった彼の家族は『みんな何をやってるんですか?兄はこんな事を望む様な人間ではないです。』と、平和に抗議の声をあげてほしいと言っていた。ある警官も、私はここに一緒にいる。街を壊すのではなく平和にと言ってた。恐ろしい光景に、これが全てではない。無知はよくない!と、レイシズムの事を考えた。事件を何度見返しても、何故なんだ!!なぜそこまでに至る思考を、あの警官は持っていたのかという疑問が消えない。日本では感じた事がなかった感覚。スペインに住んでみ知った、外国人に向けられた差別的な一面。だけど世界中の子供には、きっと最初はない感覚。ないままに生きていけたらいい。友人がインスタにあげてくれて知った幼い子の悲しそうなスピーチ。胸が痛くなって、みんな痛くなって気付けばいいと思った。響けと思った。今だって希望が生まれる場所はある。街の大小ではなくどこにでも『平和に』という考えの彼ら達の様な人間がいる。希望はあるから生きたくなる。映画や音楽は、希望を魅せてくれる。芸術は世界を救うんだよ。どの国の仲間も性別も色も関係いなく繋がってる。だから彼らの子供達は大丈夫。ヒーローがいっぱいだ。その波は拡大する。そして人種差別のない世界の子供達を思うと豊かな気持ちになってくる。子供たちから、大親友を作るチャンスを奪わないで!!子供がいる家族に憧れている私は、妹の出産や、友人の出産に心躍らせている今日この頃で、より一層自分の無知はいけないと思う様になっている。こんなに生きてて知らなすぎる。それは、自発的に生きねば消えてしまいそうな外国での生活から学んだ様に思う。スペイン語の辞書にあった言葉で、El saber es amar. 知は愛なり。って言葉がある。本当にそうだなって思う。愛しい我が子に、伝えたいことや魅せたい事、一緒に感じたい事が親にはきっとあると思う。我が子へ向けた、愛しい人に向けた、知は愛なり。そう思うと学ぶことは習慣になり当たり前になっていく。知が増えた語らいは、希望が生まれるのだと思うのです。そうだったら楽しいなって思うのです。
ちなみに、『Skin to skin. 赤ちゃんとの肌の触れ合い、最高ですか?』って出産したばかりの友人に送った喜びの質問の回答は、『脳内がフルに満たされてる〜』でした。最高な回答でした。幸せは、離れてても伝わる。Skin to skinは叶わないけど、私には距離を感じさせない繋がりの仲間がいるよ!!人生の冒険には、仲間が必要だ。今夜は、愛猫のManchaの可愛い寝顔を見ながら、こんなことを思う日でした。
そして、芸術は世界を救うんだよ!!というセリフは、とある神主の言葉。その旅の話もいつか描こうと思う。
おまけの
“みんなでスペイン語 “
Me gusta conversar con mis amigos. (友達と語らうのが好き。)
『思う、考える』という動詞からはじめてみるね。
Pensarという動詞があるの。何か意見を伝える時使うよ。
Yo pienso......
私は思う。 私は思うんだってはじまる....
Yo pienso....
Ningún niño nace con racismo.
人種差別を持って生まれる子はいない。
No hay que quitar la oportunidad de que los tengan sus íntimos.
子供から大親友を作るチャンスを奪わないで!!
Independiente del sexo y del color. Estamos en esto juntos.
性別や色は関係なく。 私たちはここに一緒にいるよ。
(初めて使う単語だった。racismo:人種差別)
デリケートな問題に自分の気持ちを発言するって少し怖いのを知りました。私は何が怖いんだろうか。ズレたことをいっていないかと言う事だろうか。でも、リーダー任せでは、無知のままでは、感動の瞬間を逃してしまう。まず自分を知って進もう。昔、小学校の授業で戦争について学んだ時、私は同じような事をいってたなと思い出した。親友になれたかもしれない相手と戦わなくてはいけないなんて悲しいと。地球で起きてる困った事は、植物を育て、怪我した猫を拾って育て、知ることがあり、身近なことと繋がってる。やっぱり私にも大事な問題で、知らないと守れない。
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