見出し画像

SHIMODA IZU SHIRAHAMA への移住決意

2013年2月、僕は横浜市からここ下田市白浜に移住して来ました。

現在、下田市白浜・海の近くで「株式会社UKAI」を経営してます。

非日常」をコンセプトに、飲食・宿泊・アパレル・IT 等の事業を行っています。

具体的には、「白浜ゲストハウス うーちゃん家」を始め、2018年に「特選黒毛和牛牝専門 焼肉 U」を開業し、2019年〜「うーちゃん家 カフェ AMUAM & AMUAM 2F うーちゃん家」(カフェ&ゲストハウス)を開業し運営しつつ、フリーランエンジニアとしての仕事もさせてもらってます

移住前は普通にサラリーマン

移住前は都内でITエンジニアのサラリーマンでしたが、海(サーフィン)がスキだったし、沖縄のゲストハウスのオーナー(新卒入社のときの同期の友人たちと毎年行っていたゲストハウス)に憧れを抱いていたので、いつか将来、都心を離れ、海の近くで生活したいと考えていました。

実際、土日にはほぼ毎週のように、湘南や千葉、そして伊豆に来ていました。特に伊豆下田市白浜は父の出身地であったため、親戚がいたり、以前は叔母や祖母もいたので、小さな頃からよく連れてきてもらっていた場所でした。

移住のきっかけ

2012年秋頃、現在の「白浜ゲストハウス うーちゃん家」(旧 レンタルハウス白浜)を経営していた父の友人から父へ、

「年内でここをやめたいから、引き継いでやらないか?」

という話がありました。すると下田に帰りたい父(当時は神奈川県藤沢市在中だった)は、即答で「やります」と。

父も一人で宿をやる覚悟をし、自分でやれれば(母親は田舎に行くのが絶対に嫌だった)、僕には関係のない話でしたが、父にも不安があったのかもしれませんし、僕がいつか田舎に退きたいことを知っていたから、

「お前、下田で宿やらないか?」

と僕に相談してきたんだと思います。

とても悩んだ

その頃既に結婚しており、ITベンチャー企業でバリバリ働いていた僕はこれから会社が大きくなることを夢見て会社に身を捧げるくらいの勢いだったし、このまま子供ができて・・・・、よくある幸せな感じが待っていると思っていました。

実際問題、田舎に引っ越して、やったことのない宿泊業なんてできるのか?食っていけるか?嫌にならないか?など、不安ばかりでした。

確かに、引っ越せばスキなサーフィンがいつでもできるし、夢だった(目的だった)海の近くで暮らせる。確かにすごく魅力的です。

すごく考えました・・・・。

これまで、人生についてそんなに考えたことはなかったのかもしれません(遅い)。

なんとなく将来の夢を決めて(建築家とか)、まあまあの大学に入って、なんとなく名の知れた会社(入った会社はIT企業。就活辛かったし運良く決まった名の知れたIT企業に内定もらって就活やめた)に入って毎日、同じ時間に起きて。同じように支度をして、同じ電車に乗って同じように働いて、良い給料を得る。(その後2回転職してるけど)

そして、お金に余裕があればたまーに飲み行ったり、好きなもの買ったり、旅行に行ったり。昇格してたくさんお金を稼ぐことを夢見て・・・。

みんなそうして働くことの対価に、自分の時間に自分のやりたいことをしたり、買いたいものを買ったりし、旅行に行くのために頑張る。それがいい生活?いい人生?と言い聞かせて生きていたかもしれません。

そんなレールの上を歩いていただろう自分が何もかも捨てて、田舎に退き、一から自分の力のみ(サラリーマンは会社に守られていると思っている)で、事業をし生きていけるのか。本当に不安でしたが、もちろん行きたい気持ちもあり迷った僕は、

自分はなんのか?

僕という自分が本当に何をやりたいのか。何をしているときが1番楽しいのか。どんなことを考えているときがワクワクするのか。今一度考えてみました。

・サーフィン、海、南国がスキ
・飲み会がスキ、料理がスキ、人がスキ
・沖縄のゲストハウスのオーナーへの憧れ
・正直使われるより、使う側になりたい
・男たるもの自分一人の力で飯を食っていきたいという変な男気
・やっぱり可愛い女の子は好き

整理してみたところ、やっぱり自分は、田舎で自分で事業をするべきなんだと思いました。

ただこのタイミングじゃなくてもいいのではないか?まだまだ僕には早くないか(当時29歳)?もっといろいろ経験してからのほうがいいのではないか?しかし、

「やらないで後悔するより、やって後悔しよう」

よく言いますが、いい言葉だと思いました。

安全なレールの上を歩いてきた僕は、ただ単に失敗を恐れていだだけだったのです。

失敗して人は成長するのです。失敗してナンボ。

そう言い聞かせ、何もかもめんどくさいことは考えるのを辞めて、決断しました。

タイミングはその時

タイミングっていろいろあると思いますが、僕の場合、その時その話があったということは、その時だったんだと思います。

まだ早い、もう少しししたら、と思ってやめていたとすると、それは本当にやりたいことじゃなかったんだと思うし、一生やらないのではないかと思いました。

その時の決断が間違ってなかったといつでも言えるようになればいいだけの話なんだと思います(正直もやし生活になったこともある)。

不幸なことや辛いことも、そのときはそうかも知れませんが、あとで笑い話や、あの体験があったから今頑張れるとか、そいういう風に思うこと、思える現在の自分がとっても大事なんだと思います。

タイミングは今だったんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?