MMTは何を間違えたのか?

 次の文章は中野剛志氏(以下敬称略)「奇跡の経済教室」第6章からの引用であり、「民間貯蓄が財政赤字をファイナンスするのではなく、財政赤字が民間貯蓄を創造するのであり、したがって財政赤字の増大によって民間資金が逼迫(クラウディングアウト)したり、金利が上昇したりすることはあり得ない」という、彼のMMTの理論的中核となっている箇所である。

(……)銀行が国債を購入するプロセスは、具体的には、次のようになります(図略)。
(1)銀行が国債(新規発行国債)を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
(2)政府は、例えば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
(3)企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
(4)取り立てを依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に、代金の取立を日本銀行に依頼する
(5)この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
(6)銀行は戻ってきた日銀当座預金で再び新規発行国債を購入することができる((1)に戻る)
(……中略……)
 民間貯蓄が財政赤字をファイナンスしているのではなく、その反対に、財政赤字が民間貯蓄を生み出している。財政赤字が増えることで、民間貯蓄は減るのではなく、増える。ですから、財政赤字の増大によって民間資金が不足し、金利が上昇するなどということは起き得ないのです。

中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」初版第5刷pp.121-126 強調原文

 私は、中野が(1)~(6)で述べているプロセスが事実の記述として間違っている、と言いたいのではない。これらが正しいことは、しかし、それに続けて中野が述べている結論を含意しない。

 中野はここで、財政赤字が同額の民間貯蓄を創造するから、クラウディングアウト(中野自身はここでクラウディングアウトという言葉を使っていないが、そう解釈して問題ないだろう)もそれに伴う金利上昇も起き得ない、と主張している。理論的に必ずそうであるという主張であるから、反例を一つ挙げれば足りる。簡潔に示そう。

 上のプロセスにおいて政府小切手を銀行に持ち込み預金を受け取った企業が、その預金のうちのいくらかを使って、企業自身が銀行から借りている借入金を返済する、あるいは、予定していた借入を中止する。

 これは政府の財政赤字拡大の結果として、銀行から民間企業への貸付が減少したことを意味しており、クラウディングアウトそのものである。より限界生産性の高い投資がクラウディングアウトされることで金利は上昇していく。当たり前の話であり、議論はこれで尽きているが、念のため補足しよう。

 私は(1)~(6)のプロセスが事実でないと言っているのではない。問題はそれが話の半分でしかないことにある。(1)~(6)のプロセスは銀行の貸付によって民間預金が創造される過程の描写である。しかしながら民間預金は、銀行の貸付によって創造される一方で、銀行への返済によって消滅する。貸付の過程だけを見れば民間預金が減らないのは当たり前である。それは単に減る方の過程に目を向けていないからである。中野は同書第5章において、銀行への返済によって預金が消滅することを正しく認識している(「奇跡の経済教室」p.98)にもかかわらず、引用箇所の議論においてはなぜかそのことを全く考慮していない。

 要するに中野の議論は、貸付が実行される瞬間を描写しているだけであり、マクロ経済の描写になっていないのである。貸付の瞬間だけを取り出して見ればクラウディングアウトが見られないのは当たり前であって、政府部門の財政赤字の結果として、他の経済部門がどのように反応するのか、それを考慮に入れなければマクロ経済理論たり得るはずもない。まさにそれこそが、中野の批判する一般均衡理論がマクロ経済を各経済主体の最適化問題の均衡として扱う理由なのだが、そういう肝心なことは残念ながらあまり理解されていないようである。


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