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東京都復興記念館(その3・震災とデマ)

東京都復興記念館の展示より。

「流言飛語による治安の悪化」
この大地震で、多くの人々が冷静な判断力を失い、不安にかられた結果、さまざまな流言が生み出され、無秩序に拡散していきました。
特に被害の中心になったのは、当時日本の統治下にあった朝鮮から来た人々でした。9月1日夕方から広まった「鮮人襲来」といった噂を受けて、2日夜に政府は緊急勅令による戒厳令を宣告。軍隊や警察、新聞も一時は噂を信じて行動したため、これが流言のさらなる火種となり、これを信じた市民が自警団を結成し、朝鮮人や朝鮮人と誤認した中国人、日本人を暴行・殺傷しました。この他にも、社会主義者が犠牲になった亀戸事件など人災による殺傷事件が多発しました。

警視庁から出されたお触れ

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「有りもせぬ事を言触らすと、処罰されます 
朝鮮人の狂暴や、大地震が再来する、囚人が脱監したなどと言伝えへて処罰されたものは多数あります。
時節柄皆様注意してください。
警視庁」

警視庁が流言を発したものに処罰を下すとの通知を出したのは、震災から数日後であったとのこと。


寺田寅彦はさすがに科学者だけあって、関東大震災のことを書いた文章に於いても、他の文学者と比べて目の付け所が変わっていて面白い。
たとえばこんなところ。

仰向いて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると四五秒程と思われる長い周期でみしみしみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた。
(寺田寅彦「震災日記」より)

朝鮮人に関わるデマについてはこんな風に書いている。

帰宅してみたら焼け出された浅草の親戚のものが十三人避難して来ていた。いずれも何一つ持ち出すひまもなく、昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て〇〇人の放火者が徘徊するから注意しろと云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。こんな場末の町へまでも荒らして歩く為には一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾がいるであろうか、そういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった。
(同上)

竹久夢二が震災後の東京をスケッチし、文章を添えた「東京災難画信」の中にはこんな記事がある。

「萬ちゃん、君の顔はどうも日本人ぢゃあないよ」
豆腐屋の萬ちゃんを掴まえて、一人の子供がさう言ふ。郊外の子供達は自警団遊びをはじめた。
「萬ちゃんを敵にしようよ」
「いやだあ僕、だって竹槍でつくんだらう」萬ちゃんは尻込みをする。
(中略)
子供は戦争が好きなものだが、当節は、大人までが巡査の真似や軍人の真似をして好い気になって棒切れを振りまはして、通行人の萬ちゃんを困らしてゐるのを見る。
ちょっとここで、極めて月並みの宣伝標語を試みる。
「子供達よ。棒切を持って自警団ごっこをするのは、もう止めませう」

(竹久夢二「東京災難画信/6.自警団遊び」より)

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「君の顔はどうも日本人じゃあないよ」という言葉はなかなか怖い。

× × × × × ×

芥川龍之介がデマについて書いた文章。

僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
 戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや嘘だらう」と云ふほかはなかつた。
(中略)
 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
 尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。

(芥川龍之介「大正十二年九月一日の大震に際して」より)

菊池寛の、デマを歯牙にもかけないきっぱりとした感じは気持ちが良いが、
芥川の「善良な市民」に関する言葉には何かもやもやとした、はっきりしない雰囲気がある。単なる皮肉とも読めないような(もちろん皮肉ではあるのだけれど)、妙な屈折があるように感じる。

両国で育ち、震災当時は田端に一家を構えていた芥川にこの震災がどんな影響を与えたのか、というのは、まあ多分たくさんの研究者が色々研究しているのだろうから、ぼくがどうこう言うこともないのだが、なんとなく気になっている。

震災から4年後の1927年に「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」を一応の動機として芥川龍之介は自殺する。


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