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素直に生きられなかったわたしの話。

中学生で出会い、友人として10数年過ごしてきた彼女が、わたしに対して友情以外の感情を持っていることに知った4年前。

元々中性的な雰囲気を持っていて、尚且つ「多分バイセクシャルかも」と既に打ち明けられていたり、今までの行動から好意を感じていたからか、特に驚きもせず、素直にその事実を受け入れることができた。

わたしに対してだけは、いつも他の子より贔屓してくれる優しい彼女に「異性同士だったら今すぐにでも付き合いたいのにね」なんて何度か言ったこともあるくらいに、私自身も彼女に対して友情とはまた違う特別な感情があったので、好意を向けられていることはとても嬉しかった。

ただ他人に恋愛感情を抱いたことのないが故、この感情が彼女と同じ感情なのか、10数年友人として築いてきた関係や、同性同士であること、遠距離であること、付き合った先の未来、色々ことが頭によぎり、お互いそれ以上関係を発展させようとはしなかった。

心にモヤモヤとした消化不良の感情を抱えながら、月1ペースで行き来しあっていた頃、お酒の勢い余って一線を越えてしまった日があった。

違和感なく受け入れられた自分に少し納得したし、一線を越えたからといって気まずくもならず、お酒の力を借りて素直になれたことで、私自身も彼女に友情以上の感情をあることをきちんと認められた。

それから不思議な関係(この時のことは沼の時代と呼んでいる…)を1年ほど続けて「やっぱりお互いが他の誰かと付き合うなんてことは嫌だ。」と思い、好意を知って2年が経った2020年に正式に恋人同士になった。

(※私の中では「恋人」という表現が少し適切ではない気もするけど、この関係性は他人が見たら「恋人」と分類されると思うのでそのように表現しようと思う。)

恋人同士になってからは毎日が幸せだったし、非恋愛体質で人に恋愛的な感情を抱いたことのない私にとっては、初めて知る感情の連続だった。相手の寝顔をみて愛おしいと思ったり、何気ない日常を共有することがこんなにも幸せなことなんだと感じたり。

一緒にいるときが常に幸せな分、ひとりになったときにこれから先のことを考えて涙することもあった。

どうしても付き合った後の未来に対して結論が出ず、でもこのまま恋人同士にならなかったら一生後悔するよね…の堂々巡りで、結局大事な部分はお互い有耶無耶にしたまま過ごしてしまった。

相手が異性だったらこんな風に考えたりせずに、ただただその時を純粋に楽しめていたのかもしれない。でも彼女じゃなければこんな風に相手を想うことは一生なかったとも思う。ただ性別が同じだっただけで、どうしてこんなにも考えるべきことが多い世の中なんだろう。

元々恋愛至上主義な世の中に違和感があったが、こうやって大切な人が出来た時に、どんな性別、間柄、国籍。何であれ、自然と受け入れてもらえる世の中でないことに、当事者になってみて初めて気づいた。

そして、所謂世間一般の普通とされる恋愛・結婚観に自分自身が縛られているのが痛いほど身に染みた。

そういうことに縛られずに、自分自身に素直になって生きれたらどんなに良かったか。「彼女と生きていく」という選択を自然と取れるわたしだったらどんなに良かったのだろう。
恋愛だけでしか、結婚に、家族に、一緒に生きていく理由に結びつけられないなんて。ただ人として、その人だから一緒にいたい、そんな風に思って一緒に生きていくだけじゃ何でだめなんだろう。

自分で別れを切り出したのにも関わらず、彼女を慕う人が現れて、やっとわたしは本当に彼女が好きだったことに気づいた。
自分勝手すぎるけれど、わたしが彼女の1番であり続けたかった。それなのに、なんでわたしは自分の奥底にあった感情に蓋をしてまで別れてしまったのだろう。

今更後悔しても、何も変えられないけれど。

自分の中で何が本当に大切か、世間の目なんて気にしないで、自分本位で生きていかないと幸せなんかなれないことにようやく気づいた。

だから、今これを読んでるそこの誰か。
素直に生きるのが難しいと感じてる誰か。

とにかく自分に素直に生きてください。
そしてわたしもこれからは素直に、自分に正直に、生きてください。

今更もう遅いけれど、彼女が好きで、彼女の1番になりたくて、現実的なことを考えても結局は彼女の隣にいたいわたしを、素直に認めて生きていこうと思います。

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