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最近曲を書くのが楽しい。いや、それが人生の本質ではないんですが。

僕の好きなれをる氏の曲にこんな歌詞がある

どうしたってこんなに複雑なのに
噛み砕いてやらなきゃ伝わらない
ほら結局歌詞なんかどうだっていい
僕の音楽なんかこの世になくたっていいんだよ

目の前 広がる現実世界がまた歪んだ
何度リセットしても
僕は僕以外の誰かには生まれ変われない
「そんなの知ってるよ」
気になるあの子の噂話も
シニカル標的は次の速報

麻痺しちゃってるこっからエスケープ
遠く遠くまで行けるよ

安定なんてない 不安定な世界
安定なんてない きっと明日には忘れるよ

fade away... do over again...
そうだ世界はどこかがいつも嘘くさい
綺麗事だけじゃ大事な人たちすら守れない
くだらない 僕らみんなどこか狂ってるみたい

本当、そう思うよね。自分の音楽なんて世界を救えないし、誰かの生き死にを変えることもできない。

あなたは大丈夫よ。そんな優しさに触れて、自分に言い聞かせるような安堵を見たとしても依然として世の中は全く理不尽だし、人間はあいも変わらず頭が悪く生きているし、正しいことなんて何一つ報われないと思うことだってたくさんある。馬鹿みたいな連中が馬鹿みたいに集まって本能の赴くままに生きている。そんな世界について悲観するときに、世の中大丈夫じゃないじゃんか。と思うと同時にこんな世の中が嫌いになる自分自身がおかしいのかとも思う。

ヘブライ語聖書の詩編にさえ、悪人が平和を見るって書いてあるんだもの。何が善で何が悪かすらわからなくなることもある。そんな中で、自分にとって都合の良い情報だけを切り取って「自分は楽しく生きられて大丈夫だ。」なんてお気楽すぎるじゃないか、って思ったりもするんだよね。そういう焦燥感のようなものが自分の生き方を突き動かす初期衝動のようなものなのかもしれないけれど。

そんな折にはエルレの「金星」なんかが聴きたくなる。

なんていうかこう、それが仮に世を忍ぶだけの姿だとしても、一本気の通った生き方をしていたいよね。せめて自分の生と記憶が語られているうちは。

自分で自分を肯定するのは大切なことなんだけれど、それ以上に僕は僕の世界よりももっと多くのことを感じたいし知りたいと思う。何事も自分の囲った世界だけで済ませていたら、それはとても惨めな井の中の蛙になってしまう。ロミオとジュリエットは確かに悲劇の恋だけれど、そんな出来事は世の中を見渡せばたくさんあると思うんだ。

人がどう思うかなんてものは確かに関係ないと思う。例えば今日はかの天才ギタリストが亡くなった日でもあったりするけれど、この悲しさを誰かに強要するものでもないとは思う。それはそうなんだけれど。分かってはいるのだけれど。

人間なんてのは100%のコンセンサスは得られずに生きていくって分かっているんだけれど、どうしてももどかしいこともあるよね。なんだか今日はそういったことの連鎖というか、自身の心象も重ねて余計に自己憐憫してしまった。どうせわかんねえだろうな。って諦めているけれど、まあ今日は今日でちょっとした達成感だとかちょっとした幸せに目を留めて生きていけたからそれで良い。チープな合意なんてそこには要らないんだよ。

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