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タメ口と敬語のあれやこれや

元々はなんでもない、今朝、郵便局に手紙を出しに行ったら、お隣の窓口のお客さんが、「○○の切手ちょうだい」から始まり、やり取り中終始タメ口だったこと。

それでふと、関西ってそうだよね、お客さんが帰り際に「ありがと〜」って言ったり、特に歳が上がれば上がるほど、店員さんにタメ口で話す人が多いよね、と思ったこと。

そしてさらにふと、でもここ数年、関東の私の母も店員さんにタメ口で返事したりしてるし、土地柄とは限らないのかな?

などと、また得意の、ひとつの出来事からぶわぁ〜っと様々な方向に考えを巡らせていたこと。

それが最終的に、親しみを込めたタメ口、についての考察に辿り着いたのであります。

前置き長すぎて、本当は句点のところを読点にしました。笑

私は、歳上の方、知り合ったばかりの方には必ず敬語で、それを崩すのがあまり得意じゃないのだけど、それはなんとなく育ちに関係している気がする。

そういう常識(と思い込むにあたる価値観)のもとで育ったのじゃないかな。

そんな私のことはどうでもよくて。
いや、どうでもよくないか。
下記に繋がりそうだ。

関西圏の方の、そのフレンドリーさ故のタメ口は、そんな私にとって親しみやすさと感じ取れる時と、え?なんか失礼…と感じてしまう時がある。

(⚠️今、私にタメ口で話しかけてくれている方々、急に敬語にならないでくださいね!大丈夫ですからね!!!笑)

これは親しみの文化なのだと理解していくと、失礼と感じてしまう自分の方が悪い気がしてしまい、でもやっぱりどうしても、すんなり受け取れるタメ口と、え?なんか失礼…となるタメ口があるのだ。

この違いはなんなんだろう?

そこに敬意があるかどうか、か?

馴れ馴れしい、という言葉が今、頭に浮かんだ。

あぁ、土地とか年齢とかじゃなくて、どんな言葉遣いがふさわしいかは、その人との距離感とか性質によるのかもしれない。

ふさわしい、は語弊がありそう。
心地よい、かな。

それすらも、受け取り手によって様々だものね。

たぶん、私は言葉に敏感な方で、使う時も、使われる時も、そこに何かしらの意味合いを無意識に感じとってしまうのだと思う。

だって英語には、大きく言えば敬語はなく、例えば大学の教授でも、下の名前で呼び捨てで呼んでと言う人もいれば、ドクター○○と呼んでと言う人もいて、でもどちらにしても話す時はタメ口なのだ。

厳密には丁寧な言い回しや尋ね方をしたりはするけれど。

そこには、私はあなたを人として尊重しています、そういう意味で私たちは対等ですという大前提があるのじゃないかな。

それは、言葉にしなくても、態度で分かるものなんじゃないかな。

日本で、歳や立場が上の方に急にタメ口で話しかけたらびっくりされるだろう。

日本は、敬意を言葉で表します、という文化なのかもしれない。

いつのまにやら話がグローバルになってしまった。

けれど、それはあながち間違ってない。

だって私が初めて大阪の地に着いた時、その初日から、なんだかアメリカっぽさをひしひしと感じ取っていたのだから!

どこが?と言うと言葉にしにくいけれど、たぶんそういうことの積み重ねなんだろう。

ずばーん!とハッキリ物を言うこと、店員さんや初対面の方にもタメ口なこと、それらが親しみなんだと無意識レベルで理解していれば、きっと違和感を感じることなんてないのだろう。

大阪に住んで10年ちょっと、日々たくさんの方と関わってきたはずだけど、このことに関してはいつまでたっても無意識レベルまで腑に落ちないのが不思議。

そのフレンドリーさこそ、好きで、心地よくて、それ故ずっと大阪にいると思うんだけど、なんでなんだろなぁ。

なんだかんだ、書きながら考えて結局どこにも行き着かない記事になりましたが、最後に。

私は、親しき中にも礼儀あり、が成立している上での言葉のやりとりには、タメ口も敬語も関係なく受け取れるということを、言葉に出来るくらいには消化しました!万歳!

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